19話 理由
契約手続きが終わった後も、店の空気はあまり変わらなかった。
槌音は止まらない。
炉の火も消えない。
鍛冶屋という場所は、誰か一人が売られた程度で動きを止めるほど、親切にはできていないらしい。
赤く焼けた鉄を叩く音が、奥から一定の間隔で響いている。水桶から立ち上る蒸気が白く揺れ、煤と油の匂いに混じって、少しだけ湿った鉄の臭いがした。
ドガは契約書を乱暴に丸め、カウンターへ放り投げる。
「で、お前は今日からこっちだ」
「知ってる」
「返事ぐらい愛想良くできねぇのか」
「必要か」
「……お前ほんと腹立つな」
呆れた声だった。
だが、本気で怒っているわけではない。
店の奥では、弟子が苦笑しながら鉄材を片付けている。ラグス達も、帰るタイミングを逃したまま壁際に残っていた。
買われた本人より、周囲の方が落ち着いていない。
カイルだけは静かだった。
壁へ立て掛けた自分の盾を見ながら、何かを考えている。
盾の縁には、今日の依頼で付いた新しい傷があった。けれど以前のように深く削れてはいない。グランが直した道具は、ちゃんと役目を果たしている。
「どうした」
俺が聞くと、カイルは短く返した。
「いや」
それから少し間を置く。
炉の方へ視線を動かした。
グランは、もう当然みたいな顔で火を見ている。
「……変な感じだと思ってな」
「何が」
「ついこの前まで、一緒に檻にいた奴が、普通に仕事してる」
フェルが笑った。
「お前もだろ」
「……まあな」
カイルは否定しなかった。
前より表情が柔らかい。
ラグス達の空気に馴染んだ証拠だろう。本人は気づいていないかもしれないが、少なくとも、もう“買われた奴隷”の立ち方ではなかった。
ミレアが小さく息を吐く。
「でも、不思議ですね」
「ん?」
「ジェイドさんが連れている方って、皆さん居場所を見つけていくので」
店の空気が、少しだけ静かになった。
炉の火だけが揺れている。
俺は肩をすくめた。
「たまたまだ」
「そんな顔じゃないです」
ミレアは少し笑った。
柔らかい笑い方だった。
「商人は、需要のある場所へ商品を流す」
俺は言う。
「それだけだ」
「それだけで済ませるには、少し丁寧すぎる気もするけどな」
ラグスが剣を腰へ戻しながら言った。
俺は返さなかった。
返す必要もない。
ドガが鼻を鳴らす。
「お前ら、仕事終わったなら帰れ。邪魔だ」
「おいおい、客だぞ」
「金落とした後は鉄屑だ」
「酷ぇ店」
笑いが漏れる。
その間にも、グランは勝手に工具を触っていた。
作業台の上へ並ぶ鑢。
煤で黒くなった槌。
使い込まれた砥石。
指先で重さを確かめ、位置を覚えるように一つずつ見ている。完全に、もう工房側の人間の動きだった。
弟子が、ちらりとその様子を見る。
悔しそうな顔だった。
だが、目は離さない。
「……名前」
不意に弟子が言った。
グランが顔を上げる。
弟子は少しだけ言いづらそうに視線を逸らした。
「俺、ブラウって言う」
少し間があった。
グランは数秒だけブラウを見て、それから短く答える。
「グラン」
「いや、それは知ってる」
「そうか」
会話が終わった。
フェルが吹き出す。
「終わり!?」
「終わりだろ」
「お前さぁ……!」
ベルクまで苦笑していた。
最初に会った頃の、刺々しい空気はもう薄い。
不満や悔しさはある。
それでも、同じ炉の前に立つ人間として、何かは認め始めている。
その時だった。
ラグスが、何となくみたいな顔で口を開く。
「そういや、お前」
視線がグランへ向いた。
「なんで奴隷になったんだ?」
店の空気が少しだけ静かになる。
ベルクが手を止める。
ミレアも、フェルも、カイルも、自然とグランを見る。
