4話 売れる街に着いた
前の街を出たのは、朝だった。
空はまだ白く、太陽は低い。門の前に人は少なく、石畳も冷えている。衛兵の鎧がわずかに軋む音だけが響き、手続きは事務的に終わった。引き止められることも、見送られることもない。取引が終わった街というのは、だいたいいつもこうだ。
荷馬車が門を抜け、街道に出る。
道は乾いていて、轍がはっきり残っている。昨夜も荷が通ったらしい。こういう道は安心できる。人が通る道は、金が動く道でもある。
「次は、少し大きい街だ」
そう言うと、向かいに座っていた男が顔を上げた。
「どれくらいだ」
短く、低い声。
「二、三日」
「遠いな」
カイルだ。背が高く、馬車の中では少し窮屈そうにしている。体つきは細身だが、無駄がない。揺れに合わせて自然に重心を調整しているあたり、戦いに慣れた体だ。左肩の古傷が、動くたびに布を引っ張っていた。
「お前くらい強かったら、逃げられるんじゃないか?」
俺が軽く言う。
カイルは一瞬だけ目を細め、それから肩をすくめた。
「逃げても、行く先がない」
「正直だな」
「傭兵時代から、そういうのは得意じゃない」
冗談に見せかけた答えだが、嘘は混じっていない。
昼を過ぎると、街道の景色が変わる。
畑が続き、牧草地が広がる。農具を担いだ人間と何度もすれ違う。どれも街へ向かう流れだ。道の脇には簡易的な野営跡があり、灰がまだ新しい。昨夜も人が泊まったのだろう。
「最後は、どうして捕まった?」
俺は、馬車の揺れに合わせて聞いた。
「雇い主が死んだ」
「それだけか」
「それだけだ」
簡潔だ。盛らない。
身代金を払う相手がいなければ、末路は決まっている。
向かいで話を聞いていた男が、小さく息を吐いた。
「戦場帰りは、安くなる」
グランだ。背は高くないが、肩幅がある。座っていても分かるほど、腕が太い。指は節くれ立ち、火傷と切り傷の跡が何重にも残っている。道具を握り続けてきた手だ。
「経験者ほどな」
俺が言う。
「お前は?」
「山賊に襲われた」
短く息を吐き応える。
「定番だな」
「街を出た翌日だ。仕事を探しに行くだけだった」
荷馬車が石に乗り、少し大きく揺れた。
グランの体は微動だにしない。体重のかけ方が分かっている。
初日の夜は、街道から少し外れた場所で野営した。
焚き火は小さく、風下に置く。馬は木に繋ぎ、荷馬車は影に入れる。慣れた手順だ。鍋で煮たのは干し肉と豆だけの簡単な飯だが、温かいだけで十分だった。
カイルは荷台に背中を預けて軽く目を瞑り、グランは火の様子を見ていた。
ノアは少し離れた場所に座り、暗がりをじっと見ている。
「怖いか?」
俺が聞くと、
「……別に」
と、即答が返ってきた。
嘘ではない。ただ、慣れているだけだ。
二日目、道は少し細くなる。
森が近づき、影が濃くなる。だが魔物の気配は薄い。道の脇に、討伐証の杭が立っている。定期的に掃除されている証拠だ。街の影響力は、ここまで及んでいる。
昼を過ぎたあたりで、風が変わった。
森の匂いが混じり、音が減る。
「この辺りは、安全だ」
「分かる」
グランが短く返した。
二日目の夜も野営だ。
風が強く、木々が鳴る。遠くで獣の声がしたが、近づいては来ない。ノアはその音の方向を一度だけ見て、それきり何も言わなかった。
三日目の昼前、街が見えた。
街の名は、レイヴァルト。
王国西部に位置する商業都市で、人口は多く、規模も大きい。王都ほどの格式はないが、物流と金の回りだけなら引けを取らない街だ。
街の成り立ちは古く、元は街道の交差点にできた交易拠点だったという。その名残か、今でも複数の街道がここへ流れ込み、商人や冒険者、職人が絶えず出入りしている。
城壁は高く、見張り塔も多い。防衛のためというより、街に入る人間を管理するための造りだ。門は一つではなく、用途ごとに分かれている。荷を運ぶ者、徒歩の者、身分のある者。それぞれ通る場所が違う。
街の中は、はっきりと区画が分かれている。
門から近い場所に冒険者ギルドと宿屋が集まり、その周囲に露店と簡易市が広がる。さらに奥へ行けば、鍛冶屋や工房が固まり、金属を打つ音が絶えない一帯になる。
最も奥まった場所にあるのが、貴族区だ。道は広く、建物も大きい。人の往来は少ないが、金と権力の匂いは濃い。表に出ない取引や後援話が、静かに進む場所でもある。
レイヴァルトは、人が多い街だ。
だが同時に、人手が足りていない街でもある。
戦える者、直せる者、使える者。役割を持つ人間は、常に求められている。
――商人にとっては、都合のいい街だ。
見張り塔が複数あり、門も一つじゃない。
門前には人が溜まり、簡易市までできている。通過する人間も多いが、立ち止まって金を落とす者も多い。
「……でかいな」
カイルが言った。
「大きいだけだ」
「違う」
グランが口を挟む。
「音が多い」
確かにそうだ。
遠くからでも、金属を打つ音が聞こえる。
門を抜けると、空気が変わった。
人の声、荷の音、金属の擦れる音。匂いも違う。油と鉄と汗の混じった匂いだ。
街は正直だ。金が動いている場所は、入った瞬間に分かる。
「冒険者ギルドだ」
俺が言うと、カイルの視線が自然とそちらへ向く。
「……行けるか」
「試すだけだ」
「奴隷でも?」
「だから、試す」
グランは鍛冶屋街の方を一度だけ見た。
ノアは、人の流れと建物の配置を目で追っている。
「今日は、いきなり売らない」
そう言うと、三人の動きが止まった。
「まず、値段を確かめる」
「誰からだ」
カイルが聞く。
俺は冒険者ギルドを指差す。
「お前だ」
「分かった」
即答だった。
この街は大きい。
人が多く、役割が多い。
そして――
足りていない。
売れる条件は、揃っている。
あとは、どこまで値段を上げられるか。




