7 . 終わらない呪い
突然響いた声に、全員が凍りついた。
「…佐藤、もうやめろ」
高森の声が上ずる。
ステージ脇の暗がりから、佐藤先輩が姿を現した。
シンプルなブラウスにジーンズという飾り気のない格好だけど、その立ち姿には言いようのない凄みがあった。
「やめろ?私は何もしてないわ」
「佐藤先輩、ど、うして…わ、私が高森先輩を好きになってしまったから」
「は?好き?あなたが好きなのは高森じゃないでしょ、自己愛主義者さん。大体、私と高森は共同戦線を張っていただけの間柄だから、高森を形容するのは浮気者ではなく、裏切り者だわ」
佐藤先輩の冷笑が体育館に響き渡る。
ステージ脇の薄闇からゆっくりと歩み出た彼女の足元で、黒い影が不自然に凹んで道を作ったように見えた。
佐藤先輩は美咲を一瞥し、その視線を氷のように冷ややかに高森へと移す。
「裏切り者?」
私の声は自分でも驚くほど落ち着いていた。
足首を黒い影に囚われたまま、佐藤先輩を見上げる。
佐藤先輩は薄く笑みを浮かべ、まるで舞台役者のように両手を広げた。
「簡単な話よ。私と高森は初めから恋人じゃない。罠を仕掛けるためのパートナーよ」
「罠…?」
彼女はゆっくりと歩を進め、高森が必死に伸ばしている手の届かないギリギリのラインで足を止めた。
黒い粘液の沼のような足元で、佐藤先輩は優雅に腕組みをする。
その視線は美咲へと注がれた。
「松井さん。あなた、本当に何も気づかなかったのね。私たちがあなたのためにどれだけ綿密な準備をしてきたか」
「わ、わたし、だって、高森先輩は、わたしのこと…」
美咲は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える声で反論しようとする。
だが佐藤先輩の鋭い視線がそれを遮った。
「あなたが欲しがったのは『私の恋人』でしょう?異性から羨ましがられる優秀なブランドのアクセサリー。あなたなら必ず食いつくと思ったわ」
「う、嘘…」
「全てはあなたの欲望を刺激するための舞台装置。そしてあなたが欲しがりそうな餌を撒いて、私たちは待つだけ」
佐藤先輩の言葉がナイフのように美咲の胸を抉っていく。
美咲は言葉を失い、ただ地面にへたり込んだまま震え続けている。
高森が必死の形相で叫ぶ。
「佐藤!もういい!やめろ!」
「やめる?なぜ?」
佐藤先輩の口元に嘲るような笑みが浮かぶ。
「高森、あなたが言い出したんじゃない。恋人のふりをしてほしいって。それに乗ったのが私。私もこの女を許せなかったから。この女がどれだけ他人を不幸にしてきたか!!」
高森は唇を噛みしめ、苦悶の表情を浮かべている。
「…気づいたんだ。この呪いは描いた筋書き以上の何かに成り上がった」
「そうね」
佐藤先輩は同意するように笑った。
「呪いは膨れ上がった。彼女の罪が私たちの想定以上だったのね。恨みや憎しみは今や制御不能になった。けれどそれでも目的は達成できる。松井さん、これまで積み重ねてきた罪を清算する時が来たの」
「ま、麻衣のことなら謝ります!だから」
「麻衣?誰よそれ」
佐藤先輩の一言に、美咲の顔から血の気が引いた。
「え…? だって、私のせいで麻衣は…あなたが知らないはずが…」
「いろんな心当たりがお有りなようね?だとしたらここまで呪いが膨張してしまったのも仕方がないことね」
佐藤先輩が初めて理解したように頷いた。
その表情には残酷な納得が浮かんでいた。
「松井さん。あなた、自分が一体どれだけの人を傷つけてきたか、ちゃんと数えてる? 」
佐藤先輩が冷ややかに言い放つと同時に、美咲の周りの空気が一層重くなった。