俺は見なかった。知っている話だからだ。
だが、グラン本人は特に気にした様子もなかった。
砥石を指先で撫でながら、淡々と答える。
「工房が潰れた」
短い返答だった。
フェルが少し肩をすくめる。
「……今さらだな」
「確かに」
ラグスも苦笑する。
「今さら聞く話か」
「聞いてなかっただろ」
「まあな」
グランは砥石を置いた。
煤で汚れた指。
火傷跡の残る太い手。
誰が見ても、職人の手だった。
「ルーマ国の工房で働いてた」
「ルーマ?」
ベルクが反応する。
「鍛冶職人が多いとこじゃないですか」
「多い」
グランは頷いた。
「小工房も多かった」
ドガが少し目を細める。
「あの辺、昔は鉄も良かったからな」
職人同士だけが分かる地名の重さがあるらしい。
グランは続けた。
「若い頃から下働きで入った。掃除、炉管理、道具整備」
「で、補佐か」
ラグスが言う。
「ああ」
「弟子にはならなかったのか?」
グランは少しだけ黙った。
炉の火が揺れる。
赤い光が、横顔を照らしていた。
「親方の息子がいた」
短い説明だった。
だが、それだけで十分伝わる。
ブラウが「あー……」という顔をする。
「跡継ぎか」
「そうだ」
グランは頷いた。
「俺は補佐で10年、仕上げと修理をやってた」
「長ぇな」
フェルが素直に驚く。
「嫌じゃなかったのか?」
グランは少し考えた。
それから、作業台の上に置かれた槌へ視線を向ける。
「炉が使えた」
それだけだった。
ドガが小さく笑う。
「重症だな」
「職人だからな」
ラグスが苦笑する。
グランは気にした様子もなく続けた。
「工房は潰れた。鉄の値が上がった時期だった」
ドガの顔から、少しだけ笑いが消える。
「あの頃か」
「潰れた工房、多かった」
「買い叩かれた連中も多かったな」
職人同士の会話だった。
ブラウは少し複雑そうな顔をしている。
自分のいる工房が残っている側だからだろう。
グランは淡々と続ける。
「別の街へ行こうとしたが、途中で山賊に襲われた」
店の空気が少し重くなる。炉の火が、小さく爆ぜた。
「気付いたら檻だった」
「そっから正規市場?」
ラグスが聞く。
「そうだ」
慣れた声だった。
もう何度も、自分の中で整理してきた話なのだろう。
「……で、最終的にジェイドか」
フェルが苦笑する。
「安かったぞ」
俺が言うと、グランが露骨に嫌そうな顔をした。
「言うな」
「年齢が高め、肩書きは弱い、補佐止まり」
俺は指を折る。
「しかも派手さもない」
ブラウが納得いかなそうな顔をする。
「でも腕は本物ですよ」
「見る奴は見る」
俺は言った。
「見ない奴は見ない」
ドガが鼻を鳴らす。
「馬鹿が多い業界だからな」
ブラウがグランを見る。
「……10年補佐でその技術って、ほぼ弟子みたいなもんじゃないですか」
グランは少しだけ肩をすくめた。
「見てた」
「何を?」
「全部」
短い返答だった。
だが、妙に納得できる声だった。
炉を見る目。
鉄を見る目。
槌音を聞く耳。
あれを10年積み重ねてきた奴の声だ。
ドガがそこで初めて、小さく笑った。
「……職人だな、お前」
グランは返事をしなかった。
ただ、また炉を見た。
その横顔は、さっきより少しだけ自然だった。
お久しぶりです喜哀楽です。
ぼちぼち更新を再開していたのですが、キリが良かったので活動報告書きました。
言うなれば2章グラン編が終了した形になりますが、淡々と進みすぎてもっとキャラに関して深掘りしたりすれば良かったと後悔してます。
これからはもう少し絡めていけたらと思っております。
感想、リアクション、評価が励みになりますのでぜひともよろしくお願いいたします。




