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38話 居場所

契約がまとまったのは、翌日の昼前だった。

ベルク商会の応接室。机の上には契約書が並んでいる。


奴隷契約解除証。

見習い契約書。

保証確認。


机の上だけで、小さな山になっていた。

商会らしい光景だった。


「確認しろ」


レオン・ベルクが契約書を机へ置く。

俺は内容へ目を通す。


期間。

条件。

住み込み。

給金。


問題ない。むしろ、かなり良い条件だ。


「問題ない」


俺は羽根ペンを取る。

署名を書く。


続いて、レオンも署名した。

乾燥砂が文字へ落とされる。


それで契約は終わりだった。


「これで、ノアの所有権はベルク商会側へ移る」


レオンが言う。ノアはその言葉を黙って聞いていた。

前みたいな怯えた顔はしていない。


ただ、少し緊張している。

エドガーが横から紙を覗き込む。


「結局、本当に決まっちまったな」


「お前が押したんだろ」


「現場は人手不足なんだよ」


倉庫側から怒鳴り声が聞こえた。相変わらず騒がしい。


レオンは金貨袋を机へ置く。

金貨袋が机へ置かれ、鈍い音が響く。


「確認しろ」


「いらん」


俺は袋をそのまま掴む。レオンは少しだけ目を細めた。


「信用するのか」


「お前が帳簿誤魔化すなら、商会が終わってる」


エドガーが吹き出す。


「違ぇねぇ」


レオンも少しだけ笑った。商談は終わり。


ここからは、働く側の話になる。


「ノア」


エドガーが呼ぶ。


ノアが顔を上げる。


「部屋は倉庫側2階だ。荷運び組と同じ時間に起きろ。遅れたら普通に怒鳴る」


「……うん」


「あと、分からんことは勝手に触る前に聞け」


後ろで若い使用人が笑う。


「主任、この前それで棚崩しましたもんね」


「お前は黙れ」


「事実ですよね?」


倉庫側らしい空気だった。ノアはそのやり取りを見ていた。

少しだけ笑いそうな顔で。


「それと」


エドガーが続ける。


「帳簿側はまだ補助だけだ。まず倉庫を覚えろ」


ノアは真面目に頷く。


「……覚える」


「全部一気にやろうとするなよ」


「……たぶん無理」


「自覚はあるのか」


エドガーが苦笑した。

その空気を見ながら、俺は椅子から立ち上がる。


「じゃあ、後は頼む」


ノアがこっちを見る。ノアは一瞬だけ口を開きかける。

何か言おうとしている。だが、上手くまとまらないらしい。


俺は小さく肩をすくめる。


「失敗したら怒鳴られるぞ」


「……うん」


「あと、紙を勝手に並べ替えるな」


ノアが少し目を逸らす。


「……もうやった」


「早いな」


周囲から笑いが漏れた。

倉庫側から、また怒鳴り声が飛ぶ。


「ノア!」


使用人の1人が入口から顔を出していた。


「7番倉庫の控え足りねぇ!手伝ってくれ!」


ノアは一瞬だけこっちを見る。


それから。


「今行きます!」


そう返事をして走っていった。


倉庫側の騒がしい空気へ、自然に混ざっていく。


もう、“行き場のない子供”みたいな背中じゃなかった。


ベルク商会の見習いとして、呼ばれて走っていく背中だった。





宿へ戻ると、妙に静かだった。


いつも隅で紙を読んでいた子供がいないだけで、部屋の空気は結構変わるらしい。


俺は椅子へ腰掛け、金貨袋を机へ置いた。


鈍い音が鳴る。


金貨5枚。


難民上がりの子供としては、かなり高い。


普通ならもっと安く買われて、もっと雑に使われて、それで終わる。


だが、求められる場所へ行けば価値は変わる。


戦える奴は、高くなる。


技術がある奴も、高くなる。


居場所を見つけた奴は、もっと高い。


俺は金貨袋を軽く揺らす。


……悪くない取引だった。

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