89.それぞれの幕間
「それにしても、イワキサン、最後まで訳が分からなかったね」
少女が含み笑いをしながら隣の少年に話しかけた。
「ホントそれな。もう会えないと思ってたのに、夕方前にふらりと来て『鬼ごっこすることになってさ』だもんな」
時刻は午後六時半。
寮では食堂で早めの夕飯を食べないときは、バイトから帰るとまず三人で戸締りを確認して回ってからそれぞれが風呂を済ましてしまう。布団をひいてから、最後に晩飯という順番がいつのまにか出来上がった。
晩飯を食べて満腹になったらすぐに布団に入って出来る限り早く寝るためだ。
夜に起きていても良いことなんて一つもない。
この郷に来てから、腹回りの肉は落ちる一方だったから、誰も太ることなど気にしなかった。ましてや、体に悪いなど欠片も思うはずがない。起きていれば精神がやられて、最悪その体が無くなってしまうのだから。
炊飯器から勢いよく出る蒸気が調理室の空気に馴染んでいく。
今日は食堂ではなく、寮での晩飯だ。かつてないほど満杯になった冷蔵庫は、件の人物が買い出しに行ってくれたおかげである。
「今晩はきっと冷えるから、鍋でも良いか。岩木君から貰った冷凍ツミレ使うけど、良いよね」
「岩っち、そんなものまで作ってたんだ。でも鍋って他に何入れるんすか」
「味噌汁の具材。というより、ツミレの入った味噌汁を土鍋で作る」
「なるほど」
後輩が神妙な顔で相槌を打つ。
「まあ、私たち、ほとんど料理できないし。今だってセンパイにおんぶに抱っこだから高望みはできないわよね。
これからはイワキサンの差し入れが無くなる分、食卓が貧しくなること必至ね」
「いや、どうだろうね。明日の鬼ごっこで捕まっちゃえばこの郷に残るんだろ?
化け物相手に、逃げ切れるのか微妙なとこじゃないか。あれ、その場合俺たちって送ってもらえないのか?」
冷凍庫から、冷凍椎茸を取り出す。何か解凍作業がいるだろうかと少し考えたが分からなかったのでそのまま水を張った土鍋に放り込む。
「そこは別に良いんじゃない?帰るときは三人だもの。ただ、イワキサンを引き留めるための出汁に使われただけよ」
「だよな。それより、やっぱり無事に帰れるのかが心配だよな。でも逃げ切るような気もする。岩っちだからなぁ」
「ホント、不思議よね。イワキサン。あの人の微妙にある戦闘能力って何なのかしら」
少女は冷蔵庫から白菜を取り出して少年に投げ渡して、そのまま冷蔵庫の物色に戻る。
「あれって、小春ちゃんの力だけじゃないような気がするのよね。だって、自分を追いかけてきた悪霊を何とかしちゃったんでしょ」
「ああ、良く分からないことを化け物たちが噂してたよな」
「その噂も、良く分かんないことだらけで、結局岩っちは火を吐きながら空を飛んだんすかね」
「何言ってんのよ。川に身を潜めて氷を全力で投げつけながら最後に橋を投げたのよ」
楽しそうな二人に青年は半笑いで釘を刺した。
「人間だから。無理だから」
「知ってるわ。だから詳しく聞かなかったのよ。貴重な話題を減らす気なんて無いんだから」
ぐつぐつと煮える鍋から、食欲をそそる良い匂いがする。
今日の夜は森津木さんの部屋で鍋である。小鳥少年も炬燵の一角を陣取って待ての姿勢だ。
「締めはご飯だから。雑炊食べたければお腹の隙間は確保しといてね」
森津木さんからの忠告に皆で神妙に頷く。
準備は万端。森津木さんが席に着いて、パンと手を合わせると同時に皆が一斉に手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
綺麗に重なった声が湯気の周りに響いた。
すぐさまお玉を確保して小鳥少年の取り皿を掠め取る。
「あ!岩兄ちゃん、止めて。香草入れないで。ああ、肉系だけで最初はいっぱいにしようと思ってたのに」
「岩木。肉を所望の小鳥に、畑の肉入れてやって」
森津木さんからの指令を実行する。
「嫌いじゃないけど、嫌いじゃないけど豆腐を二個以上入れないでよ。取り皿山盛りになって食べにくいだろ」
肉以外でこんもりと重くなった取り皿を小鳥少年に渡すと、しぶしぶ受け取ってくれる。
素直な良い子である。
「ほら、二皿目からは肉で良いから、その皿に乗ってる分の野菜は食べてくれよ」
森津木さんは自分で取るとのことで、俺の取り皿に適当に取ってすぐにお玉を回す。
「小春、リクエストある?」
俺の取り皿に盛ってあるもので、小春でも食べられるサイズのものを探す。
「ネギとエノキと白菜で、小さいサイズのものが有れば食べたい」
どれも箸で割きやすいものだ。
もっとリクエストしてくれたらいいのにと思いながら、取りあえずその三種類を素早く小春の皿に乗せる。
「森津木さん、ツミレ一個取ってくれませんか」
「了解。はい」
小春にも食べきれるサイズにして、ツミレと豆腐を小春の皿に足していく。
他の具も小春の分を別皿に取り分けてから、自分も食べ始める。