影はさらに膨張し、分裂し、ゆらめく輪郭がより鮮明になっていく。
首の長い女だけではない。
一二三四五六七。
そこには七人の化け物が蠢いていた。
「あなたの罪は今審理の天秤にかけられた。自身の背負う罪と向かい合いなさい」
突然の美咲の絶叫が体育館を劈いた。
彼女の足元から黒い影が蛇のように伸び上がり、膝を掴んだのだ。
「いやっ!助けて!麻衣ごめんなさい!謝ってるのに!」
黒い影の中心から、長い首を持つ女の輪郭がにじみ出るように浮かび上がった。
その顔は怒りで歪みきっている。
「助けて!」
「思い出せるお手伝いをしてあげる。あなたが小学六年生の時、転校生があなたより可愛くてお金持ちで頭もよかったから、いじめ被害者を装って、その子に冤罪を被せたわよね?」
「違うの!いやぁ!」
「その後もあなたをきっかけにしたイジメが行き過ぎて、屋上から落とされて事故扱いされた。そうやって、欲しいと思ったものは全部奪って陥れた。親友の彼氏も、バイト先のチーフも、飽きては捨てたわね」
「してない!嘘ぉ!」
「高校時代弄んだ男子生徒の名前は覚えてる?告白に頷いてから、わざと浮気現場を見せつけて、その男子生徒とのやり取りをグループLINEで晒して弄んで笑い者にしてたわよね。その時も自分は被害者面をして、彼が自ら命を絶った後の葬儀でご家族に泣きながら供養の言葉を告げてたようだけど、人間の心を持ってるの?」
高森が呻いた。
「これ以上はもうやめろ」
「高森も驚いてたじゃない。どういう精神をしてたら、絢音と友達になれるのかって」
え、私?
完全に巻き込まれた第三者のモブに徹していた私が急に舞台に立たせられる。
美咲と思わず目が合うと、汗と鼻水と涙まみれの美咲が声も出せずに首を振る。
「たった3年前の出来事を忘れたというの?あなたが自殺に追い込んだ高森あやねのこと」
「違う…」
「高森家の父親が痴漢で逮捕されて。あなたは偶然それを知って」
「違う違う違う!違う!!」
「いつものあなたの遊びよね。あなたは可哀想だとか同情するふりをして面白がって全校中に拡散した。あやねさん、痴漢加害者の娘だからって、ひどいいじめをうけたらしいわ。結果、あやねさんは命を落としたじゃない…誰かも知らない男のお腹の子とともに」
「違うの!絢音!違うよぉ!私じゃない!私じゃないよ!私だってびっくりしたの!そんなつもりじゃなかった!絢音違うの!誤解なの…」
高森が俯く。
拳を握りしめる音すら聞こえそうなほど。
「まさか、進学先であやねさんと同じ名前の絢音と友達になるとは、さすが松井さんだわ。まだ傷つけたりないのね」
黒い影が美咲の周りで渦巻き始めた。
その中心から伸びる首が、徐々に絞首刑のような形状になっていく。
「あなたは生まれてからずっとそう。他人の幸せを壊すことしかできない」
体育館の照明が一斉に点滅する。
温度が急激に下がっていく。
佐藤先輩の哄笑が響いた。
「最後の締めは私語りで失礼するわ。私の父は中学二年の松井さんの担任だったわね。あの頃の父は理想的な教育者で」
「…そんなまさか」
「あなたは父を好きになった。奪おうとした。断られたあなたは、父を犯罪者に仕立て上げた」
佐藤先輩の目が狂気を帯びる。
「『体を触られた』と嘘を広め、PTAに訴え、教育委員会に通報した。証拠がないのに」
高森が低い声で補足する。
「佐藤の父親は辞職し、母親は精神を病んだ。祖父母は孫を見捨て、弟妹とも離され、そして」
「父は母と無理心中したの。父は母を愛していたから、離婚し別れる選択肢を選びたくなかった。離婚した後、母が他の男と再婚するのも許せなかった。こんなに母を愛していた父だから、あなたは欲しくなったのよね?」
