報道の先にあるモノ
その夜に流れたニュースは、音だけが妙に鮮明に残った。
アナウンサーの落ち着いた声。テロップの無機質な文字。映像の粗さ。現場付近を映すだけで、核心には触れない距離感。なのに「連続」「事件性」「捜査」という単語だけが、人の神経を鋭くする。
俺は太刀川家のリビングで、アリスの手を握ったまま画面を見ていた。握っていないと、こっちの心が浮いてしまいそうだった。
テレビの中の世界は、遠いはずだ。
でも、朝日を突き落とした“誰か”がそこに繋がっているかもしれない、と思った瞬間、遠さが消える。空気が冷える。背中に、見えない指が這う感じがする。
ニュースが終わり、番組が別の話題に切り替わっても、部屋の空気だけが切り替わらない。健一さんがリモコンを置き、短く言った。
「……寝ろ。今日は」
恵さんが頷く。
「うん。今夜はもう、頭を休めた方がいい」
そして、恵さんは続けて湯呑みを手にしたまま、静かに言った。
「怖い情報ほど、夜に抱えると増幅するわ。明日、整理して動きましょう」
正論だった。正論だから余計に難しい。人は“明日”にできることがあっても、今夜の不安が止まらない。
アリスは小さく息を吐いて、俺の袖を掴んだ。
「……隆太郎、帰る?」
「帰る。……でも、少しだけここにいる」
アリスの表情がほんの少し緩む。俺はその緩みを見て、胸の奥が温かくなるのと同時に痛くなる。守ると言いながら、俺は万能じゃない。それでも“いる”くらいはできる。
そのタイミングで、健一さんのスマホが震えた。画面を見た健一さんの表情が変わる。
「佐野だ」
通話がスピーカーに切り替わる。淡い声が部屋に落ちた。仕事の温度。
『ニュース、出たね。……今の報道は薄い。けど、警察の動きは早い』
「お前はどう見た」
『犯人像は、今夜の情報だけでも“快楽寄り”に寄る。無駄がない。現場が綺麗。……同じ匂いがする』
同じ匂い。朝日の件と。
恵さんが喉を鳴らす。
『それと、明日。学校の周辺のカメラの確認にもう一回行く。協力者が一人必要』
健一さんが短く言った。
「俺が行く」
『できれば、宮本くんも。彼は“最後に見た地点”の感覚がある』
胸がひやりとする。俺の感覚を使う。俺を道具みたいに扱われるのが嫌なのに、必要と言われると断りづらい。
健一さんが一拍置いて言った。
「……隆太郎くんは俺が判断する」
『了解』
佐野はあっさり引いた。引いたように見えるけど、引き際が上手いだけだ。
『じゃ、また明日』
通話が切れる。
部屋の中に残ったのは、しんとした静けさだった。
俺はアリスの手を握り直した。
「……朝日」
名前を呼ぶと、アリスは少しだけ目を見開いて、すぐに頷いた。
「うん」
朝日、という呼び方は、彼女を今の場所に繋ぎ止める。留学生の仮面じゃなく、“俺が知ってる朝日”として受け止められる。彼女にとっても、それが息継ぎになるのが分かった。
恵さんが少しだけ笑って言った。
「朝日、今日はここで寝なさい。隆太郎くんも、無理しないで帰ってね」
健一さんが俺を見る。
「送る」
「……ありがとうございます」
断る理由はなかった。今は安全を優先する。
※ ※ ※
自宅に戻る車内は、静かだった。
健一さんは余計なことを言わない。だからこそ、こっちの頭の中が勝手に喋り出す。ニュースの単語、佐野の声、アリスの震える指先。全部が繋がって、悪い想像だけが育つ。
家の前に着くと、健一さんがハンドルを握ったまま言った。
「隆太郎くん」
「はい」
「明日、佐野が言った件。お前に負担が大きいなら断る。俺がやる」
その言葉に、少しだけ救われた。健一さんは俺の気持ちを尊重してくれる。アリスのことを“任せた”と言うだけじゃなく、俺が壊れないようにも気を配る。
「……俺、行きます」
俺は言った。
「全部じゃないですけど、できることがあるなら」
健一さんが一度だけ頷いた。
「無理はするな。必要なことだけやれ」
「はい」
玄関の鍵を開けて家に入ると、母さんが起きて待っていた。今日だけじゃない。最近ずっと、母さんの眠りは浅いんだと思う。
「おかえり。大丈夫?」
「……大丈夫。ニュースは……嫌だった」
