5話 同じ宿
レイヴァルトの通りは相変わらず人が多い。
魚を運ぶ荷車や怒鳴り合う商人、昼間から酒を飲んでいる冒険者。
市場の湿った空気を抜けた後だと、潮風が少しだけマシに感じる。
ルードは俺の少し後ろを歩いていた。鎖は外したが、逃げる気は無いらしい。
フィンは逆に落ち着かない様子だった。
通行人の多さに耳が忙しく動いている。
ライノは街並みを眺めながら歩き、ミルノはその後ろを小さく付いてきていた。
四人並ぶと、かなり目立つ。
獣人。
エルフ兄妹。
片腕の戦争奴隷。
まともな商品構成じゃないのは、俺でも分かる。
「お前、本当に奴隷商か?」
歩きながらルードが聞いてきた。
「一応な」
「仕入れの趣味が終わってる」
「褒め言葉として受け取っとく」
ライノが小さく吹き出した。
フィンだけはまだ警戒したままだ。
俺達は市場区画を抜け、そのまま宿へ戻った。
扉を開けると、酒と煮込みの匂いが流れてきた。
夕方前だが、中はそこそこ埋まっている。
受付に座っていた宿の主人が、俺達を見るなり眉を動かす。
「……増えてんな」
「仕入れた」
「見りゃ分かる」
主人の視線がルードで止まった。
「そっちはまた、随分と物騒なの連れてきたな」
「噛みつかないなら問題ない」
「噛みつくのは獣人の方か?」
フィンの耳がぴくりと動く。
「お前、耳いいな」
宿の主人が笑った。
フィンは露骨に嫌そうな顔をする。
悪くない反応だ。
完全に折れてる奴より、そのくらいの方が扱いやすい。
「部屋は前と同じだ」
主人が鍵を投げてよこす。
「飯はどうする」
「後でまとめて頼む」
「了解」
階段を上がり、木の軋む音が響いた。
部屋へ入ると、四人がそれぞれ周囲を見回した。
フィンは真っ先に窓際へ行く。外が見える位置を取った。
ライノは本棚を見つけて少し目を細める。
ミルノは入口近くで止まったまま動かない。
ルードだけは、壁の位置を確認するみたいに部屋全体へ視線を巡らせていた。
傭兵の癖だろう。
「座れ」
俺が言う。
四人は少し間を置いてから、それぞれ適当に腰を下ろした。
空気が静かになる。まあ、当然だ。
初対面同士が多すぎる。
「一応、自己紹介だけしておくか」
俺は壁へ寄り掛かる。
「ジェイド・ヴァーニスト。旅の奴隷商人だ」
「知ってる」
ライノが言う。
「市場で聞いた」
「なら話が早い」
俺は視線を巡らせる。
「次」
フィンは少し黙った後、小さく口を開いた。
「……フィン」
それだけだった。
「以上か?」
フィンは頷く。
まあ、今はそんなもんだろう。
「ライノだ」
エルフの兄が言う。
「こっちは妹のミルノ」
ミルノは軽く頭を下げる。
「ルード」
最後に片腕の男が短く言った。
相変わらず愛想は無い。
「で」
ルードが俺を見る。
「これからどうすんだ」
「数日レイヴァルトで準備する」
俺は答える。
「その後、辺境側へ向かう」
そこで、ルードの目が少し細くなった。
「……コルネラか」
「多分な」
部屋の空気が少し変わる。
フィンが耳を動かし、ライノも視線を上げる。
「言っとくが」
ルードが低く言う。
「辺境は、街の外とは別物だぞ」
「知ってる」
俺は肩をすくめる。
「だから、お前を買った」
ルードは小さく鼻を鳴らした。
納得してるのか、呆れてるのか分からない顔だ。
窓の外では、港側へ向かう荷車の音が聞こえていた。
夕方が近い。
宿の下からは酒場の笑い声と食器のぶつかる音が響いてくる。
隣の部屋では椅子を引く音がして、そのまま誰かが階段を下りていった。
部屋の空気はまだ少し硬かった。
初対面同士が多すぎる。
フィンは窓際で膝を抱えたまま外を見ており、耳だけが忙しく動いている。
机の上の水差しへ何度も視線を向けている辺り、街の道具そのものにまだ慣れていないらしい。
ライノは椅子へ浅く腰掛け、無意識にミルノを庇う位置を取っていた。
ミルノはそんな兄の服を軽く掴んでいる。
ルードだけは壁へ寄り掛かり、出入口と窓を同時に見られる位置を選んでいた。
長年の戦場暮らしで染み付いた癖なんだろう。
「……一つ聞いていいか」
ライノが口を開く。