美咲は耳を塞ぎながら震えた。
「ちが、あの時はただ、気を引きたかっただけ…」
「さあ、裁かれなさい」
「いやぁああ!助けて高森先輩!絢音!死にたくないの!」
私は混乱と恐怖の中で必死に思考を巡らせた。
佐藤先輩と高森の計画は、美咲への復讐だったはずだ。
しかし今起こっていることはその枠を超えた何かになっている。
美咲自身がこれまで無意識に招いた無数の怨嗟が渦巻いているようだった。
「きゃああっ!」
美咲の叫びと同時に、触手の拘束が解かれる。
解放された私の身体はそのまま高森の方へと飛んだ。
キャッチした高森は私をしっかりと支え、膝をついたまま背後の黒い影から守るように抱きしめた。
「何?!何なの?!」
「走るぞ!掴まれ!」
「ちょっと待って!美咲は!?」
「自分でどうにかなるだろ」
その時、美咲が絶叫した。
彼女の首元で黒い影が蛇のように伸び上がり、今度は美咲を絞首刑のように絡め取ろうとしていた。
「美咲!」
目の前で人が殺されそうになっている時、その人が善人か悪者かなんて冷静に考えられる人はどれくらいいるんだろう。
私は本能的に手を伸ばした。
美咲の指先が私の手に届きかけて、
「バカ野郎!」
高森の怒号とともに、私の腕は強い力で引き戻された。
黒い影が美咲の首を完全に捕らえ、吊り上げた。
「ぎゃあああっ!」
宙吊りになった美咲の足がばたつく。
佐藤先輩が恍惚とした表情で呟く。
「松井さん、これがあなたの罪の根幹よ。あなたが呪いを引き寄せたんじゃない。呪いがあなたの中に生まれたの」
絞めつけが強まるにつれ、美咲の顔が紫色に変色していく。
瞳孔が開き、泡を吹き始める。
そしてついに、骨の軋む音と共に首が折れ、美咲の体が力なく垂れ下がった。
高森に抱き留められたまま、私は呆然と宙吊りになった美咲の体を見上げていた。
「…美咲?」
言葉が喉の奥に引っかかる。
目の前で命が失われる瞬間を目撃したという事実が、思考を停止させる。
あれほど騒がしかった体育館が水底のように静まり返り、自分の心臓の鼓動だけが耳元で大きく鳴り響いていた。
「これが私の復讐の終着点」
佐藤先輩が静かに言った。
「彼女が他人の命を奪ったように、私も奪い返すの」
私たちは黒い影から距離を取りながら出口に向かう。
振り返ると、佐藤先輩が体育館の中央に佇んでいた。
彼女の足元で影が渦巻き、その中心から新たな首が伸び始めた。
今度は佐藤先輩自身の顔を模した首が。
「なるほど、そうよね。人を呪わば穴二つ」
黒い影が佐藤先輩の体を絡め取り始めた。
高森が私を押し出す。
「見るな行くぞ!」
ドアに体当たりすると、鍵が外れて開いた。
私たちは外の廊下に転がり出る。
背後で扉が激しい音を立てて閉まった。
遠くで悲鳴が響いた。
私は悪夢でも見ているようなぼんやりとした頭で、うまく周囲の状況が入ってこない。
扉の向こうからの轟音。
金属が軋むような音。
廊下の蛍光灯が一斉に破裂する。
体育館のドアが内側から吹き飛び、黒い奔流に七人の黒い影が蛇のように外に出てくるのをぼんやりと眺める。
「あやね大丈夫だ俺が絶対に守るから絶対に今度こそは」
高森が私を抱え込み、廊下の隅に身を隠す。
黒い影たちは赤く光る目をこちらに向けてきた。
まるで獲物を探すように。
携帯がなった。
先ほどまでは恐怖しかなかっはずなのに、感情が遠のいた今、何のためらいもなく、私は電話に出た。
「金光先輩?」
山下の名を呼ぶ(bad end 5∶俺以外の名を)
→金光の名を呼ぶ




