92. 挨拶はしっかりと
無人販売所を走り抜けて少し。後方ではツバメが酔っ払い集団から「ツバメ、先に行け」「儂らに構うな。もう動けん」と締め出されて一人で追いかけてきていた。
残った酔っ払い達は畦道を引き返す者、その場で寝始める者。隠し持っていた酒で酒盛りを始める者に別れたらしい。小春が教えてくれるのがとてもありがたい。
「あはは、見て、あのツバメの顔っ。傑作」
「しょっぱそうな顔だね」
上空ではコダマさんたちが大爆笑している。
「でもこれで、見張りもだいぶ楽になったわね。ほらツバメ頑張りなさい。
ツバメが望んで始めたことでしょう」
「お兄ちゃん。ツバメお兄ちゃんも走り始めたよ。凄く早い」
センジュさんからの発破を受け、ツバメが走り始めたようだ。
だが既に視界に保護施設がくっきりと見えている。一本道なので見晴らしはとても良い。
まだ近いとは言えないが、遠いとも言えない距離。
「目算で、二人がこのままの速さで走ったら、御山直前で捕まるかもしれない」
え、そんなに早いのツバメ。早そうだと思ってはいたけど。
「あ。立ち止まってえずいてる」
さすがツバメ。それでこそツバメ。見事だツバメ。
昨日どれだけ呑んだのだろうか。上空から「大丈夫?」と心配げな声が聞こえる。
数秒してから、おえっとリバースする音が聞こえた。本当大丈夫かツバメ。だが足は止めない。
「お兄ちゃん今のうちに。勝負は全力で挑まないと失礼だからね」
その通りだとも。懐かしい保護施設が次第に大きくなってくる。
畦道は保護施設に続いてる。あれ。御山にはどこから入るんだ?保護施設には見る限り塀が無いから、建物の脇から入れるだろうか。
「小春。御山の入口はこのまま道沿いで行くのか?」
この道は保護施設までは真っ直ぐ伸びているが、御山にいくなら、保護施設をぐるりと回る必要が有りそうだ。
「ううん。近道有るよ。良かったねお兄ちゃん。先行してる森津木さんと小鳥お兄ちゃんかな。保護施設の扉を裏口も含めて開け放ってくれている。中を突っ切ればいいよ」
「靴履いたままで?」
「あい。玄関の目立つ場所に掃除道具が出してあるの。『そのまま突っ切って。掃除は任せて』ってことだと思う」
二人とも大好きー!さすがは森津木さんと小鳥少年だ。最後までお世話になりっぱなしだな。
ツバメはリバースしてすっきりしたようで、すぐに先ほどより速い速度で走り始めたようだ。小春がちょっとオロオロしている。それ位早いってことか。
「小春。トラップの準備を」
「あい」
昨日のうちに小春たちと相談して捕まりそうになった時用の対策を考えてある。小春が肩から俺が抱き込んでいるカバンに移動して中からある物を取り出した。この罠は俺が一旦足を止めて振り返る必要が有り、他にも条件が一つ有る。捕まる少し前にしか使えない。
保護施設の玄関口にある掃除道具が俺にもはっきりと見え、開けっ放しの玄関口の後ろに勝手口まではっきりと見えるころ、小春が「お兄ちゃん、トラップ今」と教えてくれる。
小春から渡された罠を受け取り、後ろを振り返ると驚いた顔のツバメが思ったより近くにあった。
「ツバメ、受け取れ!今までアリガトー!!!」
本日二度目の全力投球。今回はなるべく放射物線を描くように高く遠くに投げる。
この瓶は昨日小鳥少年から良い笑顔で貰った鬼族秘蔵の例のどぶろく、俺と小春のツバメへの感謝付き、供物の美酒?だ。
以前の味を覚えていたのか、ツバメが反射的に酒を追いかけ逆走を始める。
「おわあっ!おま、何て物を!ちくしょうっ」
何せ瓶である。落ちたら割れるので落ちる前に取らねばならない。
そして逆走分をまた走らなければいけないのでこちらは少し有利になるという算段だ。
「しっかりキャッチしたよ。さすがツバメお兄ちゃん」
「岩木、ズルいぞっ」
後ろからツバメの声が聞こえる。何とでも言え。その隙に俺は保護施設の玄関をくぐり勝手口に抜ける。目の前に広がる御山の斜面に、森津木さんと小鳥少年が笑顔で待っていた。
保護施設の裏口。胡坐をかいたツバメが事務メンバー相手に泣き言をこぼしていた。
「ひでえ。なあ、センジュ。ひどくない?岩木の味方はするのに、俺の味方が誰もいないって何で」
管を巻いているツバメにセンジュさんが柔らかく笑いかける。
「いっぱいいたじゃない。酔っ払いが」
「あれは味方か?」
「味方よ。酔っ払い達が二度も岩木君の足止めしてくれたでしょう?
