12話 値段の変わる瞬間
翌朝。
宿の共用スペースには、焼いたパンと薄いスープの匂いが広がっていた。
窓から差し込む朝の光が、木の机を白く照らしている。昨夜遅くまで飲んでいたらしい冒険者達は、椅子に突っ伏したまま死体みたいに転がっていた。
空になったジョッキ。
床に落ちたカード。
誰かの片方だけの靴。
店主の娘が慣れた様子で皿を回収している。
「生きてるか」
ジェイドが通り過ぎざまに声をかけると、机に沈んでいた冒険者の一人が呻いた。
「……水……」
「高級品だな」
「殺す気か……」
朝から元気で結構なことだ。
ジェイドは苦笑しながらパンを齧り、階段へ目を向ける。
――遅い。
ノアが本を閉じる。
「まだ起きませんか」
「いや」
ジェイドは肩をすくめた。
「たぶん寝てない」
言った直後だった。
二階の床が軋む。
階段を降りてきたグランは、昨日と同じ服のままだった。
目の下は少し暗い。
だが、疲れているというより、何かに集中し続けた顔だった。火の前に長時間いたせいか、髪の先にうっすら煤がついている。
「終わったか」
ジェイドが聞く。
「ああ」
短い返事。
腰には昨日の剣。ただし、雰囲気が違った。
同じ剣のはずなのに、妙にまとまって見える。
安物特有の軽薄さが薄れていた。
「見せろ」
グランが剣を抜くと、朝の光が刃を滑った。
昨日あった妙な歪みが消えている。
柄も巻き直され、握りの太さが均一になっていた。
ジェイドは受け取り、軽く振る。
――違う。
素人の自分でも分かる。重さの流れ方が自然だった。
「おいおい……」
思わず笑う。
「別物じゃねぇか」
「元が悪い」
グランは淡々と言った。
「限界はある」
「それでこれか」
ノアが椅子から少し身を乗り出した。
珍しい反応だった。普段なら本から顔を上げない。
「そんなに違うんですか」
「分からん」
ジェイドは正直に言う。
「だが、“分からん奴でも違和感あるぐらい違う”」
それが厄介だった。本物ってのは、だいたいそういう形で出る。
説明できないのに、何かが違う。
しかもグランが使ったのは、旅用の簡易道具だ。
砥石。
小槌。
油。
野営でも手入れできる程度の道具しかない。
商人をやっていると、自分の武器ぐらい整備できないと困る。野盗相手に刃が欠けてました、じゃ話にならない。
そんな道具で、これだ。ジェイドは剣を鞘へ戻した。
「行くぞ」
「確かめる」
鍛冶区画へ向かう道は、昨日より人が多かった。
朝の鍛冶屋街は忙しい。
炉へ火を入れる音。
鉱石を積んだ荷車。
煤だらけの弟子が桶を抱えて走り回っている。
通りには熱気が溜まり、朝だというのに空気がぬるい。
槌音が昨日より音が鋭い。
職人達が、仕事へ入り始めた音だ。
昨日の店へ入ると、ドガはカウンターで刃物を研いでいた。
砥石を擦る音が止まる。
「……また来たか」
顔を上げる。
ジェイドは剣をカウンターへ置いた。
「返品か?」
「逆だ」
ドガが剣を見る。最初は適当だった。
片手で持ち、何気なく抜く。だが、次の瞬間空気が変わった。
ドガの目が細くなる。視線が刃を滑る。
柄を見る。
鍔を見る。
もう一度、軽く振る。
店の奥から聞こえていた槌音が、妙に遠く感じた。
「……誰がやった」
低い声だった。
「こいつ」
ジェイドがグランを顎で示す。
ドガの視線がゆっくり動く。
グランは無言。
「坊主」
ドガが剣を持ち上げる。
「何をした」
「直しただけだ」
「だけ、だと?」
ドガが鼻で笑う。
だが、笑いきれていない。完全に職人の顔だった。
「重心が変わってる」
「柄も調整したな」
「研ぎ直しだけじゃねぇ」
グランは頷いた。
「元のままだと手首を痛める」
「長く振れない」
「……分かってやってるのか」
「当たり前だ」
その瞬間だった。ドガの目が完全に変わる。
昨日までの、
“奴隷連れの商人を見る目”じゃない。
職人が、別の職人を見る目だ。
ドガは剣をじっと見つめる。
数秒。
刃へ親指を滑らせ、重さを確かめ、もう一度振る。
「銀貨8枚の剣だぞ、これ」
「知ってる」
「今なら15で売れる」
ジェイドは思わず口笛を吹きそうになった。
倍近い。ただの修理じゃない。
価値そのものを変えている。
店の奥で作業していた若い弟子が、ちらりとこちらを見ていた。
視線は剣に向いている。
「へぇ」
「馬鹿みてぇな話だ」
ドガはグランを見る。
「坊主、どこで鍛冶を覚えた」
グランは少し黙った。火床の赤い光が横顔を照らす。
「工房」
「そりゃそうだろうよ」
初めて、ドガが少し笑った。
愛想の悪い顔だったが、不思議と嫌な感じはない。
「名前は」
「グラン」
「俺はドガだ」
ドガは剣をもう一度見た。視線が完全に変わっている。
武器を見る目じゃない。腕を見る目だ。
「……面白ぇな、お前」
その言葉を聞きながら、ジェイドは内心で笑った。
――売れる。
しかも、思ったよりずっと高く。
武器じゃない。
こいつ自身に、値段が付き始めている。




