ブロックしないで
始業式の翌日から、学校はあっさり“日常”に戻った。
授業が始まって、課題が出て、休み時間にくだらない話が飛び交う。夏休み明けのテンションが残っている連中もいれば、最初から冷めた顔で机に突っ伏しているやつもいる。俺は基本そっち側だ。騒ぐのは得意じゃない。
ただ、今年の“だるさ”は少し質が違った。
気が抜けない。
教室の笑い声の中にいても、頭の隅が勝手に外側を気にする。校門の外、駅前、帰り道の角。田村の件で一度身についた警戒が、佐野雪芽という別の種類の存在にも反射で反応してしまう。
田村は感情で踏み込んできた。だから、枠と誓約で止められた。
佐野は違う。仕事の合理性で踏み込んでくる。止まるとしたら、こちらが線を引いたからじゃなく、本人が「今は必要ない」と判断した時だ。そこが怖い。
※ ※ ※
放課後、俺とアリスは駅へ向かう道を歩いていた。
太刀川家は引っ越してきて、俺の家の近くにある。だから帰り道が完全に別になるわけじゃない。途中の交差点で分かれるだけだ。それでも最近、アリスはその交差点の手前で、ほんの少しだけ歩幅を落とす。
別れる瞬間が、まだ怖い。
「今日、帰ったら何する?」
アリスが話題を作るみたいに聞いた。
「宿題。あと、数学少し」
「えらい」
「えらくない。やらないと詰む」
「言い方」
アリスがくすっと笑う。笑いが出るだけで、俺の胸は少し軽くなる。
そのタイミングで、スマホが震えた。
ポケット越しの振動だけで、身体が一瞬で固くなる。通知音は切っているのに、嫌な汗が浮く。俺はすぐ画面を見ず、まずアリスの表情を確認した。
アリスも気づいていた。視線が俺のポケットに吸い寄せられている。
「……また?」
小さな声。言わなくても分かっている名前を、わざと口にしない声。
俺はできるだけ軽く言った。
「確認するだけ」
歩道の端に寄ってスマホを見る。
『佐野雪芽:今、二分。駅前の自販機のとこ。』
短い。断りを想定していない文面。腹が立つより先に、背筋が冷えた。
アリスが俺の顔を覗き込む。
「佐野さん?」
「……うん」
アリスの頬がすっと固くなる。怒りというより、不安と警戒が同時に立ち上がった顔。
「行くの?」
その二文字が重い。行く=佐野に付き合う、という意味だけじゃない。アリスにとっては、“隆太郎が自分のいないところへ連れていかれる”のに近い。
俺は少しだけ迷った。
無視し続けるのが一番いい。でも、健一さんの依頼で調査は進んでいる。俺の記憶が必要なら、協力しないと調査が遅れる。健一さんの気持ちが折れるのも嫌だった。
けれど、アリスの心を削ってまで協力するのは本末転倒だ。
俺が迷っていると、アリスが先に言った。
「……私も行く」
即答だった。昨日より声が強い。
「駅前、混むだろ」
「混むから行く。人がいる方が安心」
正論で返されると弱い。確かに二人きりの場所で会うより、雑踏の中の方がましだ。
「分かった。一緒に行く」
俺が答えると、アリスはほっとしたように息を吐いた。でもすぐに、少し拗ねた顔をする。
「……隆太郎」
「ん?」
「私が言わなかったら、一人で行きそうだった」
刺さった。図星だったから。
「……悪い」
「謝らないで。隆太郎が悪いって言ってるわけじゃない」
アリスは言いながら、俺の袖を掴む。
「ただ、私、まだ怖いの。置いていかれるのが」
田村の件の余韻が残っている。取られる恐怖というより、世界が勝手に踏み込んでくる恐怖。その入口に俺がなるのが怖い。
俺は袖を掴む手の上からそっと手を重ねた。
「置いていかない」
短く、はっきり言う。
アリスが小さく頷いた。
※ ※ ※
駅前の自販機のあたりは、人通りが多かった。
学生、会社員、買い物帰りの人。雑音が多い。だからこそ、ここなら佐野も露骨には踏み込みにくい――はずだった。
