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6話 護衛依頼

翌朝。


空が白み始めたばかりの港町は、夜とも昼ともつかない色をしていた。


潮風は冷たい。


窓の隙間から入り込んだ湿った空気が、まだ寝静まっている部屋の匂いと混ざっている。


だが、街自体はもう起き始めていた。


遠くから荷車の車輪が石畳を鳴らす音が聞こえる。魚市場側だろうか。怒鳴り声も混ざっていた。


朝一番の競りは、どこの街でも声が大きい。

俺は荷物袋の口を縛りながら、部屋を見回した。


フィンは窓際で丸くなったまま眠っている。

毛布へ半分潜り込み、尻尾だけが外へ出ていた。だが、耳は時々ぴくりと動く。

完全には眠れていないらしい。


隣では、ライノが机へ突っ伏していた。

昨夜、本棚から持ち出した本が開きっぱなしになっている。

ページには細かい文字がびっしり並んでいた。

読んでいる途中で力尽きたんだろう。


ミルノはその隣で眠っており、毛布の大半はライノ側へ流れていた。

無意識なのか、兄へ押し付けるみたいに身体を寄せている。


ルードだけは既に起きていた。

壁際へ腰を下ろし、革靴の紐を締め直している。

窓から差し込む薄い朝日が、片方だけになった肩口を照らしていた。


「早いな」


声を掛けると、ルードは顔も上げずに答えた。


「戦場じゃ、日が出てから起きる奴から死ぬ」


「便利な目覚ましだ」


「長持ちはしねぇけどな」


そこで、椅子が小さく軋んだ。


ライノがゆっくり顔を上げる。


寝癖の付いた銀髪を掻きながら、机の本へ視線を落とした。


「……朝か」


「もう昼近いぞ」


「嘘つけ」


掠れた声だった。


そのやり取りでミルノも目を覚ます。


ぼんやりしたまま周囲を見回し、兄が隣にいるのを確認してから少しだけ肩の力を抜いた。


フィンは最後だった。


廊下を誰かが走り抜けた瞬間、反射みたいに目を開ける。

起き上がるまでが妙に速い。野生動物みたいな動きだった。


「飯食ったら出る」


俺が言うと、フィンは警戒したまま窓を見る。


「……どこ」


「冒険者ギルド」


ルードの視線が少しだけ動いた。


「護衛か」


「ああ。辺境まで行くなら人数がいる」


ルードは短く鼻を鳴らす。

否定はしない辺り、辺境事情は理解しているんだろう。


階下へ降りると、宿の空気は昨夜とまるで違っていた。


酒臭さは薄い。


代わりに焼いたパンとスープの匂いが広がっている。

旅人達が黙々と朝飯を掻き込み、時々だけ食器の音が響く。


窓際では、商人らしい男が地図を広げながら部下へ怒鳴っていた。


「だから南街道は遅れてるって言っただろ!」


宿の主人はカウンター奥で樽を動かしていた。

俺達を見ると、片眉だけ上げる。


「もう出るのか」


「ああ、売り先が見つかったかもしれないんでな」


横目でルードを見と、返事の代わりにスープを持つ手へ少し力が入っていた。


木匙が小さく鳴った。


朝食を終えた後、俺達は厩へ向かった。

昨夜降った雨のせいで、石畳はまだ湿っている。

港側から吹く風には魚と潮の匂いが混ざっていた。


通りにはもう人が増えている。


魚籠を抱えた女。

樽を運ぶ男達。

眠そうな顔で店を開ける商人。


レイヴァルトは朝が早い。

最初に預けた荷馬車は無事だった。

荷台へ積んでいた木箱もそのまま残っている。

馬が鼻を鳴らし、こちらを見る。


「思ったよりデカいな」


ライノが荷馬車を見上げる。


「旅するなら、このくらいはいる」


俺は馬具を確認しながら答えた。

その横で、フィンが通りの奥を見ている。


視線が忙しい。


人混みの中から、荷車の音や足音を拾ってるんだろう。


「フィン」


呼ぶと、耳が動く。


「周囲を見ていろ。変なのがいたら先に言え」


フィンは嫌そうな顔をした。試されてるのは分かっているらしい。


それでも、小さく頷いた。


冒険者ギルドへ近付くにつれ、空気が変わる。


酒と汗と鉄の匂い。


朝だというのに、建物の中からは既に怒鳴り声が漏れていた。

扉を開けた瞬間、喧騒が一気に流れ込んでくる。


依頼掲示板の前では冒険者達が肩をぶつけ合っていた。受付嬢は朝から疲れた顔をしている。

床には泥の跡と、隅では昨夜の酔っ払いがまだ寝ていた。


「討伐依頼が減ってんだよ!」


「知らねぇよ次並べ!」


いつも通りだ。


フィンが露骨に顔をしかめる。


「……臭い」


「正しい感想だ」


中へ入ると、長机の一つで見覚えのある連中が朝飯を食っていた。


ラグス達だ。


ラグスが先にこっちへ気付く。

木杯を持ったまま、少し目を細めた。


「お、商人」


「朝からいるな」


「冒険者だからな」


フェルが笑いながらパンを齧る。


ミレアは軽く頭を下げた。


その横で、カイルがゆっくり顔を上げる。


そして――止まった。


視線の先にはルードがいる。ルードの方も動かなかった。


ギルドの喧騒だけが周囲で鳴っている。


受付の怒鳴り声。

木杯のぶつかる音。

誰かの笑い声。


その中で、二人だけが妙に静かだった。


先に口を開いたのはルードだった。


「……生きてたのか」


カイルは答える前に、一度だけルードの左肩を見る。


腕の無い場所だ。


「そっちこそ」


短い。


だが、それだけで十分だった。


ラグス達が顔を見合わせる。


「知り合いか?」


「昔、同じ戦場にいた」


ルードが言う。


「国境側の小競り合いだ。随分前だがな」


カイルは黙ったまま椅子へ腰を下ろした。


木椅子が小さく軋む。


「左腕、そこでか」


「ああ」


それ以上は続かない。


だが、無理に聞く空気でもなかった。


俺はその空気へ割って入る。


「丁度いい」


ラグスがこちらを見る。


「依頼か?」


「ああ」


俺は頷く。


「辺境側へ向かう。護衛を頼みたい」


フェルが小さく口笛を吹いた。


「辺境ねぇ……最近荒れてるぞ」


「知ってる」


「報酬次第だな」


「ちゃんと払う」


俺が答えると、ラグスが笑った。


「安心した。無償奉仕とか言い出したら帰るところだった」


「商人がそんなこと言うわけないだろ」


ルードが横で小さく鼻を鳴らす。


カイルだけは、まだルードを見ていた。

昔を思い出してるのか、それとも、別の何かを見てるのか。


その視線の意味までは、まだ分からなかった。

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