34話 ベルク商会
それから数日。
俺達は、ほぼ毎日のように商会区画へ出入りしていた。
朝に宿を出て、紙を運び、荷を確認し、契約書を受け取る。
昼を跨いで市場へ戻り、また別の商会へ顔を出す。
主な取引相手はベルク商会だ。
ガイウェスト王国を中心に活動する中規模商会。
派手ではないが、街道と港の流れをしっかり押さえている。
レイヴァルトで付き合う相手としては、かなり上等な部類だった。
商会区画へ入ると、朝から乾いた声が飛び交っている。
「5番棚の控えどこ行った!?」
「港側の荷、先に回せ!」
「積荷表まだ来てねぇぞ!」
紙をめくる音。
帳簿を閉じる音。
木箱を引きずる音。
市場とは違う騒がしさだった。
怒鳴っているのに、誰も喧嘩していない。
全部、仕事の声だ。
最初は慣れなかった空気にも、ノアはかなり順応していた。
「坊主、それ5番棚!」
「こっち先に!」
「悪い、それ運んどいてくれ!」
気付けば、普通に声を掛けられている。
最初の頃みたいに、“奴隷の荷物持ち”として見られる時間が減っていた。
今はどちらかと言えば、“よく動く子供”扱いだ。
「……ここ」
ノアが紙束を差し出す。
若い使用人が顔を上げた。
額には汗が滲んでいる。
「あ、助かる。っていうか早いな……」
ノアは何も言わない。
ただ、渡す。
それだけだ。
だが、誰が何を探しているかを妙に覚えている。
保存食。
紙。
薬草。
雑貨。
積まれている木箱の中身もかなりバラバラだ。
派手さはない。
だが、現場の動きは速い。
使用人の数も多く、倉庫側まで含めれば、小さな店よりよほど人がいる。
入口近くでは荷運びが汗だくで木箱を積み上げていた。
縄の擦れる音。
釘箱の鳴る音。
開け放たれた窓からは、港側の潮風まで入り込んでくる。
「港側の確認終わったか!?」
「まだです!」
「急げ、今日積むぞ!」
朝からそんな声が飛び交っていた。
ノアは最近、その声だけで誰がどこにいるか分かるようになってきていた。
振り返る前に、足音で使用人を見分ける。
誰が焦っていて、誰が余裕がないか。
そんなものまで、少しずつ覚え始めている。
「主任、3番棚終わりました!」
若い使用人が声を上げる。
奥から、書類束を抱えた男が出てきた。
最初にノアへ興味を持った男だった。
控えを探していた時、「その子、今売る気あるか?」と聞いてきた、あの主任だ。
ベルク商会の現場主任。
エドガー・ベルク。
30代後半で灰色混じりの短髪。
少し疲れた顔。だが、目だけはかなり鋭い。
帳簿と人の流れを同時に見てる人間の目だった。
「次、港側確認。あと積荷表も直せ」
「はい!」
返事が飛ぶ。
エドガーはそれを聞きながら、こっちへ歩いてきた。
途中で別の使用人へ紙束を投げ渡し、空いた手で肩を回す。
「また来てるな」
「仕事だからな」
「半分くらい、お前より坊主目当てになってるぞ」
失礼な商会だ。
ノアは横で少し困った顔をしている。
最近よく見る表情だった。
褒められてるのか、仕事として扱われてるのか、まだ判断しきれてない顔。
エドガーはそんなノアを見ながら、小さく笑った。
「慣れたか」
ノアは少し考える。
周囲ではまだ怒鳴り声が飛び交っている。
誰かが階段を駆け上がり、棚の奥で木箱がぶつかる音がした。
その騒がしさの中で、ノアは小さく頷く。
「……ちょっと」
「最初より動けてる」
エドガーはそう言いながら、机へ書類を置いた。
机の上には帳簿が山積みだった。
乾ききってないインクの匂いがする。
「この前の棚番号」
エドガーが言う。
「助かった」
ノアは少し視線を逸らした。
褒められるのは、まだ慣れていない。
だが前みたいに露骨には固まらない。
代わりに、抱えていた紙束の端を揃え直している。
落ち着かない時の癖だ。
「今度、倉庫側も見てみるか?」
ノアが顔を上げた。
「倉庫?」
「紙だけじゃない。荷の流れ見るなら、あっちも早い」
ベルク商会は倉庫を複数持っている。
街道商会は、荷の回転が命だ。
どの荷が先に動くか。
何が不足しているか。
どこで詰まっているか。
それで利益が変わる。
だから、紙だけ見てても仕事は分からない。
ノアは少し考えていた。
断る理由を探してる顔じゃない。
ちゃんと想像している顔だった。
倉庫の景色を。
荷の流れを。
その中で動いている人間達を。
「……見たい」
エドガーが少し笑う。
「なら昼からだな」
そう言ってから、今度は俺を見る。
「ヴァーニスト」
「何だ」
「お前、本当に売る気あるのか?」
直球だった。
周囲の使用人達が、少しだけ手を止める。
完全に聞き耳を立てている。
忙しいくせに、そういう話は逃さない。
「商品だからな」
俺は答える。
「条件が合えば売る」
エドガーは数秒黙った。
その間にも、後ろでは帳簿を抱えた使用人が走り抜けていく。
「主任! 港側の確認終わりました!」
「後で持ってこい!」
怒鳴り返しながらも、エドガーの視線はこっちへ残っていた。
それから、小さく息を吐く。
「なら、少し考えとく」
ノアの肩が、ほんの少しだけ動いた。
たぶん、“考える”の意味を理解したんだろう。
使用人として。
働き手として。
残る相手として。
エドガーはそれ以上何も言わず、また別の書類へ目を落とした。
「港側急げ! 今日の荷、遅れるぞ!」
すぐに怒鳴り声が飛ぶ。
帳簿。
積荷。
走り回る使用人達。
誰かが紙を落とし、別の誰かがそれを拾う。
騒がしい。
だが、不思議と無秩序ではなかった。
全員が、ちゃんと自分の場所で動いている。
その空気の中で。
ノアはもう、“迷い込んだ子供”みたいな顔をしていなかった。
時々立ち止まって周囲を見る目も、前とは違う。
怯えて確認する目じゃない。
“どこが動いているか”を見る目だった。




