再会の後の余韻
再会の涙が落ち着いた後、リビングには穏やかな空気が流れていた。
恵さんは、アリスの隣に座って、ずっとその手を握っていた。まるで、離したら消えてしまうのではないかと恐れているように。時折、アリスの顔を見つめては、涙を流し、また笑顔を浮かべる。その繰り返しだった。健一さんは、少し離れた場所に座っていたが、その目は、ずっとアリスを見つめていた。言葉は少ないが、その眼差しに込められた愛情は、誰の目にも明らかだった。
俺と母さんは、ソファに座って、その光景を静かに見守っていた。何か言葉をかけるべきか迷ったが、今は、この三人の時間を邪魔すべきではないと思った。ただ、そこにいること。それだけで、十分だった。
やがて、恵さんが口を開いた。
「朝日……本当に、本当に、朝日なのね」
その声は、まだ信じられないという驚きと、でも確かに信じているという確信が混じっていた。
「うん。お母さん、私、朝日だよ」
アリスが、優しく答えた。その声は、もう「白金アリス」としての声ではなかった。太刀川朝日としての、娘としての声だった。
「姿は変わっちゃったけど……」
「いいのよ」
恵さんが、アリスの頬に手を添えた。
「姿なんて、関係ない。あなたが朝日なら、それだけでいい」
恵さんの目から、また涙がこぼれた。でも、それは悲しい涙ではなかった。
「死んだと思ってた。もう二度と会えないと思ってた。でも……神様が、もう一度チャンスをくれたのね」
「うん」
アリスが頷いた。
「私も、信じられなかった。目が覚めたら、姿が変わってて、でも記憶は全部あって」
アリスが、自分の手を見つめた。
「最初は混乱したけど、すぐに分かった。神様が、もう一度お母さんとお父さんに会えるチャンスをくれたんだって」
「朝日……」
恵さんが、またアリスを抱きしめた。今度は、優しく、そして長く。
健一さんが、立ち上がった。そして、アリスの前に来た。黙って、アリスの頭に手を置いた。大きな手が、金髪を優しく撫でる。
「お父さん……」
アリスが、健一さんを見上げた。
「おかえり」
健一さんが、短く言った。でも、その言葉には、全ての感情が込められていた。
「ただいま、お父さん」
アリスが、泣きながら笑った。
※ ※ ※
しばらくして、恵さんが「お茶、淹れ直すわね」と言って、立ち上がった。アリスも「手伝う」と言って、一緒にキッチンに向かった。母さんも「私も」と言って、三人でキッチンに消えていった。
リビングに、俺と健一さんだけが残された。
健一さんが、俺の向かいに座った。しばらく、二人とも黙っていた。でも、その沈黙は、決して気まずいものではなかった。
「隆太郎くん」
健一さんが、口を開いた。
「はい」
「朝日のこと……いつから知ってたんだ?」
「転生してすぐです。最初に会った時から、そして、俺の家にホームステイすることになって……」
俺は、正直に答えた。
「朝日が、自分から話してくれました」
「そうか」
健一さんが、小さく頷いた。
「辛かっただろう。一人で、その秘密を抱えて」
「……はい」
俺は、認めた。
「でも、朝日が一番辛かったと思います。両親の近くにいながら、名乗れないことが」
「ああ」
健一さんが、深く息を吐いた。
「あの子は……いや、朝日は、強い子だ。昔から、泣き虫だったくせに、いざという時は強かった」
健一さんの目が、遠くを見ていた。
「小さい頃、転んで膝を擦りむいても、泣きながら『大丈夫』って言ってた。中学の時、部活で失敗して落ち込んでても、次の日にはまた笑顔で練習してた」
健一さんが、少し笑った。
「そういう子だった。だから……今回も、きっと一人で抱え込んでたんだろうな」
「はい」
俺は頷いた。
「でも、もう大丈夫です。これからは、健一さんたちも、朝日を支えられます」
「ああ」
健一さんが、俺を見た。
「隆太郎くん、改めて言う。朝日を、頼む」
「はい」
俺も、健一さんを見た。
「必ず、守ります」
健一さんが、満足そうに頷いた。
キッチンから、笑い声が聞こえてきた。三人の女性の、明るい笑い声。その声を聞いて、健一さんが小さく笑った。
「久しぶりだな、この声」
「え?」
「恵の、あんな笑い声。朝日が死んでから、聞いてなかったよ」
健一さんが、キッチンの方を見た。
「あいつ、ずっと無理してた。俺の前では笑ってたけど、一人の時は泣いてた。夜中、何度も目を覚まして、朝日の部屋を見に行ってた」
健一さんの声が、少し震えた。
「俺も、辛かった。でも、恵を支えなきゃいけないから、泣けなかった」
「健一さん……」
「だから……朝日が帰ってきてくれて、本当に……本当に良かった」
健一さんが、目を閉じた。その目から、一筋の涙が流れた。
俺は、何も言えなかった。ただ、黙って座っていた。
※ ※ ※
恵さんとアリスと母さんが、お茶とお菓子を持って戻ってきた。五人でテーブルを囲んで、お茶を飲んだ。
恵さんが、アリスに色々なことを聞いた。転生した時のこと。目が覚めた時の気持ち。記憶が全部残っていた時の驚き。隆太郎との再会。俺の家での生活。学校のこと。友達のこと。全部、全部、聞きたかったのだろう。三ヶ月も離れていた娘のことを、全部知りたかったのだろう。
