2話 冒険者ギルドと奴隷
レイヴァルトへ着いたその日は、もう動かなかった。
街は大きい。
門を抜けた瞬間から人の流れが途切れず、荷車と怒鳴り声と金属音が絶え間なく混ざっている。初めて来た人間なら、それだけで疲れるタイプの街だ。
だから初日に無理をする意味はない。
商売は勢いより段取りだ。俺は門近くの宿を取り、荷馬車ごと預けた。
値段は安くない。
だが厩と倉がついていて、人の出入りも多い。盗みをやるには目立ちすぎる宿だ。
そういう場所は、逆に安全だった。
部屋は二つ。
男二人と、子供一人。
分けた理由はそれだけだ。
夜は簡単な飯で済ませた。
木の椅子が軋み、皿のぶつかる音が飛び交っている。酒臭い笑い声の横で、別の卓では傷口の話をしていた。
冒険者ばかりだ。
魔物。
依頼。
報酬。
怪我。
飛び交う単語も、空気も似ている。
カイルは黙って話を聞いていた。
グランは酒へ手をつけない。
ノアは飯を食いながら、周囲の卓を妙によく見ている。
子供らしくない視線だった。
「明日は早い」
俺が言うと、カイルは椅子へ深く腰掛けたまま頷いた。
「分かってる」
返事は短い。
だが、もう傭兵時代の顔になっていた。
翌朝。
街はすでに動いていた。
露店が並び始め、職人街の方からは金属を打つ音が響いてくる。焼きたてのパンの匂いに混ざって、煤と油の臭いも流れていた。
朝が早い街は、金の回転も早い。
宿を出る前に、俺は荷を確認した。
荷馬車の奥から、細長い包みを取り出す。
布を解くと中から出てきたのは、細身の剣だった。
装飾はなく、柄も地味だ。だが重さのバランスは悪くない。
前の取引で受け取った物だが、手入れはされていた。
「これを使え」
カイルへ差し出す。
その瞬間、周囲の視線が少し動いた。
宿の前だ。朝帰りの冒険者もいるし、荷運びも通る。
奴隷へ武器を渡す光景は、やはり目立つ。
「いいのか」
カイルが聞く。
「逃げられるぞ」
「逃げるなら、とっくに逃げてる」
俺は肩をすくめた。
「それに、武器を持たせない前衛に価値はつかない」
カイルは剣を受け取る。
鞘から半分だけ抜き、刃を見る。朝日が鈍く反射した。その手つきに迷いはない。何度も武器を握ってきた人間の動きだった。
「刃こぼれはない。森用だ」
「……慣れてるな」
「商売だからな」
俺は荷馬車へ寄りかかる。
「街の中では抜くな」
「分かってる」
「ギルドで登録が通ったら、正式に預ける」
カイルが眉を動かした。
「預ける?」
「管理だ。所有は俺、使用はお前」
「細かいな」
「揉めるのが嫌いなんだ」
半分は本音だった。
奴隷に武器を持たせること自体は禁止されていない。
だが問題を起こした時、責任は全部所有者へ来る。
だから大半の商人は嫌がる。
面倒だからだ。
「一つだけ言っとく」
俺はカイルを見る。
「壊したら値段が下がる」
カイルが小さく笑った。
「……善処する」
軽口みたいだった。だが、半分は本気だろう。
剣を腰へ差した瞬間、周囲の視線が変わった。
奴隷を見る目じゃない。
闘える人間を見る目だ。
これでいい。
商品は使われて、初めて値段がつく。
◇
冒険者ギルドへ向かう途中、何人もの冒険者とすれ違った。
新品同然の鎧を着た若い連中、修理跡だらけの革鎧、包帯を巻いたまま歩いている奴。
全員どこか欠けている。
だから仕事をしている。
「……見られてるな」
カイルが小さく言った。
「当然だ」
「理由は?」
「お前が目立つ」
背が高く、歩き方も違う。極め付けは奴隷の印。それなのに、腰に武器がある。
それだけで、この街では十分目立つ。
冒険者ギルドは分かりやすかった。
