3 . 呪いの対象
カフェテラスで、山下先輩は薄暗い隅の席に一人でいた。
既に高森は撤退したのか、姿が見えない。
山下先輩は、湯気の消えたコーヒーを前にノートに何かを書き込んでいる。
眼鏡の奥の細い目は、一度私たちを認識したものの、すぐに興味を失ったようにノートに戻る。
山下先輩は美咲に対しても複雑な想いがあるはずだが、想像していたような反応どころか、何の反応もなく、私は戸惑った。
高森先輩に対する態度の違いは、思い入れの違いか。
さっきの周囲を憚らない呪いの陰湿男が、今更クールキャラ気取りかよ?と思わないでもないが、やっぱり一度好きになった女の前ではみっともない姿を見せたくないものなのだろうか。
「山下先輩」
私はテーブルを挟んで正面に立つ。
化け物はさすがに人混みの中では近付かないだろうとふんでの余裕と行動だ。
明日という期限の前に、化け物も人前に出るリスクはとらないだろう。
カフェテラスのざわめきに少しだけ、私と美咲は気が抜ける。
美咲は既に椅子に座り込んで、放心していた。
「少しお話、いいですか?」
山下先輩はペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。
レンズの奥の冷たい視線が突き刺さる。
「…何のようだ」
「単刀直入に伺います、先輩は美咲に呪いをかけましたか?」
先輩の閉じたノートが静かな音を立てた。
山下先輩は眼鏡を外し、慎重に拭き布で拭く。
その動作に感情は見えない。
「何を言っているんだ?変なヤツだと思われるぞ」
「何とでも思えばいいじゃないですか。山下先輩だって人の目なんて気にしないくせに」
絶対山下先輩にだけは変人呼ばわりされたくない。
山下先輩は眼鏡を拭き終え、ゆっくりと顔に戻した。
レンズ越しに覗く瞳には、計算された冷酷さが宿っている。
「くだらない。暇なのか?」
「暇じゃありません。命が懸かってるんです」
美咲が私の袖を引く。
「絢音…」
「黙って」
私は遮るように言った。
「先日の件で、先輩は確かに高森先輩と美咲を恨んでいた。だから、呪いをかけたのではないのですか?」
「僕が高森を呪っていたからか?確かに高森のことは呪いたいくらい憎んでいる。あいつはいつも僕の望むものばかりを奪っていったからな。不可抗力だとか僕の実力不足もあったから、今まではそれでもお友達ごっこを続けていたさ。あいつは友人としてはいい奴だったから。でも、僕はずっと、あいつを憎める日が来るのを、本当は心待ちにしていたんだ」
山下先輩は歪んだ微笑みを唇だけで形作る。
そして、美咲に仄暗い目を向けながら、指先でカップなぞる。
「松井さん。僕は確かに君が高森に体を許したと言った時は驚いた。だが、それは君と高森と佐藤の問題で、僕は君たち当事者にすらなれなかった。そのことに対して思う気持ちがないと言えば嘘になるが、君に対する思いはもうない。そもそも、僕が君たちのことを知った時に思ったのは、何だったと思う?高森のことだけだ。あいつとの友情ごっこからようやく解放されるという安堵感とあいつへの恨みだけだったよ」
美咲の喉がヒュッと鳴った。
唇が震え、視線が床をさまよう。
山下先輩の言葉が鋭く美咲の胸を抉る。
蒼白だった顔がさらに色を失い、唇が小刻みに震えた。
「さて、もういいだろ」
レンズ越しに向けられた山下先輩の視線には一片の迷いもなく、冷徹な計算高さと軽蔑だけがあった。
「高森が僕の大切な時間を奪った。僕は高森に、それを償ってもらう方法を探していただけだよ」
彼は静かに席を立ち、コーヒーカップをトレイごと返却カウンターに運んだ。
「山下先輩、これだけ聞かせてください!先輩は誰が美咲を呪ってると思いますか?」
このままじゃ、何の情報も得られないと、私は慌てて、山下先輩の背中越しに声をかける。
無視されるかと思いきや、山下先輩は一瞬だけこちらを向いた。
冷たいが、嘲るような笑みが微かにあった。
「松井さんが誰かに呪われていると仮定しての話、それは何かからの報いだ。松井さん自身が惹き寄せたのだとしたら、自業自得。絢音さん、先輩として忠告しておこう。情けも過ぐれば仇となる。余計なお節介で首を突っ込んで、その首を切り落とされないようにすることだ」
→「先輩は誰が美咲を呪ってると思いますか?」
「先輩は高森を呪っているんですか?」