アリスは、一つ一つ丁寧に答えた。もう敬語ではなく、娘としての言葉で。時々、俺や母さんが補足する。そうして、少しずつ、この三ヶ月の空白が埋まっていった。
「それで、隆太郎くんと付き合ってるの?」
恵さんが、少しいたずらっぽく聞いた。
「うん」
アリスが、顔を赤くしながら答えた。
「隆太郎が、ずっと支えてくれた」
「そう」
恵さんが、俺を見た。
「隆太郎くん、ありがとうね」
「いえ……」
俺も、顔が赤くなった。
「でもね、朝日」
恵さんが、少し真剣な顔になった。
「これから、どうするの?」
「え?」
「だって、朝日は今、宮本家で暮らしてるんでしょ?」
恵さんが、母さんを見た。
「このまま、宮本家にいるの? それとも……」
その言葉に、リビングの空気が、少し重くなった。そうだ。これは、避けて通れない問題だ。アリスは、これからどこで暮らすのか。
アリスが、俺と母さんを見た。その目に、不安が浮かんでいた。
「あの……」
アリスが、恵さんを見た。
「私……できれば、宮本家にいたい」
恵さんが、少し驚いたような顔をした。
「どうして?」
「だって……隆太郎がいるから」
アリスが、俺を見た。
「隆太郎と、一緒にいたい」
その言葉に、恵さんが少し寂しそうな顔をした。でも、すぐに笑顔を作った。
「そう……そうよね。隆太郎くんが好きなんだもんね」
「でも!」
アリスが、慌てて言った。
「でも、お父さんとお母さんにも、会いたい。たくさん、会いたい」
「朝日……」
「だから……その……」
アリスが、言葉を探していた。どう言えばいいのか、分からない様子だった。
「毎日、会いに来てもいい?」
アリスが、恵さんを見た。
「学校が終わったら、ここに来て、お母さんと話して。夕飯も、一緒に食べて。それで、夜は宮本家に帰る」
「朝日……」
「ダメ?」
アリスが、不安そうに聞いた。
恵さんが、健一さんを見た。健一さんが、小さく頷いた。
「いいわよ」
恵さんが、優しく笑った。
「毎日、来てちょうだい。お母さん、待ってるから」
「本当!」
アリスが、嬉しそうに声を上げた。
「ありがとう!」
「でも、無理はしないでね」
恵さんが、アリスの頭を撫でた。
「学校もあるし、宿題もあるでしょ? だから、来られる時に来てくれればいいから」
「うん!」
アリスが、大きく頷いた。
「あの、百合子さん」
恵さんが、母さんを見た。
「こんなこと、お願いしてもいいのかしら……」
「いいですよ」
「朝日を……これからも、よろしくお願いします」
恵さんが、深く頭を下げた。
「私たちの大切な娘を、預けます」
「恵さん……」
母さんが、恵さんの手を取った。
「朝日ちゃんは、私にとっても大切な子です。安心してください」
「ありがとうございます」
恵さんが、涙を流しながら笑った。
健一さんも、母さんに頭を下げた。
「百合子さん、隆太郎くん。改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
母さんと俺が、同時に答えた。
※ ※ ※
その日は、夕方まで太刀川家にいた。
アリスは、自分の部屋を見せてもらった。引っ越しても、朝日の部屋だけは、ちゃんと作ってあった。遺影も、そこに飾ってあった。アリスは、自分の遺影を見て、複雑な顔をしていた。
「不思議な気分」
アリスが、呟いた。
「自分の遺影を見るなんて」
「でも、もう遺影じゃないわ」
恵さんが、遺影を手に取った。
「だって、朝日は生きてるもの」
恵さんが、遺影を仏壇にしまった。
「これからは、写真立てに入れて、リビングに飾るわ」
「お母さん……」
「だって、娘の写真でしょ? 仏壇じゃなくて、リビングに飾らないと」
恵さんが、笑顔で言った。
帰り際、恵さんと健一さんが、玄関まで見送ってくれた。
「また来てね、朝日」
「うん! 明日も来る!」
アリスが、嬉しそうに答えた。
「いつでもいいのよ。お母さん、待ってるから」
「うん!」
健一さんが、アリスの頭を撫でた。
「気をつけて帰れよ」
「うん、お父さん」
アリスが、健一さんを抱きしめた。健一さんも、アリスを抱きしめ返した。
「また明日」
「ああ、また明日」
三人で、太刀川家を後にした。
帰り道、アリスはずっと笑顔だった。時々、嬉しそうにスキップをした。その姿を見ながら、俺も、母さんも、笑顔になった。
「良かったね、朝日ちゃん」
母さんが、優しく言った。
「うん! 本当に良かった!」
アリスが、俺の腕にしがみついた。
「隆太郎、ありがとう。ずっと支えてくれて」
「当たり前だろ」
俺が言うと、アリスは嬉しそうに笑った。
「これから、お父さんとお母さんにも会える。隆太郎とも一緒にいられる」
アリスが、空を見上げた。夕焼けが、綺麗だった。
「私、幸せ」
その言葉を聞いて、俺の胸が温かくなった。
夏の夕暮れ。三人の影が、長く伸びていた。これから、新しい日常が始まる。太刀川朝日としても、白金アリスとしても生きる日常が。でも、それは決して矛盾しない。どちらも、本当のアリスなのだから。
俺は、アリスの手を握った。アリスも、握り返してくる。その手は、温かかった。
これからも、ずっと一緒だ。そう思いながら、俺たちは家に向かって歩いていった。
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