8 二人ぼっち
おひさま保育園と書かれた門柱の前に雪都が辿り着いた時、規定の閉園時間を十五分ほど過ぎていた。既に閉ざされてしまっている門扉を少しだけ開け、雪都は体を斜めにしてすり抜けるように中に入る。多分、外で遊んでいるだろうと見当をつけて園庭まで一直線に走ったら案の定、砂場にうずくまっている小さな影を見つけた。
「晴音!」
幼い妹の名を呼ぶと、影がぴょんと飛び上がる。雪都と同じく薄茶色の髪だが、晴音の髪は雪都のそれより赤味を帯びている。どちらにしても日本人らしからぬ髪の色に変わりなく、目立つことこの上ないのだが、その晴音が砂場の上で手を振りながらぴょんぴょんと跳ねた。
「お兄ちゃーん」
雪都は駆け寄ると、すぐに晴音を抱上げた。遅くなってごめんなと言えば、タケちゃんと遊んでたから平気と答える。
遅くなってすみませんでしたと、今度は晴音の傍らに座り込んでいたがっちりとした大男に雪都は頭をさげた。するとドスの利いた低い声が、構いませんよと返ってきた。
おひさま保育園の園長である八木健は、がっしりとした体と子供の頃に自転車でこけて負ったという左頬のギザギザ傷が相まって、保父よりならず者を名乗った方がしっくりくる迫力のある面構えをしている。
「タケちゃん、またお砂場で遊ぼうね」
「おう、いいぜ」
赤のギンガムチェックの地に茶色いクマの顔をアップリケしたエプロンをつけた健がぬっと立ち上がると、百八十近い身長の雪都でも見あげなければならない。この可愛らしいエプロンは少しでも子供達に恐がられないようにとのことらしいが、似合わなすぎて余計に恐いことを教えてやるべきかどうか。
「タケちゃん、お外までお見送りして」
「おう、いいぜ」
他の子供たちは恐がって絶対に健には近づかないらしいが、どうしたことか晴音はこの強面の園長が大好きなのだ。
晴音が下してと言うので、雪都は抱えていた小さな体を地面に下した。晴音の手が健のごつい手をきゅっと握ると、健は歯を見せてニヤリと笑う。
二メートルを越す大男と五歳児が手を繋いでいる姿というのは、微笑ましく見えないこともない。
雪都は苦笑いを浮かべて、妹とその想い人の後をゆっくりとついて行った。カラフルな遊具が並んでいる園庭を抜け、正面玄関に回る。
「それじゃあ、お世話になりました」
健の手から晴音を引取り、きっちりと頭をさげる雪都に健も深々とお辞儀を返した。そして、肉厚の大きな手を振る。
「また来週な、晴音」
「バイバイ、タケちゃん。大好きだよ!」
毎度のことながら、晴音の大好き宣言に雪都は吹き出しそうになる。いくら子供とはいえ、大好きなんてよくこんな大声で叫べるものだ。
だけど、晴音にとってあの園長の存在が救いになっていることを知っている雪都の心中は複雑だ。雪都に手を引かれて弾むような軽い足取りで歩いている晴音の頭の天辺を見下ろしながら、雪都は軽く息を吐いた。
この髪の色のせいで、子供たちは晴音に近づこうとしない。苛められていないだけマシだとは思うが、それでも可哀相なことに代わりない。
保育園で晴音の相手をしてくれているのは、園長である健なのだ。
受け持ちの保育士たちは晴音一人だけにかまってはいられないので、自然と受け持ちを持っていない健が相手をするようになったらしい。今日みたいに砂場や遊具で遊ばせてくれることもあるし、健が事務仕事をしている間は、晴音は園長室に入り浸って、お絵かきや積み木などで一人遊びをしているそうだ。
世界で一番好きなのはタケちゃん、お兄ちゃんは二番目と晴音に言われてがっくりしたのはつい先日のことだ。普通なら一番好きと言われるであろう母親である十和子は三位で、これまた雪都以上にがっくりとしていたが。
ちなみにベスト3にも入らなかった父親・秋雪は、その悲しい事実をまだ知らない。
「晴音、アイス買って帰るか?」
「うん!何のアイスにしようかなぁ、お兄ちゃんは何にする?」
「俺は、お店で見てから決めようかな」
「じゃあ、晴音も見てから決める」
見てから決めるなんて言っていても、どうせ晴音が選ぶのは苺のアイスと決まっている。ケーキでも駄菓子でも、晴音は必ず苺だ。
そう言えば、あいつも苺派だったな。
遠足の時、ピンクのうさぎがついているリュックから出て来るのは全部ピンクの箱だった。苺ポッキーに苺チョコ、それに何とか言う苺味のスナック菓子。小さな弁当箱の端っこにも苺が入っていた。いつも二つ入っていて、一つは雪都にくれたものだ。
保育園で一緒だった頃の幼い美雨の顔を、雪都は今でも鮮やかに思い浮かべることができる。雪都も晴音と同じように、この薄茶色の髪のせいで保育園では一人ぼっちだった。しかも、人懐っこいところのある晴音とは違って雪都は、自分から誰かに話しかけるようなこともない。
雪都は晴音以上に敬遠されたし、素直になれない性格が禍して自ら威嚇しているようなところもあったのだ。
だけど、そんな雪都に平気で近づいて来た女の子が一人だけいた。美雨という名前の、苺が好きな女の子だった。
「こんびにー」
いつも立ち寄るコンビニが見えて来ると、晴音は雪都の手を放して駆け出した。肩のところで切り揃えた晴音の髪が、夕日を受けてその色を濃くしていた。
「走るとコケるぞ」
「コケないもーん」
とてとてと短い足で走って行く晴音の後を、雪都は苦笑いしながらついて行った。