16話 依頼帰りの音
冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
扉を開けた瞬間、湿った熱気と人の声が一気に押し寄せてくる。
掲示板の前では冒険者達が依頼書を奪い合い、受付では順番を巡って怒鳴り声が飛んでいた。
酒臭い連中もいる。
徹夜明けみたいな顔で椅子に沈んでいる奴もいる。
床には泥が乾いてこびりつき、誰かが零した酒がまだ拭ききれていない。朝だというのに空気は重く、鉄と汗の臭いが混ざっていた。
いつもの光景だ。
「空いてる依頼、減ったな」
フェルが掲示板を見上げながら言った。
紙の隙間を目で追い、眉を寄せる。
「討伐系ばっかりだ」
「最近、森側が荒れてるらしいです」
ミレアが答える。
「魔物が増えてるって話も聞きますし」
ラグスは腕を組んだまま、黙って依頼書を眺めていた。
その横で、カイルは周囲へ視線を走らせている。
ギルドの空気。
人の流れ。
武器の触れ合う音。
まだ完全に馴染み切ったわけじゃない。
だが、もう“外から来た人間”でもなかった。
以前なら向けられていた値踏みの視線も減っている。
代わりに、同業を見るような目が増えていた。
「これにするか」
ラグスが一枚剥がす。
《街道周辺ゴブリン討伐》
中位にしては軽い依頼だった。
本来なら下位パーティーが請ける程度の内容だ。
「肩慣らしか?」
フェルが聞く。
「装備を試したい」
ラグスが答える。
視線が、腰の剣へ落ちた。
ドガの店から戻った後、全員の装備は少し変わっている。
派手じゃない。
だが、握り。
重さ。
留め具。
重心。
細かな部分が違った。
特にカイルの盾は、以前より腕へ馴染んでいた。
革帯の締まりも、金具の遊びも、妙にしっくり来る。
「行くぞ」
ラグスが歩き出す。
カイルは自然にその半歩前へ出た。
前衛の位置だ。
誰に言われるでもなく、身体がそこへ動いていた。
ギルドを出る。
昼前の街は、人で溢れていた。
露店の呼び声。
荷車の軋み。
鍛冶屋街から流れてくる槌音。
石畳の上を、様々な音が絶えず転がっている。
焼いた肉の匂いに混じって、馬糞や油の臭いまで漂っていた。
「相変わらず人多いな……」
フェルが肩を竦める。
「今日は商隊も入ってるみたいですね」
ミレアが道の先を見た。
大きな荷車が列を作って門へ向かっている。
布に覆われた積荷の隙間から、乾燥肉の香りが漏れていた。
喧騒を抜け、街道へ出る。
石畳が減り、踏み固められた土の道へ変わった。
風が少し軽くなる。
街の熱気が背中側へ遠ざかり、代わりに草と土の匂いが濃くなった。
森は遠くない。
「前より歩きやすいな」
フェルが弓を背負い直しながら言った。
「装備か?」
「たぶんな」
ラグスも軽く剣を振る。
「変な感じだ。軽い」
カイルは黙って盾を見た。
左腕を軽く回す。以前より重さが流れない。
受けた衝撃が、腕へ残りにくい。
「どうだ」
ラグスが聞く。
カイルは少しだけ考えてから答えた。
「……悪くない」
珍しく素直な返答だった。
フェルが笑う。
「お、気に入ってる」
「うるせぇ」
だが否定はしない。
森へ入る。
浅い場所だ。
下位冒険者でも入る区域で、地面には何度も踏み固められた跡が残っている。
木漏れ日がまだらに落ち、風が枝を揺らす度、葉擦れの音が頭上で細かく鳴った。
「静かだな」
フェルが呟く。
「いるぞ」
カイルが即座に返した。声が低くなる。
次の瞬間、茂みが揺れた。
飛び出してきたのはゴブリンだ。
3匹。
手に握られている短剣は、どこかの死体から剥ぎ取ったような錆だらけの鉄屑だった。
だが、それでも油断できる相手じゃない。
小柄な分だけ動きは速く、群れで旅人を襲う。
初心者冒険者なら、そのまま喉を裂かれて終わることも珍しくはない。
「右!」
ラグスが叫ぶ。
カイルが前へ出る。
ゴブリンの刃が盾へ叩きつけられた。
鈍い音。だが、前と違う。
衝撃が流れる。
左腕が持っていかれない。
「っ――」
思わず目を細める。
軽い。
受けた瞬間に分かった。
グランの声が頭を過る。
――逃がせる。
カイルは盾を少しだけ滑らせた。
力を正面で止めない。
流す。
そのまま体勢を崩したゴブリンを押し返す。
ラグスの剣が横から走った。
1匹。
フェルの矢。
2匹。
最後の1匹が叫びながら飛び込んでくる。
カイルは半歩だけ前へ出た。
盾で受ける。
流す。
そして剣を振る。
短い軌道だった。
首が飛ぶ。
血が木の根元へ散り、森が静かになった。
風の音だけが残る。
「……終わりか」
フェルが息を吐く。
「早かったな」
ラグスは剣を見下ろした。
刃こぼれが少ない。以前なら、もう少し削れていた。
「何かしたか、あいつ」
「してるだろうな」
カイルが短く答える。
盾を見る。金具もずれておらず、左腕も痛まなかった。
ミレアが少し笑った。
「調整だけで、ここまで変わるんですね」
「前衛が一番分かる」
カイルが言う。
ラグスが苦笑する。
「お前、もう完全に馴染んだな」
「うるせぇ」
返事はいつも通りだった。だが、否定はしなかった。
依頼を終え、街へ戻る。
門が見え始める頃には、空が少し赤くなっていた。
夕方のレイヴァルトは、昼とは違う騒がしさがある。
依頼帰りの冒険者。
酒場へ向かう連中。
商売を畳み始める露店。
疲れた声と笑い声が、石畳の上を漂っていた。
ギルドで報告を済ませる。
受付嬢が耳袋を確認し、慣れた手つきで報酬袋を差し出した。
「確認をお願いします」
ラグスが袋を受け取る。
銀貨が触れ合う音が、小さく鳴った。
その横で、フェルがぽつりと呟く。
「……もう一回、店行くか」
誰も反対しなかった。
カイルも。
自然に、そうなっていた。




