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 放課後、アリスは今日は友達と帰ると言った。


 昼休みに女子の輪に呼ばれて、放課後に校門のところで待ち合わせらしい。アリスの表情は少しだけ緊張していたけど、それよりも「行ってみる」という決意の方が強く見えた。俺はそれが嬉しかった。怖さのせいで、アリスの世界が狭くなるのが一番嫌だったから。


「隆太郎、先に帰ってていいよ」


 アリスが言う。


「大丈夫か?」


「大丈夫。友達と帰るの、私も大事にしたい」


 その言い方が、少しだけ誇らしげで、俺は頷いた。


「分かった。困ったら連絡しろ」


「うん。ありがとう」


 アリスは小さく手を振って、女子たちの方へ駆けていった。いつもより少し早い足取り。背中が人混みに溶けていくのを見送って、俺はようやく息を吐いた。


 ……一人で帰るの、久しぶりだな。


 今までが「一緒」が当たり前すぎた。危険を避けるため、安心を積むため。だから、一人になると逆に落ち着かない。手持ち無沙汰で、胸の奥がざわつく。俺はそのざわつきを誤魔化すように、帰り道の角度を少し変えた。


 寄り道をしないつもりだったのに、気づけばコンビニの自動ドアの前に立っていた。


 冷房の風が流れ出てきて、頬に当たる。店内の光は白く、外の夕方の色と馴染まない。こういう明るさは安心する時もあれば、逆に現実味が増して落ち着かない時もある。


 俺は入ってすぐ、アイスケースの前へ向かった。目的は特にない。強いて言うなら、甘いものを買って帰って、頭の中を少しだけ静かにしたかった。


 ケースのガラスに映る自分の顔は、思ったより疲れていた。最近ずっと同じような顔をしている気がする。笑っているはずなのに、目の奥の力が抜けない。俺はその顔から目を逸らして、アイスの棚を適当に眺めた。


 その時、ふと視界の端に黒っぽい人影が入った。


 冷凍棚の向こう、菓子コーナーのあたり。背が高くて、動きがゆっくりで、でも妙に目立たない。だるそうに棚を眺めているのに、手だけは迷いなく動いている。


 佐野雪芽だった。


 学校の廊下で見た時の“仕事の目”とは違う。今日は肩の力が抜けている。髪もラフに下ろしていて、表情も眠そうだ。だけど、手に取ったのはチョコ菓子と、スナックと、そして――迷いなくアイスだった。しかも二種類。


 相変わらず甘いものに目がない。


 俺は反射で隠れたくなって、でも隠れる理由もなくて、結局アイスケースの前で固まった。佐野はまだ俺に気づいていない。気づかないまま、レジへ向かう。歩き方はだるいのに、無駄がない。


 ……この人、オフだと本当にただの甘党なんだな。


 その背中をぼんやり見ていたら、佐野がレジ前でふっと振り返った。目が合う。ほんの一瞬で、佐野の目に焦点が合う。仕事のスイッチじゃないけど、観察のスイッチが入る感じ。


「……宮本くん」


 淡い声。驚きは薄い。偶然に会ったというより、会う可能性も想定していたみたいな口ぶり。


「こんばんは」


 俺が言うと、佐野は小さく頷いて、レジへ向き直った。そのまま店員に商品を置く。会計を済ませる。紙袋に詰めてもらう。流れる動作。俺は自分の分のアイスだけ持ってレジへ並ぼうとしたが、佐野が先に言った。


「それ、こっちに入れて」


「え?」


 佐野が紙袋を少し開ける。


「一緒に会計した方が早い」


「……いや、いいです。自分で払います」


 俺が断ると、佐野は眠そうな目でこちらを見て、少しだけ口角を上げた。


「余計な気遣いって顔」


「実際、余計な気遣いです」


「私はこういうのが好きでね」


 言い方がやけに軽いのに、妙に説得力がある。佐野はそういう“自分の流儀”を押し通す時、あまり迷わない。


 結局、俺のアイスは佐野の袋に入れられた。レシートも佐野の方へ出る。俺は納得していない顔のまま、店の外へ出た。


 夕方の空気が少し涼しくなっていた。店の壁際、灰皿のないスペースに佐野が寄りかかる。紙袋を開けて、アイスを一つ取り出した。もう一つを俺へ投げるように差し出す。


「ほら」


「……ありがとうございます、って言うのも変ですけど」


「変じゃない。甘いものは正義」


「雑すぎる」


「雑でいい」


 佐野はアイスの袋を破って、その場で齧った。食べ方が子どもみたいに遠慮がないのに、姿勢だけは綺麗だ。だるそうなのに、所作が崩れない。変なギャップがある。


 俺も仕方なく袋を開けた。冷たい甘さが口に広がる。思ったより美味い。悔しい。


「で」


 佐野が俺を見た。


「最近、どう」


「……何がですか」


「全部。朝日の事件も、君の顔も」


 俺は答えに詰まった。全部と言われても困る。困るのに、佐野は待ってくれる。仕事の時みたいに畳みかけない。ただ壁にもたれて、アイスを齧っている。オフの顔は、焦らせない。


