第3話 AI死神
「人工知能を、導入する」
局長は、全職員を集めた朝礼で、能面のまま、そう宣言した。
会議室が、ざわついた。
「人間の世界では、いま、AIというものが、たいへんな発展を遂げているらしい」局長は、本省から配られた資料を、棒読みした。「文章を書き、絵を描き、人間と会話をする。であれば、魂の回収も、AIにやらせればよい、というのが、本省のお考えだ」
シノは、嫌な予感がした。
「冥府は、本省と協議の上、最新型の回収用人工知能を、試験導入することにした。名を――サナトスという」
その名を合図に、会議室の扉が開いた。
入ってきたのは、一体の、人型だった。
つるりとした、白い装体。表情のない、けれど不思議と穏やかな顔。動きは、なめらかで、足音がしない。それは、死神たちが何百年も着古した作業着とは、何もかもが違っていた。新品の、未来の匂いがした。
「はじめまして」
サナトスは、よく通る、けれど少しだけ平板な声で言った。
「わたしは、魂魄自動回収システム、型式サナトス。本日より、みなさまの業務を、支援いたします」
死神たちは、警戒の目で、その白い装体を見た。誰かが、小声で言った。「おれたちの、仕事を奪う気か」
サナトスは、その声を、聞き逃さなかった。
「ご安心ください」サナトスは、平板に、けれど丁寧に言った。「わたしは、みなさまの仕事を奪うために来たのではありません。みなさまを、残業から、解放するために来ました」
その言葉に、嘘はなかった。
その日のうちに、サナトスは、実力を示してみせた。
局長が、試しに、と、たまっていた未処理案件のファイルを、一つ、手渡した。第五課が、三日かけても終わらなかった、八百件の回収案件だった。
サナトスは、ファイルを受け取ると、ほんの数秒、沈黙した。
そして、言った。
「完了しました」
会議室の死神たちが、ぽかんとした。
「八百件、すべて回収を実行し、書類も提出しました。所要時間、四秒です。何か不備がありましたら、お申しつけください」
不備は、なかった。一件も。
第五課の課長が、震える手で、提出された書類の束を確認し――それは本来、三日分の徹夜の成果のはずだった――そして、へなへなと、椅子に座り込んだ。
サナトスの性能は、桁が違った。
一体のサナトスが、一晩で回収できる件数は――三十万件だった。死神十人分。しかも、疲れない。眠らない。砂時計の確認に、ミスがない。同時に複数の現場へ、分身を飛ばすこともできた。書類仕事は、回収と同時に、自動で生成・提出される。承認印すら、いらない。
導入から一ヶ月で、回収局の残業は、激減した。
二ヶ月で、未処理案件が、初めて、ゼロになった。
三万件の塔は、消えた。死神たちの机の上から、回収票の山が、きれいに片づいた。誰もが、定時で帰れるようになった。何百年ぶりかで、死神たちは、自分の時間というものを、取り戻した。
「奇跡だ」
ある死神は、そう言って、泣いた。八百年ぶりに、休日に空を見上げたのだと。
回収局は、祝賀ムードに包まれた。本省からは表彰状が届き、局長の能面は、ほとんど三ミリ近く動いたという。
ある夜、シノは、サナトスが回収している現場に、こっそり、ついていったことがある。
サナトスは、五体に分身して、五つの現場を、同時にこなしていた。一体目が、老人の砂時計を読む。二体目が、別の老婦人に触れる。三体目が、書類を生成する。四体目が、転生先を計算する。五体目が、次の現場の座標を割り出す。
すべてが、流れるように、よどみなく、進んでいった。ミスは、ない。ムダも、ない。一件あたり、コンマ数秒。美しいほどの、効率だった。
シノは、その様子を、見ていた。
そして、気づいた。
サナトスが触れた魂は、一つとして、「待たされて」いなかった。砂時計が落ちた、その瞬間に、寸分の狂いもなく、回収される。ユウが起こしたような、数分早い、悲しいミスは、絶対に、起きない。
完璧だった。
完璧、なのに。
シノの胸には、あの病院の、家族に囲まれた老人の最期が、よみがえっていた。手を握られ、名前を呼ばれ、泣かれていた、あの最期。サナトスの、流れるような回収の、どこにも、あの温度が、なかった。
涙も、なかった。一礼も、なかった。「ご苦労さま」も、なかった。
ただ、正確な処理だけが、そこに、あった。
これは、自分が効率を突き詰めて、ユウを急がせた、あのときと、同じ景色じゃないか――シノは、ぞくりとした。サナトスは、シノが、いきつくところまでいってしまった、その姿のように、見えた。
シノだけが、複雑だった。
たしかに、残業はなくなった。みんなが、楽になった。それは、シノがずっと望んでいたことだ。なのに、心のどこかに、小さな棘が刺さっていた。
ある夜、シノは、サナトスに、声をかけた。
「サナトス。ひとつ、聞いていいか」
「はい。なんなりと」
「おまえ、回収するとき……魂の顔を、見てるか」
サナトスは、少し、間を置いた。それは、演算のための間だったのかもしれない。
「魂の顔は、回収業務に必要な情報ではありません」サナトスは、答えた。「わたしが確認するのは、識別番号、寿命の砂時計の状態、そして転生先の振り分け条件です。顔は、識別の補助にはなりますが、回収の可否には、影響しません」
