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8話 山道の襲撃

森へ入ってから、馬の様子が少し変わっていた。鼻を鳴らす回数が増えている。耳も落ち着かない。

湿った山道を進む蹄の音に混じって、時々低く喉を鳴らした。


昼だというのに薄暗かった。


枝葉が空を覆い、陽光は細く裂けたみたいに地面へ落ちている。

荷馬車の車輪が石を踏むたび、小さく揺れた。

積み荷の木箱が軋み、乾いた音を返す。


空気は冷たい。


湿った土と苔、それに腐葉土の匂いが濃かった。


山の匂いだ。


「この辺りか」


荷馬車横を歩いていたルードが、森の奥を見ながら呟く。


「何がだ」


俺が聞き返すと、ルードは顎だけ前へ向けた。


「盗賊が出るなら」


道幅は狭く、左右の木々も近い。

荷馬車が一台通れる程度しかなく、脇へ逸れる余裕も無かった。上から射掛けられれば厄介だ。


そういう地形だった。


風が吹き、枝葉が揺れ、薄い木漏れ日が地面を流れる。


その瞬間だった。


視界の端で、何かが光る。


矢羽根だった。


白く見えた次の瞬間には、もう目の前まで迫っている。


狙いは――俺。


「ジェイド!」


カイルの声が飛ぶ。


ほぼ同時に、鋭い金属音が森へ響いた。

カイルの剣が横から振り抜かれ、矢を叩き落とす。


弾かれた矢が荷馬車の車輪へぶつかり、乾いた音を立てながら地面を跳ねた。

あと少し遅れていたら、胸へ刺さっていた。


馬が驚いて前脚を鳴らす。荷馬車が大きく揺れた。


「伏せろ!」


ラグスの怒声が飛ぶ。


次の瞬間、左右の森から人影が飛び出してきた。


木々を掻き分ける音。


湿った地面を蹴る足音。


数は6――いや、奥にまだいる。


顔を布で隠した連中だった。持っているのは斧や剣。どれも錆びや傷が目立つ。まともな装備じゃない。


「商隊だ! 殺れ!」


先頭の男が怒鳴りながら突っ込んでくる。


ラグスが真正面からぶつかった。


大盾が鈍い音を立て、盗賊の身体ごと弾き飛ばす。

男は地面を転がり、そのまま木へ叩き付けられた。


骨の折れる嫌な音が遅れて響く。


フェルの矢が飛ぶ。


木陰から顔を出していた盗賊の肩へ突き刺さった。


悲鳴。


枝葉が激しく揺れる。ミレアは既に荷馬車後方へ回っていた。

小盾を構えながら位置を調整している。


回復役だが、前へ出るべきじゃない場面を分かっている動きだった。


「右!」


フィンの声が飛ぶ。


反応したのはカイルだった。

木陰から飛び出してきた盗賊へ、一歩で踏み込む。


剣が振られる。


速い。


陽光が刃を一瞬だけ白く光らせ、その次には男の身体が崩れていた。血が湿った土へ飛び散る。

鉄臭い匂いが風へ混ざった。


ルードは荷馬車横で槍を握ったまま、周囲へ視線を走らせていた。無理には前へ出ない。

代わりに、戦場のように声を飛ばす。


「左後ろ! 二人回ってる!」


ラグスが振り向くより先に盾を動かした。


盗賊の斧が盾へ叩き付けられる。


鈍い衝撃音。


そのまま体勢を崩した男の脇腹へ、ラグスの剣が突き刺さった。盗賊達の動きは荒い。


勢いだけだ。連携も薄い。


数で押し込むつもりだったんだろう。だが、前衛二人の時点で相手が悪かった。


フェルの矢がまた一本飛ぶ。


木陰の奥で短い悲鳴。盗賊側の動きが目に見えて鈍り始める。


「クソ、強ぇぞ!」


誰かが叫んだ。


その声には、もう最初の勢いが無い。

フィンは短剣を握ったまま、荷馬車横から動かなかった。

だが、視線だけはずっと森を追っており、耳も絶えず動いていた。


