91.追いかけっこ
分かっていた。分かってはいたんだ。
ただのマラソンになる確率が低いだろうということは。
俺と小春は今、山の中を走っている。
後方でスタートが切られて少ししてからのことだった。
急にふわっと体が浮いたような感覚がして、木の葉まみれの突風が吹いた。
目を開けることが出来なくて、木の葉が顔に勢いよくぶつかってくるので咄嗟に腕で小春と顔を隠しながら、ああ、これ妖術か何かなんだろうなと諦めに近い心境で思った。
風がやんで、目を開ければ辺り一面は見事な木々が生い茂る山。
取りあえず、自分の体が向いている方向に軽く走りながら小春と現状の把握に苦心している。
「小春、幻術?なのかな。センジュさんが『場所はこの迷い人の住処より御山まで』って宣言しているから幻術だと思うんだが、どうだろう」
「あい。それで間違いないと思う。ただ、鬼ごとの距離は伸びた思った方が良いかも。
同じ場所をぐるぐる回っているかもしれない。
後ろでスタートを切った者たちは、ツバメお兄ちゃんを含めて誰も走ったりしなかったよ。きっと、誰かが惑わすと踏んでたんだと思う」
「で、今、優雅に歩いて来てるってわけか」
「あい」
それなら、あまり走りすぎても体力を消耗して不利になるだけかもしれない。
「小春、方向的には、こっちで良いんだよな。森津木さんか小鳥少年との縁を辿れたりしない?」
「この方向で間違ってないよ。大丈夫。術は準備無しに展開された弱めのものだと思うの。
だから媒体とかは無くて、この森の繋ぎ目があるはず。そこから出られると思うのだけど…」
鬱蒼と茂る森は、なるほど。この時期の禿山ではない緑深さだ。
「繋ぎ目を探して壊さないといけないってことか」
厄介ごとだとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかった。
ここまで来て「帰れませんでした」とか冗談きつい。どうやって、繋ぎ目を探せばいいのか。
森と言えば、俺の中でコダマさんなんだけど、別の郷の者だろうなぁ。
何か、ないだろうか。違和感を覚える物とか。繋ぎ目。なら、同じ景色が巡っているのか?なら景色を覚えて、繰り返し地点を探せば。
目を凝らして、観察する。右の木の一本目は、大ぶりの枝が六。幹の大きな傷、葉の形、根の形。
見える景色をそのまま記憶して照らし合わせる。するとすぐに景色が被った。駆け足で十歩程度の距離。
「小春、この幻術、狭いぞ」
説明するとすぐに小春は把握してくれた。
「じゃあ、繋ぎ目さがそう、お兄ちゃん。微妙にずれている個所とか無いかな」
見る限り、無いように思う。
今も背後から、鬼たちが歩いて来ていると思うと気ばかりが焦る。
どこかに、違和感があるところ。どこか、何か…。
不意に、さわりと近くで何かが揺れた。何だ。
葉擦れの音?上を見上げると生い茂る木々が葉を揺らしている。けれど、その音じゃない気がする。
『岩木は『木』属性を他者から強化されていて』
『お兄ちゃんが、『木』の祝福を貰った時も横に居たもの』
あ。自分の頭をポンと抑える。
「マリモッ」
ポンポンとマリモの乗っていた頭を確認すると、三回目にふよっという手触りが有った。
急いでそれを掴み目の前に持ってくる。
あの時のマリモ。そういえば、俺の頭にひっついて離れた記憶が無い。コダマさん合体を始めたときも頭から降りた様子は無かった。
その姿を確認して、これは自分の一部になっていると本能で分かる。これか!