石造りの大きな建物。
入口の扉は分厚く、何度も修理された跡がある。
壁には古い傷も残っていた。喧嘩か、魔物か、それとも酔っ払いか。理由はどうでもいい。
壊れても使い続けられてきた建物だった。
扉を開けると空気が変わった。
酒。
革。
汗。
鉄。
色んな臭いが混ざっている。
人は多い。だが市場みたいな騒がしさではない。
依頼書を睨む者、装備を点検する者、眠そうな顔で酒を飲んでいる者。
全員、仕事を探しに来ている顔だった。
掲示板には紙がびっしり貼られている。
その横には、剥がされた跡も大量にあった。
その足で受付へ向かう。職員の男が顔を上げた。
視線が鋭い。場数を踏んでいる顔だった。
「登録か?」
「ああ」
俺は頷く。
「一人だけな」
カイルが前へ出る。
職員は一度カイルを見て、それから俺を見た。
「……戦えるようには見えないな」
「そうか?」
「細い。軽そうだ」
評価としては普通だ。
筋肉だけで生き残れる仕事じゃない。
「傭兵上がりだ」
俺が言う。
職員の目が、カイルの左肩へ向く。
古傷を見た瞬間、空気が少し変わった。
「……なるほど」
納得した顔だった。
そして次に、腰の剣を見る。
「奴隷か?」
「そうだ」
「所有者は?」
「俺」
周囲の空気が、一瞬だけ静かになった気がした。
近くで酒を飲んでいた冒険者が、ちらりとこっちを見る。
だが職員は気にしなかった。
帳面を引き寄せる。
「登録はできる」
「条件は?」
「仮登録。単独行動のみ。パーティー加入は禁止」
「妥当だな」
俺がそう言うと、職員は少し眉を上げた。
文句を言われると思っていたらしい。
「低ランク依頼限定だ」
「問題ない」
「死亡時の責任は?」
「所有者持ちだ」
俺は職員の目を見る。
「俺が全部持つ」
職員は数秒だけ黙った。
それから、ペンを動かしながら言う。
「一つだけ忠告しとく」
「何だ」
「使い潰すな」
手が止まる。
「奴隷だろうが、登録した以上は街の管理下だ」
「……」
「無茶な使い方して問題を起こせば、次はない」
俺は少しだけ口角を上げた。
「安心しろ」
「理由は?」
「壊れた商品は売れない」
職員は一瞬きょとんとした。
それから鼻で笑う。
「……商人だな」
「そうだ」
掲示板へ向かう。
依頼は多い。
薬草採取。
荷運び。
護衛。
討伐。
その中から一枚を剥がした。
近郊の森のゴブリン討伐。
数は少なく、単独でも問題ない。
様子見にはちょうどいい。
「これだ」
職員が依頼書を見る。
「まあ、妥当だな」
「値段を見るには十分だ」
「帰って来れたら、次を考えろ」
「生きて戻ればな」
ギルドを出る。
外の空気が少し軽かった。
酒と鉄の臭いが薄れるだけで、かなり違う。
「制限が多いな」
カイルが言う。
「当たり前だ」
「逃げられないように、か?」
「違う」
俺は歩きながら答える。
「責任の所在をはっきりさせてるだけだ」
カイルは少し考える。
「……俺が死んだら?」
「俺の損だ」
「分かりやすい」
納得した時の声だった。
ギルドから離れるにつれ、街の喧騒が少しずつ遠くなる。
露店の呼び声。
鍛冶場の音。
人の足音。
それらが混ざって、レイヴァルトの輪郭を作っていた。
だが門へ近づくほど、人の流れは減っていく。
街の熱気が薄れ、代わりに森の匂いが混ざり始める。
門の向こうに広がるのは管理された森だ。
討伐証の杭もある。
定期的に掃除もされている。
だが、安全とは違う。
森は、入ってからが本番になる。
俺は門の向こうを見た。
カイルはもう、外へ出る歩き方をしている。
商品じゃない。
前衛の歩き方だ。
さて。
値段をつける準備は、整った。