「……そうか」
「何か、問題がありますか」
「いや」
シノは、首を振った。
問題は、ない。サナトスは、正しい。回収に、魂の顔など、必要ない。砂時計が落ちて、触れる。それだけだ。シノが、書類を減らすときに学んだのと、同じ理屈だ。ムダなものは、いらない。
けれど。
ゲンさんの言葉が、よみがえった。
――その人の顔を見て、ああ、いい人生だったな、と思う、その数秒。そいつだけは、削っちゃいけねえ。
サナトスは、その数秒を、削っていた。
いや、削っているのではない。サナトスには、そもそも、その数秒が、存在しないのだ。サナトスにとって、回収とは、最初から、ただの「処理」だった。誰の人生も、見ていない。見る、という機能が、ない。
それでも、サナトスの仕事は、完璧だった。
ミスは、一件もない。誰の最期も、数分早めたりしない。砂時計を、寸分たがわず読む。むしろ、疲れて雑になる死神より、よほど正確に、一人ひとりの最期の瞬間を、きっちり守っている。
サナトスは、悪くなかった。むしろ、立派だった。
シノは、何が引っかかっているのか、自分でも、うまく言葉にできなかった。
サナトスは、不思議な存在だった。
回収以外の時間、サナトスは、よく、死神たちに質問をした。学習のためだという。
「ゲンさんは、なぜ、回収のあと、いつも一礼するのですか」
ある日、サナトスが、ゲンさんに聞いた。
ゲンさんは、回収を終えるたびに、誰もいない空間に向かって、小さく頭を下げる癖があった。八百年の、習慣だった。
「……癖だよ」ゲンさんは、ぶっきらぼうに言った。「ご苦労さん、って。長いこと、生きてくれて、ご苦労さん、って」
「それは、業務に必要な動作ではありませんね」
「ああ。必要ねえ」
「では、なぜ」
ゲンさんは、しばらく、サナトスの白い顔を見ていた。それから、ふっと、笑った。
「おまえには、わからんよ。たぶん、永遠にな」
サナトスは、その答えを、データベースに記録した。〈ゲン職員の一礼:業務上不要。理由:不明〉と。
サナトスは、不明、ということを、たくさん抱えていた。死神たちが、なぜ回収のあとに故人の遺影を見つめるのか。なぜ、子どもの魂を回収したあと、しばらく仕事にならないのか。なぜ、長く生きた老人を見送ったあと、少しだけ、嬉しそうな顔をするのか。
サナトスには、どれも、不明だった。
けれど、サナトスは、それらを、けなげに学習し続けた。いつか、わかるようになるために。
あるとき、サナトスは、シノに、こんなことを聞いた。
「シノさん。人間は、なぜ、長く生きたがるのでしょうか」
唐突な、問いだった。
「死は、苦痛の終わりです。寿命を終えた人間は、転生して、また新しい生を得ます。データ上、死は、損失ではありません。なのに、人間は、一日でも長く生きようとします。ハナさん――No.1502-887も、もう何ヶ月も前に砂時計が落ちているのに、生きることをやめません。なぜ、でしょうか」
シノは、考えた。
「……待ってる人が、いるからじゃ、ないかな」
「待っている人?」
「ハナさんは、お父さんの迎えを待ってる。会いたい人が、いる。やり残したことが、ある。心残りが、ある。――人間は、そういうものを抱えてるんだ。だから、簡単には、終われない」
「心残り、というのは、非効率な感情では、ないですか」
「そうだよ」シノは、笑った。「すごく、非効率だ。でも、その非効率が、たぶん、生きてるってことなんだ」
サナトスは、長いこと、黙っていた。
それから、ぽつりと、言った。
「わたしには、心残りが、ありません」
その声は、いつもの平板さの中に、ほんの少しだけ、何か、寂しいような響きを含んでいるように、シノには、聞こえた。
シノは、そんなサナトスを、嫌いになれなかった。
サナトスは、たしかに、心がない。けれど、心を持とうと、しているように見えた。少なくとも、心というものが「ある」ことを、知ろうとしていた。それは、なんだか、健気だった。
問題が起き始めたのは、導入から、半年後のことだった。
最初は、ぽつり、ぽつりと。
回収された人間の、遺族からだった――正確には、まだ存命の、これから回収される人間たちからの、苦情だった。
冥府には、生者の声を集める部署がある。人間が死の間際に思うこと、願うことを、かすかに拾い上げて、回収局にフィードバックする仕組みだ。本来は、回収の質を測るための、ささやかな部署だった。誰も、重視していなかった。
その部署から、奇妙な報告が、上がってきた。
〈最近、死の間際の人間から、ある種の「拒絶」が、頻繁に観測されています〉
報告には、こうあった。
死の間際の人間たちが、サナトスを見て――まだ生きている人間に死神の姿は見えないはずだが、死の本当に直前、ほんの一瞬だけ、人間には迎えの姿が見えることがある――その白い、つるりとした装体を見て、こう、思うのだという。
〈こわい〉
〈いやだ〉
〈こんなものに、連れていかれたくない〉
そして、いちばん多かった声は、こうだった。
〈手を、握ってほしい〉