「お兄ちゃん、気づけたね、おめでとう。といっても、『マリモ』も見つけて欲しくて頑張ったみたいだね。あの時、お兄ちゃんの頭から離れずに、そのまま染み込んでいったんだよ。
お兄ちゃんのこと、凄く気に入ったのだと思う」
小春の言葉に、大分待たせたのだと知る。そうだな。悪縁のときも一緒にいたならさぞかしモヤモヤっとしただろう。
「気づかずに悪かったな。ええと、名前はどうしようか。君はもう俺だけど、名前付けていいの」
手を放すとふよりと浮かび、くるりと回る。
「お兄ちゃん、付けてって」
「分かった。じゃあ、木毬でどうだ?属性の木と丸いから毬」
毛を求めると書いて毬。コダマさんの頭髪の部分かもしれない。そして俺の頭に着地していた。言わないけど。あと『マリモ』の印象が強いから毬にしたのも認める。
ぴょいっと小刻みに跳ねて、くるりと俺の周りを一周した。
「うん。気に入ったみたいだよ、お兄ちゃん。木毬、現世に行ってもお兄ちゃんをよろしくね」
肩にいる小春に近づき、ぽよんとすり寄る。
「お兄ちゃん。木毬がここから出してあげるって」
小春の言葉と同時に、木毬が俺の眼前でくるりと回ると、森に一本の線が浮き出た。
ふよりと木毬が俺の掌に納まる。ああ、分かるよ。木毬の言いたいことは分からないが、能力はなんとなくわかる。ぶつければいいのだ。木毬を、境界に。
「木毬を、全力で投げろって、ことだよな!」
俺は振りかぶり全力で木毬を境界に向けて投げた。
パリンと軽い音を立てて田畑の一本道が姿を戻す。
後ろを確認することもなく、俺は一気に駆けだした。どよっとした喧騒が後方に生まれたがそれが想定よりも近かったこともあって、一気に加速する。
木毬は飛んだ先でポヨンポヨンと跳ねて、走り抜ける際にしっかり俺の頭の上に着地した。
「なんと。あの迷い人、夢狭間を破りよったぞ」
「人間か?」
「あ、あやつ、福童以外の加護を有しておるではないか」
「これは愉快。先ほどまで成りを潜めていた加護が表面に出ておる」
「良く見やれ。染み溶け、疾く潜りよるわ」
木毬の気配は跳ねを利用して俺の頭に戻っていたが、またすうっと薄くなっている。
そうか、戻っているんだ。
アパートから保護施設まで約二十分。途中にある無人販売所まではまだ少し距離が有る。
後ろの集団が酔っ払いで足が遅いのが救いだ。
「走るか?」
「いや、走れば目も回ろう。儂はせん」
「誰ぞ、ほら、迷い人の足止めをせんか」
「儂の足なら止めてやろう。よっこらしょ」
「おわっ、お主、おもむろに横たわるな。邪魔だ踏みつぶすぞ」
「酒が出る。腹は避けて踏んでくれ」
相も変わらずこの郷の者たちはどこか、可笑しい。この郷に来て体力は少し落ちたけれど、それでも酔っ払いの足に負けるとは思わない。
相手が次の術を使ってくる前に少しでもゴールに近づいておかなければと、全力疾走だ。
「あ。そう言えば、こんなこと出来た」
後ろから小さく聞こえたその声に慌てて足を止める。
さっきの幻術は幻術に入った場所から動かなければそこが境界だったのだ。
下手に動かない方が利になる場合が有る。
止まって二秒ほどして、前方に広がるあぜ道が大きく抉れた。
「お兄ちゃん、これ…」
小春が戸惑った声を上げる。
「小春、これ、幻術じゃない?実際に抉れてる?」
「あい。抉れているというより、裂けているの」
命の危機。え、これ命の危機じゃない?コダマさんたちを探せば上空から「せーふ」と判定が下った。センジュさんは巻物に座っているし、コダマさんはキョウコクさんに引っ付いている。そしてキョウコクさんは雲のようなものに立っていた。何あれ楽しそう。
「お兄ちゃん、どうする?多分、田畑に降りればそちらも割かれる。迷惑をかけてしまうから、降りられないよ」
もちろん、田畑に降りるという選択は無い。食料はとてもとても大事なものだ。俺がこの郷に来て心身に刻み込んだ真理である。
「そうだな。田畑に降りるのは無しだ。どうしようか」
木毬にもう一度出てもらって、木の枝を伸ばしてもらう?いや、今の木毬にそこまでの力は無い。かといって、この裂けめの横を通り抜けるのは危険だ。
「どれ。道を繋いでやろう」
どこからか聞いたことが有る不思議な声が響いた。思わず後ろを振り返ると、後方の鬼たちも皆後ろを振り返っている。
ドン、ドン、ドンと音が響く。
「それ。岩の守りを持つ者よ。ありがたい。ありがたき、心根よ。
そなたの道は真っ直ぐ、祝福の光とともにあれ」
「ドウソウさんっ」
思わず叫ぶ。きっと、あの十字路にいる。届くだろうか。
きっと届く。
「有難うございますっ。ドウソウさんも、どうかお元気でっ」
返事は無い。けれど、俺の進行方向、地割れの上に光る道が伸びていた。
迷わずに足を踏み入れる。
光は半透明で、地割れの底が深く覗く。でもこれはドウソウさんの道。
危険なんてない。俺が再び駆け始めると、酔っ払いの集団から「あー」と唸り声が聞こえた。
「また、走り始めたぞ。やれ、如何とする」
「足止めできる者はおらぬのか」
「お主、酔っ払いに頭を求めるか」
「違いない」
どっと笑いが広がる。
「お兄ちゃん。後ろの集団はちらほら、道端に寝転がる者が増えてきたよ」
「そのまま、どんどん脱落者が出てくれれば嬉しいんだがな」
地割れは結構長く続いていたらしく、ドウソウさんの道を渡り切るころにはアパートと保護施設のほぼ中間にある無人販売所が目の前に迫っていた。