「事件は……自首のニュースが出ました」


「うん」


「警察が動いてるみたいです」


「うん」


 佐野は相槌だけで、評価をしない。俺はその沈黙に押されて、もう少し言葉を出した。


「……でも、俺たちは納得できてません」


 佐野は、少しだけ目を細めた。笑いではない。確認の顔。


「納得できない理由は?」


「……終わり方が綺麗すぎる」


 俺がそう言うと、佐野は小さく息を吐いた。


「君、鋭いね」


「そういうんじゃないです」


「そういうんだよ。違和感を拾える人は少ない」


 佐野はアイスの棒を指で回しながら言った。


「自首は分かりやすい。分かりやすいものは、人が飛びつく。終わったと思いたいから。……でも、終わったことにしたい人間がいる時、分かりやすさは作れる」


 作れる。


 その言葉が、背中に冷たく残った。


「佐野さんは、どうするんですか」


 俺が聞くと、佐野は少しだけ肩を落とした。


「私? 今日はオフ」


「いや、そういう意味じゃなくて」


「分かってる」


 佐野は眠そうな目で俺を見た。


「私は、止めた。表向きは。……でも、私は“気になるもの”を放っておけない性格でもある」


「結局、追うんですか」


「追う、というより――嗅ぐ」


 佐野は淡い声で言った。言い方が嫌だった。けど、妙にこの人らしい。


「犬みたいに?」


「犬は可愛いから違う。……猫」


「猫も可愛いだろ」


「可愛いのは認める。でも、猫は執念深い」


 佐野がさらっと言って、アイスをもう一口齧った。


 俺は迷ってから、ずっと胸に引っかかっていたことを口にした。


「……この前のこと、アリスに悪かったって思ってますか」


 佐野の目が、ほんの少しだけ揺れた。揺れたのに、顔はすぐ戻る。オフでも、そのあたりは切り替えが早い。


「思ってる」


 即答だった。


 俺は少し驚いた。佐野は悪びれないタイプだと思っていた。けど、違った。悪びれないんじゃなく、悪かったことを“処理”するのが下手なんだ。


「……悪かった。あの雑誌の件。あれは、やり方が乱暴だった」


 佐野が続ける。


「でも、私はそういう性格でもある。気になると、確かめたくなる。確かめる時に、相手の気持ちより先に手が動く。……それで何回も嫌われてきた」


 自嘲が混じっていた。でも、湿っぽくない。淡々と言うから余計に刺さる。


「嫌われたくないなら、やめればいいんじゃ?」


 俺が言うと、佐野は少しだけ笑った。


「君、正論が下手だね」


「え」


「正論は上手に言わないと刺さる。……君は刺す時、真正面」


「すみません」


「謝らなくていい。私は、そういうの嫌いじゃない」


 嫌いじゃない、と言うわりに、目は相変わらず眠そうだった。


 佐野はアイスの棒を捨てて、紙袋を畳むように持ち直した。


「宮本くん」


「はい」


「君が守りたいのは、白金アリスだけじゃないでしょ」


 俺は一瞬答えに詰まった。守りたいのはアリスだ。でも、それだけじゃない。健一さんと恵さんも、母さんも、今の生活そのものも守りたい。朝日を奪われた痛みを、これ以上増やしたくない。


「……はい」


 俺がそう答えると、佐野は小さく頷いた。


「じゃあ、推測を一つだけ言う」


 佐野の声が少しだけ真面目になる。仕事モードほど鋭くはない。でも、軽くもない。


「事件はまだ終わってない」


 俺の喉がひやりとした。


「……根拠は?」


「根拠はない。推測。私の勘」


 佐野は淡く言った。


「ただ、自首が綺麗すぎる。警察の動きが早すぎる。報道の整い方が早すぎる。……誰かが、終わらせる準備をしてた匂いがする」


 また匂いだ。嫌な言い方なのに、妙に納得してしまう自分がいる。


 佐野は紙袋を肩にかけた。


「今日はここまで。オフの私は疲れるのが早い」


「さっきからずっと食べてただけじゃないですか」


「食べるのも疲れる。……人間は大変」


 佐野が軽く言って、歩き出した。去り際、振り返って淡く言う。


「アリスに、悪かったって言っといて」


「それは自分で言ってください」


「そのうちね。……怖がらせたくない」


 そう言って、佐野は今度こそ人混みに消えた。


 俺はその背中を見送りながら、手の中のアイスの棒を握りしめた。甘さは残っているのに、胸の奥は冷たい。


 事件はまだ終わってない。


 推測だとしても、その言葉は重い。


 そして、それを“オフの顔”で言う佐野が、妙に怖かった。


 ※ ※ ※


 その頃。


 街の少し離れた場所。ビルの屋上。


 銀髪の少女がいた。


 小学生くらいの体格。足を投げ出して屋上の縁に座り、遠くの街を見下ろしている。夜風が銀色の髪を揺らすのに、少女は落ちる気配がない。危なっかしいのに、妙に安定している。


 少女の視線の先には、さっきまで佐野と隆太郎が立っていたコンビニの灯りが小さく見えていた。


 少女は退屈そうに頬杖をつく。


「相変わらず人間て大変ね」


 淡い声でも、気だるい声でもない。子どもの声なのに、妙に達観している。


 少女は小さく笑って、夜の街を見下ろし続けた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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