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犯人の目的とは?

 夕方の空は、まだ夏の色を残していた。


 でも、空の高さだけが少し違う。蝉の声が減って、代わりに風の匂いが乾いている。季節は確実に進んでいるのに、俺たちだけがまだ七月の続きみたいな場所に取り残されている気がした。


 健一さんから指定された場所は、学校から少し離れた小さなビルだった。地域の防犯カメラの管理会社が入っているらしい。民間の管理と、学校側の協力、その境目のところ。警察が動く前に拾える情報を拾う、そういう現実的なルートだ。


 俺はそこへ向かう途中、スマホを一度だけ見た。アリスからの連絡はない。ない方がいい。けど、ないとないで気になる。そういう矛盾を抱えたまま、歩幅を少しだけ速めた。


 ビルの入口に着くと、健一さんが先に待っていた。スーツではなく普段着。けれど表情は仕事の顔だ。隣に、佐野雪芽がいた。


 黒いジャケット、薄いインナー。気だるげに立っているのに、目は冴えている。手にはタブレット。もう準備ができている、という空気。


「隆太郎くん」


 健一さんが短く呼ぶ。


「こんばんは」


 俺が頭を下げると、佐野がこちらを見て、淡い声で言った。


「来たんだ」


 歓迎でも拒否でもない。ただ確認。人を数える声。


「健一さんから連絡が来たので」


「うん。じゃ、入ろう」


 健一さんが先に歩き、佐野が続き、俺が最後に入った。ビルの中は冷房が効いていて、外の湿気が一瞬で引く。冷気が肌に触れた瞬間、背中の汗が冷えて少しだけ寒気がした。


 受付を通り、狭い会議室みたいな部屋に通された。机と椅子、壁にモニター。管理会社の担当らしき男性が一人、端末の操作をしている。


「こちらが該当時間帯の映像です」


 男が説明し、モニターに駅前広場の映像が映った。


 画質は確かに落ちている。顔が判別しにくい。人の流れがノイズの塊に見える。だが、佐野はそのノイズを、ノイズのまま見ていなかった。まるで砂の中から金属片だけ拾うみたいな目で見ている。


「……ここ」


 佐野が淡く言った。画面の一部を止める。拡大する。白っぽい影が動く。腕の角度。手首の返り。昨日見た説明と同じ箇所だ。


「押してる瞬間はこれ。問題は、前後の動線」


 佐野が操作を促すように担当者に言う。担当者が映像を少し巻き戻し、スロー再生にする。


 画面の端に、ひときわ不自然に立ち止まる影があった。人の流れの中で、流れずにいる。流れずにいることで、逆に見えなくなる。そんな立ち方。


「……あれが犯人ですか」


 俺が聞くと、佐野は即答しなかった。一拍置いてから、淡い声で言う。


「犯人“候補”。でも、動きが一致する。少なくとも無関係とは言いにくい」


 佐野の言葉は、判断の線引きがうまい。断言しないのに、確度を積み上げる。聞いている側は、否定しようがない。


 健一さんが低い声で言った。


「隆太郎くん。お前が朝日と別れた位置は、右寄り。コンビニが見える側だったな」


「はい」


「このカメラの角度だと、右寄りが——」


 健一さんが言いかけたところで、佐野が手を軽く上げた。


「……確認したい。宮本くん」


 俺の心臓が一瞬だけ跳ねた。名指しされると、体の奥が反射で身構える。


「ここ」


 佐野は画面のポイントを示す。


「あなたが“最後に見た景色”に近いのはどっち。ここか、ここ」


 二つの地点が示された。どちらも似たような景色だ。だが、あの日の記憶は、妙に色や匂いまで絡んでいる。痛みとセットで残っている。


 俺は、目を閉じずに画面を見た。逃げたら負ける気がした。


「……こっちです」


 右側の地点を指す。コンビニの看板が、映像の端に少し入る場所。


 佐野が小さく頷く。


「分かった。じゃあ、こいつの立ち位置は――」


 佐野は犯人候補の影を示し、俺の指した地点との距離を測るように画面を進めた。すると、不自然な影は一度だけこちらを向く。向いた、と言っても顔は見えない。肩の角度と、頭の向きだけ。


「……見てる」


 俺が思わず呟くと、佐野は淡い声で言った。


「見てるかもしれない。人の流れを確認してるだけかもしれない。でも、あなたの位置からすると――視界に入る」


 視界に入る。つまり、犯人候補は俺とアリスの“別れ”を見ていた可能性がある。別れの瞬間。改札へ入る背中。徒歩で離れる俺。誰かがそこを観察していたら?


 胃が冷たくなる。


 健一さんの声が硬くなる。


「……狙い撃ちか」


 佐野は小さく肩をすくめた。


「狙い撃ちか、偶然の選別か。どっちでも最悪」


 担当者が気まずそうに咳払いした。こういう話をする部屋じゃないのに、ここでしかできない話だ。


 佐野は話を切り替える。


「次。別件の連続事件。映像があるなら照合する」


 担当者が別のファイルを開く。モニターに、別の場所の映像が映った。夜の路地。暗い。人影が少ない。けれど、腕の使い方が見える場面がある。掴み方、引き寄せ方、押し倒す角度。