最初から走っていれば、岩木君を捕まえられたのに悠長に歩いたのはだあれ?」
「俺」
事務メンバーがワイワイと遊んでいる横で、俺たちアパート組は保護施設の土足で駆けた部分を掃除していた。といっても、道具も出してあったしすぐに終わったが。
掃除道具を片付けて、改めて皆にお礼を言う。特にコダマさんには木毬の件でお礼を伝えた。それが終わってから恨めしそうなツバメに近寄って「元気で」と言えば、「応。岩木も達者で」と返してくれる。それにくすりと笑って、カバンからもう二本どぶろくを取り出した。
「これ。気持ちは皆宛てに込めたので、良かったらどうぞ。今まで有難うございました」
ぱっと皆の顔が輝く。本当にお酒が好きな人たちだ。コダマさんが笑顔で受け取った。
「わあ、ありがとう!よし、ツバメ。このままこの施設で呑もうか」
「そうだな。帰り道の酔っ払い達に見つかれば取られるだろうしな。最後まで有難うな、岩木」
ツバメの肩をポンと叩いてキョウコクさんが頷く。何だかんだでこの四人はとても仲が良い。
「有難う、岩木君。ツバメに付き合ってくれた上に、お酒まで」
にっこりと優しく笑顔で「ほら、ツバメ」とセンジュさんが促す。ツバメもようやく立ち上がって苦笑いで、「有難うな」と言葉をくれた。
事務メンバーとの挨拶が終わったら、森津木さんが口を開く。
「じゃあ、岩木。小春はいったん僕が預かるね。ちゃんと絡繰り屋まで届けるから安心して。
帰り道は振り返ってはいけないよ。今手を振るのも無しだよ。どうか、元気で」
「岩兄ちゃん、会えて良かった。楽しかったぜ。元気でなっ」
小春が差し出された森津木さんの手のひらにぴょいっと飛び乗って、見上げてくる。
「お兄ちゃん。私はお兄ちゃんの福童。お兄ちゃんの幸せを祈っているよ。キッコウ柊は私に任せてね」
皆がくれる優しい言葉を、どうか覚えていますようにと願う。
森津木さんに向き合って頭を下げる。
「森津木さん、お世話になりました。森津木さんが居なかったら俺はきっと今、ここには居ない。有難うございました」
「どういたしまして」
小鳥少年に向き直ると、「顔が見たいから、お辞儀は良いよ」と先手を打たれる。相変わらず可愛い。
「小鳥少年も。初日に一緒にいてくれて凄く心強かった。講義も為になったし、色々助けてもらったし。おかげで、楽しかったよ。有難うな」
「へへっ。俺も楽しかった!こっちこそ、ありがとな」
少し鼻の赤くなった顔で、小鳥少年は満面の笑顔をくれる。俺も小鳥少年みたいに笑えていたら、良いのだけど。
最後に森津木さんの肩に乗っている小春に向き合う。
小春は鼻どころか、頬まで真っ赤にしてこちらをじっと見つめている。
「小春。キッコウ柊は任せた。有難う。俺も小春のこと大好きだよ」
気の利いた言葉なんて持ち合わせていないから、普段の言葉で飾らずに伝える。
「あい。あいっ!お兄ちゃん、大好きだよっ。だから、きっと幸せになってね」
「小春も」
ブンブンと頷く小春の頭を撫でる。そっと頭を寄せてきた小鳥少年も撫でる。
流れ的に森津木さんも撫でるべきかと悩んでいたら目が合って、首を振られた。ですよね。
これ以上挨拶を長引かせると、名残惜しさで足が動かなくなるだろう。
「じゃあ皆。元気で。本当に有難う」
御山に足を踏み入れる。麓から中腹にある鳥居までは一本道だ。振り返らずに登ればすぐに鳥居が目前に迫る。この鳥居を潜れば帰れる。そっと腕の雁木玉を撫でる。かすかに煌めいた雁木玉は海神様が入っている。あの海に行かないとな。鳥居の前で深呼吸をして一歩を踏み出すと、白い光に包まれた。
今年も冬が来た。去年、岩木が帰った後は小鳥は大泣きした。今は立ち直ったが十一月の中旬を過ぎてからまた僕の部屋に泊まりに来ることが増えて来ている。
二十日になると天気のいい日を選んで新しく来るかもしれない迷い人のためにアパートの空き部屋を掃除する。今年は小鳥が鬼族の所に遊びに行っている間に素早く掃除を終わらせた。
後で小鳥から、苦情とお礼とその分年末の掃除は早起きするからと言われ苦笑する。もう数日だ。今年も迎え火は灯るだろうか。
ゆらり ゆうらり
例年通りに御山に迎え火が灯り、夜に舎長がアパートの戸を叩いた。
今年も僕は案内人を受けているのでその報せだ。準備をして保護施設に向かう。今夜は僕も保護施設に泊まるのだ。
今年の迎え火は何と七つ。前代未聞である。寮の使える部屋は五部屋だから二人はアパートに入ることになる。一階より二階が良いだろうから、きっと六号室には新しい迷い人が入るだろう。
もし、騒がしい迷い人が入ったら、小鳥を部屋に泊めて、しばらくは防音結界を張っても良いかもしれない。カケイに札を融通してもらえるか聞いておこう。
施設の部屋で待っていると俄かに屋外が騒がしくなる。迷い人が数人見つかったのだろう。さて、僕の担当になる迷い人はどんな人間かな。そんなことを考えていると見知った郷の者が興奮した面持ちで僕の担当の迷い人が決まった旨を教えてくれた。
昨年の岩木みたいに濡れていたり、手当の必要はないとのことだったので、じゃあと寝かすための布団を引こうとしたら不要だと言われた。何だろう。初めてだな。布団がいらない迷い人。知り合いは迷い人を連れてくると再び屋外に出て行った。そういや、迷い人の担当が決まったってだけで、報告受けたのも初めてな気がする。
すぐに先ほどの知り合いが戻ってくる。今晩は迷い人が夜に外にいる前提で狩り禁止の郷で年一回の安全な夜だ。迷いなく扉を開ける。
「迷い人はどこですか?」
知人は手ぶらだった。迷い人は大体俵担ぎか小脇に抱えて運ばれることが多い。手ぶらで連れて来たも何もないだろう。
すると陰からすっと、人が出てきた。照れくさそうな、それでいてとても嬉しそうな顔でこちらを見ると、親しみのこもった声でこう言ったのだ。
「お久しぶりです、森津木さん。アパートの六号室希望の岩木です。よろしくお願いします」
これにて本編は完結です。お読みいただいて有難うございました。




