7話 足りない1人
「……足音」
「人か?」
「複数。走ってる」
そして、別の音。
重い。地面が揺れる。四足じゃない。二足で、重い。
「オーガだ」
俺が言うと、カイルの目が少しだけ鋭くなった。
ゴブリンと違って、オーガは浅い森に出るべきじゃない。出るとしたら、追われているか、餌を探しているか。どちらにせよ、遭遇は運が悪い。
「行くか?」
カイルが聞く。
俺は一瞬だけ迷った。
助ける義理はない。だが、放置する理由も薄い。
そして――商人としては、こういう偶然が一番値段を上げる。
「行け」
俺は短く言った。
「ただし、無理はするな。死んだら安い」
「それ、冗談か?」
「半分な」
カイルは笑わず、走り出した。
俺も少し遅れてついていく。距離を取りつつ、見える位置を保つ。観察を捨てるつもりはない。
木々の間を抜けると、開けた場所に出た。
そこにいたのは、冒険者のパーティーだった。
三人。前衛、後衛、回復役らしい女。
前衛が膝をついている。血が見える。盾が割れている。
そして、オーガが一体。
筋肉の塊みたいな巨体。棍棒を持ち、動きは鈍いが一撃が重い。
パーティーの後衛は矢を放っているが、決定打になっていない。回復役は前衛を支えながら、次の一撃を恐れている。
「下がれ!」
カイルの声が響いた。
冒険者たちが振り向く。
一瞬、状況が止まる。
オーガが棍棒を振り上げる。
前衛が盾を構えようとするが、盾はもう使い物にならない。
カイルが滑り込む。
棍棒の軌道に対して、真正面に入らない。斜めから、肩の位置へ。
剣が走る。刃が肉を裂く。
オーガが吠えた。
怒りの声だ。痛みより、苛立ち。オーガは傷ついても簡単には倒れない。
「誰だ!」
後衛の男が叫ぶ。
「黙って下がれ!」
カイルが返す。
余計な説明はない。
オーガがカイルに向き直る。
棍棒を横薙ぎに振る。
カイルは半歩下がり、木の幹を背にしない位置で避ける。避けるだけじゃない。避けながら距離を詰める。オーガの懐へ入れば、棍棒は振り回しにくい。
「近い!」
回復役の女が声を上げた。
カイルは聞かない。
聞く必要がない。
オーガの膝裏へ一撃。
次に足首。
巨体がぐらつく。
棍棒が振り下ろされる。
地面が抉れ、土が跳ねる。
カイルはその土煙の中に入った。
見えなくなる。だが、音で分かる。
刃が肉を切る音。息を吐く音。オーガの呻き。
土煙が晴れた時、オーガの喉から血が噴き出していた。
カイルの剣は、喉元に突き立っている。
オーガが倒れた。
地面が揺れる。森の静けさが、戻ってくる。
冒険者たちが、呆然としていた。
「助かった……」
前衛の男が、掠れた声で言う。
カイルは剣についた血を払う。
息は乱れていない。腕も震えていない。やはり戦闘慣れしている。
「怪我は?」
カイルが聞く。
「前衛がやられた」
後衛の男が答える。
「盾が割れて、腕も……」
回復役が慌てて言う。
「今、止血はしています。でも……このままじゃ街まで……」
カイルは俺を見る。
俺は肩をすくめる。
「助けたのはお前だ。後は好きにしろ」
「……分かった」
カイルは前衛に近づき、状況を確認する。
手際がいい。治療はできないが、動かせるかどうかの判断はできる。
その時、後衛の男の視線が、カイルの首元に移った。
奴隷印。隠していない。隠す意味がない。
「……奴隷か?」
男が言った。
カイルが一瞬だけ眉を動かす。
それから、平坦に答えた。
「そうだ」
空気が変わった。
感謝はある。だが、距離が生まれる。現実が戻ってくる。
俺が前に出る。
「所有者だ」
そう言うと、三人の視線が俺に集まった。
「……あんたが連れてるのか」
「そうだ。仮登録で森に入った」
「仮登録で、オーガを?」
後衛の男が呆れたように言う。
「オーガは依頼じゃない」
俺は淡々と返す。
「偶然だ」
前衛の男が、カイルを見た。
それから、苦笑して言う。
「……前衛が一人、足りないんだ」
「見れば分かる」
「うちに入ってくれ。頼む」
言葉が真っ直ぐだ。
追い詰められている連中の頼み方だ。
カイルが口を開く前に、俺が言った。
「無理だ」
「……なんでだ」
「奴隷だからだ」
回復役の女が眉をひそめる。
「助けたことと、加入できることは別だ」
俺は事実だけを言う。
「ギルド規約で、仮登録の奴隷はパーティー加入不可」
後衛の男が歯噛みした。
そこに続けて、言葉を吐く。
「簡単だ」
俺は、口角だけ上げる。
「欲しいなら、買え」
三人が固まる。
商売の話をする空気じゃないのは分かっている。
だが、空気は空気だ。現実は現実だ。前衛が足りないなら、埋める方法は二つしかない。拾うか、金で取るか。
前衛の男が、苦しそうに息を吐いた。
「……身請けってやつか」
「そうだ」
カイルは黙っている。
否定もしないし、肯定もしない。自分の価値を決めるのは自分じゃないと知っている顔だ。
回復役の女が、前衛の肩を支えながら言った。
「街に戻って……話を……」
「戻れるならな」
俺が言うと、後衛の男が睨んできた。
「煽ってんのか」
「現実を言ってるだけだ」
俺は前衛の男を見る。
「お前が倒れたら、交渉相手が減る」
「……嫌な言い方だな」
「商人だからな」
前衛の男が、苦笑した。
苦笑できる余裕があるなら、まだ死なない。
「……分かった」
男が言う。
「街に戻る。戻れたら、話をしよう」
「戻れたら、だな」
俺は頷いた。
カイルが、オーガの死体を一度だけ見た。
その目は冷静だ。勝った目じゃない。生き残った目だ。
俺は森の影を見た。
浅い森は安全、というのは間違っていない。
だが、こういう“ズレ”がある。
掃除の隙間にゴブリンが残り、運の悪いところにオーガが迷い込む。
そのズレに当たった奴が、死ぬ。
今日は当たりだった。
運が良い方の当たりだ。
さて。
前衛の値段は、もう上がった。
あとは――
街に戻ってから、どこまで釣り上げられるか。