ライノとミルノも勝手に飛び出さない。


ミルノは荷台の縁を強く掴み、ライノは周囲を見ながら妹を庇う位置へ立っていた。

混乱していないだけでも十分だった。


「逃げるぞ!」


盗賊の一人が叫ぶと、残っていた連中が森へ走った。

枝葉を掻き分ける音が遠ざかっていく。


フェルが追撃しようと弓を構える。


だが、ラグスが手を上げた。


「深追いするな!」


森の奥は暗い。地形も分からない。

逃げる相手を追って踏み込むには危険過ぎる。

やがて足音が消え、周囲は静かになった。


残ったのは血の匂いだけだ。

馬がまだ落ち着かず、低く鼻を鳴らしている。


ラグスが大きく息を吐いた。


「……終わりか」


カイルは黙ったまま剣の血を払う。赤い飛沫が草へ散った。


その横で、フィンはまだ森を睨んでいた。


耳が細かく動いている。


「……もういない」


小さく呟く。


ルードは倒れている死体を足で軽く転がした。

布の下から出てきた顔は若い。痩せている。鎧も粗末だった。


「流れの盗賊だな」


ルードが吐き捨てる。


「敗残兵崩れか、食えなくなった連中か」


フェルが死体の剣を持ち上げる。刃は欠け、柄も擦り減っていた。


「装備が安過ぎる」


「懸賞金かかるレベルの盗賊団じゃねぇな」


ラグスが周囲を見回す。


「完全に食い詰めだ」


ミレアは黙って負傷確認をしていた。


幸い、こちらに大きな怪我は無い。


俺は倒れている死体を見下ろす。このまま放置すると面倒だった。

山は死体処理を怠ると、後で余計な物を呼ぶ。


野生動物。

魔物。

場所によってはアンデッド。


碌なことにならない。


「燃やすか」


俺が言う。


ラグスが頷いた。


「そうだな」


「ミルノ」


呼ぶと、ミルノの肩が少し揺れた。


「火、出せるか」


ミルノは死体へ視線を向ける。

表情は少し強張っていたが、迷いはしなかった。


「……はい」


短杖を握る。銀髪が風で揺れた。

ミルノは小さく息を吸い込み、静かに詠唱する。


「《火種よ、灯れ》――フレイム」


空気が熱を帯びた次の瞬間、死体の布へ火が走る。赤い炎が一気に燃え広がった。

湿った森の空気を押し返すみたいに熱が広がる。


乾いた布と血が焼ける臭いが立ち上った。

焚き火とは違う、もっと鋭く、制御された火だった。


俺は思わず目を細める。


「……凄ぇな」


自然に口から漏れた。ミルノは少し困ったように瞬きをする。


その横で、ライノが苦笑した。


「人間基準で考えない方がいい」


炎の赤が銀髪へ映る。


「エルフなら、この程度は子供でもやる」


「落ちこぼれでもか?」


ルードが聞くと、ライノは肩をすくめた。


「だから嫌になるんだよ」


自嘲気味ではあったが、さっきより軽かった。

ミルノ自身も、魔術行使で疲れた様子はほとんど無い。

短杖を下ろし、燃えていく死体を静かに見ている。


俺は小さく息を吐いた。


エルフの魔術。知識としては知っていた。

だが、実際に目の前で見ると印象が違う。


火打石も油も無しに、当たり前みたいに火を出す。しかも、ミルノ本人からすれば“得意でも何でもない”らしい。


種族差ってのは、時々理不尽だ。


炎が木々を赤く照らす。


焦げ臭さが風に流れていった。


フィンは露骨に嫌そうな顔をしている。鼻が利く分、きついんだろう。


「……まあ、いい」


俺は荷馬車へ戻る。


「先へ進もう」


誰も反対しなかった。

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