佐野はいた。
自販機の横に、壁にもたれるみたいな立ち方で。紙コップのコーヒーを持っていて、相変わらず気だるげに見える。なのに俺たちが近づいた瞬間だけ、目の焦点が合う。仕事の目だ。
「……来たぞ」
挨拶がない。
「用件は」
俺が聞くと、佐野は短く頷いた。
「二つ。短いからね」
視線が一瞬アリスに行きかけるが、すぐ俺に戻る。今日はまず俺から崩すつもりらしい。
「駅前広場、東口。改札出て右にコンビニ、左にバス停。……どっち寄り?」
俺は記憶を探る。思い出の輪郭が痛みと一緒に揺れる。
「……右寄り。コンビニの看板が見えてた」
佐野は頷き、スマホに短く打ち込む。
「二つ目。朝日は改札へ。君は徒歩で反対方向。……君が振り返ったかどうか」
「振り返ってない」
俺は即答した。振り返っていたら、と何度も考えた。だから即答できる。
「……うん」
佐野が淡く息を吐く。
「じゃあ、質問終わり」
終わり――のはずだった。
けれど佐野は紙コップを持ち替え、アリスに視線を向けた。目が、また“測る”目になる。
「白金さん」
アリスが一瞬だけ肩を硬くする。でも、声は出た。
「……はい」
「今日、学校どうだった」
意外な質問だった。事件と直接関係がなさそうな、日常の質問。だからこそ怖い。普通を挟んで距離を詰めるやり方は、田村もやっていた。
俺が口を挟もうとしたが、アリスが先に答えた。
「普通でした。始業式、長かったです」
返しが上手い。軽く、でも壁がある。
佐野が少しだけ口角を上げた。
「……感想が高校生だな」
「高校生なので」
アリスがきっぱり言う。俺は内心で少し笑った。
佐野はそれ以上踏み込まず、視線を俺に戻した。
「ありがとう。今日はこれで」
そう言って去ろうとする。
去るなら助かる――と思った瞬間、佐野が振り返って俺だけに小さく言った。
「……宮本くん。連絡先、ブロックしないで」
声が淡いのに圧がある。胸がひやりとした。
「ブロックする理由、あります?」
俺が聞き返すと、佐野は気だるげに眉をわずかに動かした。
「必要だから」
それだけ。
俺は一歩も引かずに言った。
「必要なら健一さん経由で。俺はそう言いました」
佐野は一拍置いて、ふっと息を吐いた。
「……分かった。じゃあ今後は健一さん経由にする。今日は、急ぎだったから直接」
納得したような口ぶり。でも、信用しきれない。
佐野はそれ以上何も言わず、雑踏に溶けていった。
アリスが小さく息を吐く。
「……帰ろ」
「うん」
帰り道、交差点の手前でアリスがまた歩幅を落とした。
「隆太郎」
「ん?」
「さっきの、“ブロックしないで”って……ずるい」
「ずるいな」
「仕事って顔して、ずるい」
アリスの言葉に、俺は苦笑した。分かる。正当性を持って踏み込むのは、拒絶しにくい。
俺は交差点の手前で立ち止まり、アリスの方を向いた。
「でも、俺は俺の線を守る」
「……守れる?」
「守る。お前が不安になるなら、なおさら」
アリスは少しだけ照れた顔になって、視線を逸らした。
「……じゃあ、今日も言って」
「何を」
「好きって」
小さくて可愛い要求。だけど、こういうのは軽く扱わない方がいい。アリスは“不安の穴”を言葉で埋めてほしいんだ。
「好きだよ」
俺が言うと、アリスがふっと笑った。
「うん。じゃあ大丈夫」
交差点で、アリスは太刀川家の方向へ歩き出す。俺も自宅の方向へ向かう。距離は近い。でも別れる瞬間は、やっぱりまだ少しだけ胸が痛い。
それでも、今日は昨日より痛みが薄かった。
少しずつ、日常を取り戻している。
そう信じて、俺は歩いた。
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