 俺の背中に冷たい汗が滲んだ。


 似ている。


 完全に一致と言い切れない。でも、“同じ匂い”がするという言葉の意味が、ようやく身体で分かった。


 佐野が淡々と言う。


「所作が近い。手首の返りが同じ。体幹の使い方が同じ。……同一人物の可能性が上がった」


 健一さんが低く言った。


「警察へ行けるか」


「行ける。でも、相手がプロなら、これでも弱い」


 佐野の言葉が、残酷だった。こんなに怖い映像を見ても、まだ“弱い”。社会は証拠がなければ動けない。動けない間に、人は死ぬかもしれない。そういう現実がある。


 俺は拳を握りしめた。爪が掌に刺さる。


 ここで感情的になっても、何も変わらない。分かっている。でも、分かっていることと、耐えられることは別だ。


 佐野が俺を見た。


「宮本くん」


「……はい」


「君、これ見て平気?」


 意外な問いだった。佐野は人の心を気にしないタイプだと思っていた。けど、今の声は少しだけ“配慮”が混じっていた。もしくは、俺の反応をデータとして欲しいだけかもしれない。それでも、質問の形は人間っぽい。


「平気じゃないです」


 俺は正直に答えた。


「でも、目を逸らしたくない」


 佐野は一拍置いて、淡く言った。


「……そう。じゃあ、君はまだ折れてない」


 言い方が変だ。でも、妙に胸に残った。折れてない。折れないことが重要だと、佐野は知っている。


 健一さんが担当者に頭を下げ、資料の一部を受け取った。守秘の確認をして、今日はここまでになった。


 ビルを出ると、外の空気がもわっと重い。夕方なのに暑い。なのに、俺の指先だけ冷たい。


 健一さんが言った。


「佐野、警察に当たるのか」


「当たる。相談じゃなくて、情報提供として」


 佐野が淡く答える。


「ただし、警察が動いても相手が止まるとは限らない。……むしろ、刺激になる」


 刺激。犯人を追い詰めれば、凶暴化する可能性がある。嫌な話だ。けれど、放置もできない。


 健一さんが短く言う。


「それでもやる」


「うん」


 佐野は素直に頷いた。そして、急にオフの顔に戻る。


「……疲れた。甘いの食べたい」


 さっきまでの冷たい分析との落差がひどい。俺はそのギャップに、少しだけ救われてしまう。人間味がある方が、怖さが少し薄まるからだ。


 健一さんはため息を吐く。


「好きにしろ」


 佐野が小さく笑った。


「分かった。……宮本くん」


 俺に向けて呼ぶ。


「今日の協力、助かった。君の“右寄り”がなければ、立ち位置の線が太くならない」


「……はい」


 礼を言われても素直に喜べない。嬉しさより先に、背中に残る冷たさの方が大きい。


 俺は言った。


「アリスのこと、深掘らないでください」


 言ってしまった。言うつもりはなかったのに、口が先に動いた。守りたい気持ちが強すぎて、飛び出した。


 佐野は一拍置いて、淡い声で返した。


「深掘りたい。でも、今は優先度が低い」


 言い方が最悪だった。掘りたい、って言い切るな。俺の中で苛立ちが立ち上がる。


 佐野は続ける。


「ただ、矛盾がある。矛盾は仕事を呼ぶ。……天音アイラの件は偶然雑誌で見つけただけ。でも偶然でも、矛盾は増える」


 俺は奥歯を噛む。深入りしてほしくない。でも、既に“興味”は動いている。


 佐野が気だるげに肩を落とした。


「安心して。太刀川さんが止めるって言った以上。私は依頼者に従う」


 どこまで本当か分からない。でも、今はその言葉に縋るしかない。


 健一さんが俺に言った。


「帰ろう。……アリスが待ってる」


 その言葉で、俺の胸が少しだけ温かくなった。待ってる。そこに戻る場所がある。


 ※ ※ ※


 太刀川家の前まで来ると、窓の灯りが見えた。


 あの灯りの下に、アリスがいる。そう思うだけで、足取りが少しだけ軽くなる。玄関を開けると、恵さんが出てきて「おかえり」と迎えてくれた。


 リビングに入ると、アリスがソファから立ち上がった。表情が硬い。待っていた時間の不安がそのまま顔に出ている。


「隆太郎……」


「帰ってきた」


 俺が言うと、アリスはほっとしたように息を吐いた。けれど、すぐに眉が寄る。


「どうだった?」


 俺は一瞬迷った。情報をどこまで渡すか。怖がらせすぎない。でも、隠しすぎない。難しい。


 俺は要点だけにした。


「映像で、腕の動きが似てる。別件と繋がる可能性が上がった。佐野さんは警察に情報提供する」


 アリスの顔色が少し落ちる。


「……犯人、まだいるんだね」


「いる可能性が高い」


 俺が答えると、アリスは小さく頷いた。頷きながら、俺の袖を掴む。


「……ねえ、隆太郎」


「ん」


「今日、好きって言うって言った」


 約束を覚えていた。可愛すぎて、胸がきゅっとなる。


「言う」


 俺は短く言ってから、ちゃんと目を見て言い直した。


「好きだよ」


 アリスの頬がほんの少し赤くなって、目が潤む。怖さと安心が混ざっている顔。


「……うん。じゃあ、少しだけ大丈夫」


 少しだけ。それでいい。少しずつ積む。今日の安心を一つ積む。明日も積む。そうやってしか、戻れない。


 俺はアリスの手を握ったまま、心の中で一つだけ確認した。


 犯人の影は濃くなった。

 そして、佐野の興味も濃くなった。


 この二つが同時に進む限り、俺たちは守り方を間違えたら一気に崩れる。


 だから、明日も油断しない。

 でも、怖さだけで終わらせない。


 アリスが少し笑えるように、俺はちゃんと隣にいる。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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