17話 値段
夕方の鍛冶区画は、昼より熱かった。
日が傾き始めているはずなのに、通りに溜まった熱はまるで逃げる気配がない。
炉の火が強くなる時間帯だ。
工房の煙突からは黒い煙が細く伸び、赤く焼けた鉄の光が、半開きの扉や窓の隙間から通りへ漏れている。
耳に入るのは、絶え間ない槌音。
規則的なものもあれば、苛立ったように乱暴な音もある。
職人ごとに癖が違うのか、歩いているだけでも音に性格が出ていた。
ドガの店も例外じゃない。
扉を開ける前から熱気が漏れている。
鉄と煤と油の臭いが混ざった空気は重く、慣れていない奴なら数分で汗だくになるだろう。
店の奥では、弟子が真っ赤になった鉄を叩いていた。
額から流れた汗が顎先を伝い、床へ落ちる。
打つ度に火花が散り、炉の赤が横顔を照らした。
そのすぐ横で、グランが不機嫌そうに腕を組んでいる。
「だからそこじゃねぇ」
低い声が飛ぶ。
「またかよ……!」
弟子が顔をしかめた。
「角度」
「分かってる!」
「分かってない」
間髪入れず返す。
容赦がない。
弟子は露骨に舌打ちしたが、それでも槌を止めなかった。
最初の頃なら怒鳴り返していたはずだ。
今は文句を言いながらも、ちゃんと位置を変えて打ち直している。
ドガはカウンターで帳簿をつけながら、面倒臭そうにため息を吐いた。
「お前、ほんと弟子向いてねぇな」
「教えてる」
「煽ってるんだよ」
グランは本気で違いが分かっていない顔をしていた。
その時、入口の扉が開く。
夕方の冷え始めた風が少しだけ店内へ入り込み、熱気を揺らした。
「戻ったぞ」
ラグスだった。
片手を上げながら入ってくる。
後ろにはフェルとミレア。
そして、そのさらに後ろをカイルが歩いていた。
泥の付いた靴。
汗で湿った鎧。
依頼帰りの匂いがする。
フェルは弓を肩から下ろし、ミレアは疲れたように小さく息を吐いた。
カイルだけは真っ先に盾を外している。
癖になっている動きだった。
「随分早かったな」
俺が壁にもたれたまま言うと、ラグスは腰の剣を軽く叩いた。
「ゴブリンだけだったからな。肩慣らしには丁度良かった」
ドガが顔を上げる。
「で?」
短い問い。
ラグスは少し考えるように剣を見る。
「……変だった」
「悪い意味か?」
フェルが横から笑う。
「いや、逆だ」
ラグスは剣を抜き、軽く振った。
空気を切る音が前より滑らかだ。
「軽い」
フェルも頷く。
「弓もだ。引っ掛かりが減ってる」
「前より指が痛くなりませんでした」
ミレアが細い革手袋を外しながら言った。
回復役は細かい違和感に敏感だ。
そういう人間が言うなら、本当に変わっているのだろう。
最後に、全員の視線がカイルへ向く。
カイルは少し黙った。
それから、盾の縁を親指でなぞりながら口を開く。
「盾が流れる」
ドガの口元がわずかに動いた。
「ほう」
「前より受けやすい。衝撃が残らねぇ」
左腕を軽く回す。
以前なら依頼帰りには鈍い痛みが残っていた。
今日はまだ余裕がある。
グランは当然みたいな顔だった。
「逃がすようにした」
「本当にやってたのか、あれ」
フェルが半笑いになる。
ラグスが剣をカウンターへ置いた。
「正直、驚いたな」
柄へ視線を落とす。
「調整だけでここまで変わるとは思わなかった」
グランは剣を手に取った。
刃を見る。
指で軽く弾く。
澄んだ金属音が小さく鳴った。
「まだ雑」
「うるせぇな」
「事実だ」
ドガが吹き出した。
「お前、そのうち本気で殴られるぞ」
「避ける」
「腹立つ奴だなお前!」
フェルが笑い、ミレアまで肩を震わせている。
店の空気が少し緩んだ。
その様子を見ながら、ドガは腕を組む。
視線がグランへ向いた。
弟子はまだ気付いていない。
だが、ドガの目だけは完全に職人のそれだった。
品物を見る目だ。
数秒。
炉の火が揺れる音だけが続く。
やがて、ドガが口を開いた。
「ジェイド」
「ん?」
「こいつ、売る気あるか」
店の空気が静かになる。
奥で弟子が鉄を打つ音だけが響いていた。
俺は壁にもたれたまま答える。
「最初からそのつもりだ」
「値段は」
「上がった」
即答だった。
ドガが鼻を鳴らすが、グランは会話に興味がないらしい。
ラグスの剣を見たまま、刃の縁を指で撫でている。
もう頭の中では調整の続きを考えている顔だ。
ドガが目を細める。
「……工房に残す気はないのか」
「あるなら、もう少し愛想良くする」
「無理だな」
「だろうな」
小さく笑いが漏れる。
だが、ドガは本気だった。
「腕は本物だ。弟子より数段上だぞ」
奥で弟子が露骨に嫌そうな顔をした。
「聞こえてますけど!?」
「聞かせてんだよ」
「クソ親父……!」
悪態を吐きながらも、槌は止めない。
ドガは構わず続けた。
「炉にも慣れてる。鉄を見る目もある」
「で?」
俺は聞き返す。
「いくら出す」
ドガが少し黙る。
職人の顔から、店主の顔へ変わった。
帳簿を見る時の目だ。
「……金貨30」
ラグス達が目を見開いた。
「高っ」
フェルが思わず声を上げる。ミレアまで驚いた顔をしている。
カイルもわずかに眉を動かした。だが、俺は首を横に振る。
「安い」
「おい」
ドガが眉を寄せた。
「職人不足だろ、この街」
俺は周囲を見回す。
積まれた修理待ちの武器。
山になった盾。
乾ききっていない油布。
どこの工房も余裕がない。
「腕のある鍛冶師はもっと少ない」
「……」
「しかも、こいつはこの技術を持っているにしては、若い。まだ伸びる」
グランは相変わらず無反応だ。
だが、ドガは黙って聞いている。
「店に残れば看板になる」
弟子が「うわぁ……」みたいな顔をした。
たぶん自分の立場が危うくなる想像をしたのだろう。
俺は続ける。
「別に、お前じゃなくてもいい」
店の空気が少し張る。炉の熱とは別の熱だ。
「気に食わないなら、他所へ売る。工房なんて、この街にいくらでもある」
ドガは黙る。否定できない顔だった。
鍛冶区画には工房が溢れている。だが、“腕”は足りていない。
だからこそ、さっきから真剣なのだ。
俺はそこで少しだけ肩を竦めた。
「ただ」
「カイル達の知り合いだ。腕も悪くない」
「環境としては、悪くないと思ってる」
ドガがゆっくり息を吐く。
煤で汚れた指が、無意識にカウンターを叩いた。
「……商人のくせに、変な気遣いするな」
「高い商品ほど、売った後が大事だ」
「本当に商人だなお前」
「今さらだろ」
数秒の沈黙。
炉の火が揺れる。
やがてドガが、グランを見る。
「お前はどうだ」
グランは剣から顔を上げた。
「炉が使えるならいい」
即答だった。
全員が少し黙る。
フェルが吹き出した。
「こいつ、ブレねぇな」
「職人だからな」
ドガは小さく笑った。
最初に会った時より、その顔は少しだけ柔らかかった。