「そうね」
母さんは否定しなかった。否定しないことが、今はいちばんありがたい。
母さんは小声で言った。
「明日、佐野さんと動くの?」
「健一さんが判断するって言ってた。……たぶん行く」
「なら、朝ごはんちゃんと食べて。頭が回らないと、余計なこと言っちゃう」
母さんはいつも現実的だ。そういう現実が、俺を支える。
※ ※ ※
翌朝。
俺は徒歩で学校へ向かった。アリスと合流するのは、いつも通り駅前じゃない。家が近いから、通学路の途中で自然に合流できる。こっちの方が、俺たちには安心だった。人通りがあり、ルートの選択肢も多い。
太刀川家の前を通ると、朝日が門のところで待っていた。制服姿。髪はまとめている。眠そうなのに、俺を見ると少しだけ笑った。
「隆太郎」
「おう」
正体を知っている俺たちだけの場だから、名前で揺らさない。朝日、と呼びたいのを堪える必要がない。
「昨日、眠れた?」
「途中で起きた。でも……前よりは」
「そっか」
並んで歩く。学校へ向かう道は、見慣れているはずなのに、今日はやけに長く感じた。ニュースのせいか、佐野のせいか、それとも“犯人”という概念が現実の重さを増したせいか。
「ねえ、隆太郎」
「ん?」
「天音アイラ……って名前、変だよね」
唐突だった。だけど、朝日の頭の中には昨夜の“雑誌の子”が残っているんだろう。怖いものほど、名前から離れない。
「変っていうか、……普通じゃねえの」
「普通かぁ……」
朝日は少しだけ唇を尖らせた。
「私さ、あの子のこと、見てないのに、見た気がする」
その言い方に、俺は背筋が少しだけぞくっとした。
「見た気がする?」
「うん。……顔とかじゃなくて、雰囲気。説明できない」
説明できない違和感。アリスが言うと、妙に重い。転生という異常が現実に起きている以上、“説明できない”はただの気のせいじゃ片付けづらい。
けれどここで、変に話題を掘り下げるのは危険だ。アリスが不安になる材料を増やしたくない。
「……気のせい、って言うと嫌か」
俺が慎重に言うと、朝日は少し考えてから頷いた。
「嫌。……でも、今は深く考えたくない」
「なら、深く考えない」
アリスはほっとしたように息を吐いた。
学校に着くと、いつも通りの騒がしさが俺たちを飲み込んだ。授業、ノート、先生の声。体は疲れる。でも、頭が現実に戻る。
放課後、俺たちは一緒に下校した。今日は寄り道をしない。昨日のニュースのあとだ。さすがに“普通”を演出するより、安全を優先した。
太刀川家の近くまで来たところで、アリスが歩幅を落とした。
「……今日、佐野さん来るんだよね」
「たぶん」
「隆太郎、連れていかれない?」
昨日より少しだけ子どもっぽい言い方だった。アリスの不安が漏れている。
「連れていかれない。俺が行くなら、自分で行く」
「……それ、安心するようで安心しない」
「じゃあ言い直す」
俺は足を止めて、アリスの正面に立った。
「俺は、お前のとこに戻る」
アリスは目を瞬かせて、それから小さく笑った。
「うん。……じゃあ大丈夫」
その返事が出るなら、まだ持ちこたえられている。
※ ※ ※
夕方、健一さんからメッセージが来た。
『佐野と18:30。学校周辺の映像確認。隆太郎くんは来れる?』
俺はすぐに返信した。
『行けます』
アリスは太刀川家の玄関前で待っていた。俺の返信を見て、少しだけ唇を噛んだ。
「……行くんだ」
「行く。すぐ戻る」
「……うん。いってらっしゃい」
その言い方が、妙に大人びて聞こえた。送り出す言葉に“我慢”が混じっている。
俺はその我慢を見ないふりができなくて、思わず言った。
「帰ってきたら、ちゃんと好きって言う」
アリスの目が丸くなる。
「え、なにそれ」
「先に予約」
「……ずるい」
「ずるいのは俺の役目」
アリスが小さく笑った。その笑いが、俺の背中を押した。
犯人の影を追うために。
そしてアリスを、ちゃんと現実の中に繋ぎ止めるために。
俺は健一さんの待つ場所へ向かった。
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