「内容による」
「なんで俺達なんだ」
ライノは真っ直ぐこっちを見る。
「市場には、もっと扱いやすそうなのがいただろ」
「いたな」
俺は頷く。
「従順で、若くて、説明しやすい商品が山ほどいた」
「じゃあなんで」
「そっちの方が競争相手も多い」
俺が言うと、ライノは少し黙った。
「分かりやすい商品は値段も上がる。利益も薄い」
「商人らしい理由だな」
「まあな」
フィンが窓際から小さく口を開く。
「……私、噛むって言われてた」
「実際噛みそうだったしな」
フィンは露骨に嫌そうな顔をした。
耳が少し伏せられる。
「捕まった時、逃げた」
「部族か?」
ルードが聞く。
フィンは少しだけ頷いた。
「山の向こう側」
短い言葉だった。
「負けた」
それだけで、大体分かる。
山岳地帯の獣人部族は、縄張り争いが多い。
負ければ土地を失い、人も失う。
捕まった連中が、そのまま奴隷市場へ流れることも珍しくなかった。
「人攫いじゃねぇのか」
ルードが聞く。
「違う」
フィンは少しだけ顔を上げる。
「長が決めた」
戦利品と賠償。そういう扱いなのだろう。
フィンの指先が服を強く握る。
「逃げたけど、捕まった」
そこで会話が止まる。もう話したくないらしい。
俺はそれ以上聞かなかった。
「そっちは」
ルードがライノを見る。ライノは少し嫌そうに息を吐いた。
「……エルフの里は、魔術が全てだ」
「らしいな」
「俺達は、その基準から外れた」
ライノは自嘲気味に笑う。
窓から入った夕陽が、長い銀髪へ薄く落ちていた。
典型的なエルフの見た目だ。顔立ちも整っている。だが、表情には妙な疲れが残っていた。
「俺もミルノも、魔力が低かった」
ライノは続ける。
「グレース家っていう名家の生まれだったんだが、家じゃ落ちこぼれ扱いだった」
「名家ねぇ」
ルードが鼻を鳴らす。
「面倒そうだな」
「実際面倒だったよ」
ライノは乾いた笑い方をした。
「魔術が使えない奴は、あそこじゃ息苦しいんだよ」
ミルノが小さく俯く。
「兄さんは、悪くありません」
ライノの肩が少しだけ止まった。
ミルノは服を握ったまま続ける。
「兄さんは、外のことを知りたかっただけです」
「本ばっか読んでたからな」
ライノが苦笑する。
「里じゃ変わり者扱いだった」
「で、売られたのか」
ルードが聞く。
ライノは数秒黙った。
「……秘密裏に、な」
部屋の空気が少し静かになる。
下の酒場の笑い声だけが遠く聞こえていた。
「表向きは失踪扱いだろうな。多分、死んだことになってる」
ミルノの指が少し震える。
ライノはそれに気付くと、軽く頭を撫でた。
庇う癖が染み付いてる。市場で見た時から、ずっとそうだった。
「で、お前は兄貴についてきたのか」
ルードが聞くと、ミルノは小さく頷く。
「一人で残る方が、怖かったので」
「まあ、分かる」
ルードは短く答えた。
今度は視線がルードへ向く。
ルードは少し面倒そうに頭を掻いた。
荒れた短髪と無精髭。
片腕になった身体より、疲れた空気の方が先に目につく。
だが、目だけは死んでいなかった。
「俺は傭兵だ」
ルードが言う。
「山側の小競り合いから国境紛争まで、大体何でもやった」
「護衛じゃなく、戦場側か」
「ああ」
ルードは右手を軽く握る。
「で、負け戦で腕飛ばされた」
淡々とした口調だった。慣れ過ぎている。
「その後、敗走。動けなくなった負傷兵から順番に切り捨てられた」
「それで市場流しか」
「そんなとこだ」
ルードは壁へ背を預ける。
「片腕の三十後半傭兵なんざ、今どき荷物持ちにもならねぇよ」
自嘲気味だった。だが、完全に諦めてる声でもない。
「故郷はコルネラだったな」
俺が言う。
ルードの目が少し動く。
「ああ」
「帰りたいのか」
少しだけ間が空く。
窓の外では、港へ戻る鳥の鳴き声が聞こえていた。
ルードはしばらく黙った後、小さく笑う。
「……帰ったところで、もう戦えねぇよ」
「別に、戦場へ戻る必要はないだろ」
俺が言う。
「戦えなくても、戦場を知ってる奴を欲しがる場所はある」
ルードは何も返さなかった。
ただ、ほんの少しだけ視線を上げた。