「それにしても、今日の鍋はまた一段と豪華ですね」
「まぁね。何せ岩木のとこの食材が放出されたからね。冷蔵庫に入らないものや足が早いもの、消費が追い付かなさそうなものも全部放り込んだから、気合入れて食べてよ」
「任せてください」
「ん。でも岩兄ちゃん、食べすぎ注意だよ。お腹重くなったり痛くなったりしたら明日の鬼ごっこで走れなくなるから」
こんもりと盛った野菜をぺろりと平らげて念願の肉を選別しながら確保している小鳥少年に忠告される。
「あ、そうだった。でも、ツバメに食べすぎてお腹痛いからまた明日っていったらすんなり頷きそうだけど」
「「あー」」
もごもごと咀嚼をしていた小春が、呑みこんでから呟いた。
「ツバメお兄ちゃんは、本当になんていうか、残念だよね」
一瞬、部屋に沈黙が下りた。鍋の煮える音が数度だけ大きく存在を主張する。
こう、何ていうか、小春が幼女の見た目をしているからだろうか。ツバメに向けられた言葉だと分かってはいても「幼女からの評価が残念」というのは、心が抉られるものがあるというか。
森津木さんと小鳥少年も同じなのか二人とも箸が止まって無言だ。
「残念だから、憎めないし、敵視できない。心のままに生きてるのに周りに許されるって、ズルい」
むぅ、と頬を膨らまして俺を見上げた小春は、俺たちのいたたまれない沈黙に気づいた。
「?どうしたの?お兄ちゃんたち、どこか痛い?えっと?あれ?私、変なこと言ったかな」
「い、いや。気にしないでくれ。そうだな、ツバメは何て言うかお得な生き方してるとは思う」
うう、なぜ俺がツバメを庇うようなことを言わないといけないのか、釈然としない。
明日の追いかけっこなんていう厄介ごとに突っ込んだ相手なのに。
「そうだよね。うん。でも意外とそういうところが女性受けがいいのかもしれないね」
森津木さんが追撃でフォローしようとしてくれるが、一気に俺のやる気ゲージを削っていった。
小鳥少年が苦笑いしながら、選別していた肉をくれる。
「まあ、ツバメ兄ちゃんを餌付けしたのは岩兄ちゃんだし、仕方ないよ。
命の危険は無いだろうし、明日は全力で遊べばいいんじゃない?」
俺の進退がかかっているというのにこの軽い扱い。遺憾である。
夜の商店街の一角に賑やかな店が有る。表に掲げられた提灯の中には踊るような火が見て取れる。外まで漏れ出る声は陽気なものが多く、室内の賑やかさも察せられる。
「それではー、ツバメのー、情けない駄々捏ねを祝してー」
「「乾杯っ」」
居酒屋の古びた机を囲んだ気心の知れた者たちは、高く掲げた盃を勢いよく鳴らし、三者三様の煽りを披露する。
「何だよ、お前らだって、岩木が残った方が嬉しいくせに俺ばっかさ」
珍しくちびちびとお猪口で酒を煽りながらツバメが文句を垂れる。
「そだねぇ。それに異を唱える気はないけれど、かと言って迷い人の本願を邪魔するほど野暮じゃあ、ないよねぇ」
「う」
「コダマの言う通り。そこで駄々捏ねて、理由が岩木の弁当だから、情けねぇなぁ」
「う」
「まあ、二人ともそこまでにしてあげて。ツバメは私たちと違って舞い上がっても仕方がない、かもしれないし?」
唇を酒で湿らせた女が艶やかに笑うと、残りの二人も喉の奥にひっかけた笑いを産んだ。
この中でツバメだけ、現世に有ったときに「供え物」をされたことが無い。この郷に来てからは森津木のお礼には有りつけるものの、自分のためだけの供え物は岩木の酒が初めてだった。
「センジュまで、ひでぇ」
涙目で抗議するツバメは、まだ届かぬ肴の居場所にべったりと上半身を預け恨めしそうに周りを見やる。上品に笑いながら目を細めてその様を楽しんでいるセンジュは今日も絶好調だ。
「禍根を残すことはしないことだな。人の恨みはどの世も恐ろしい。ましてそれが、想定外の恨みなら殊更」
くぴっと喉を鳴らし、コダマが執成した。
「でも岩木君ってさ、そういうのとは縁遠い感じしない?だって、己に向けられる嫌悪にも疎かったよね」
「たしかに」
「今回もさ、精々小春ちゃんが『ツバメお兄ちゃん格好悪い』って思うくらいで岩木君自身は『うわ、ツバメ面倒くさっ』位な気がする。」
「………」
夕刻に、面倒くさいと言われたツバメは押し黙った。口は禍の元である。
「私は、岩木君よりツバメが可愛いし。ツバメが気の済むようにすれば良いと思ってるわ。
だから、ほら。機嫌直して、机と懇ろになってないで私にお酌して?」
小首をかしげてセンジュがねだると、ツバメはしぶしぶと机から離れた。
「俺だって分かってる。だが、食は強い欲だ。ごまかしてしまえば、この郷での流れに倦んじまうだろ」
「そうね。はい」
酌をねだったはずのセンジュがツバメのお猪口にとくりと酒を注ぐ。
「岩木君のお弁当や差し入れ、一番気に入ってたのツバメだったからねぇ」
「そうか?お前等ツバメに甘くないか?事務員は皆、差し入れは気に入ってたぞ。
まあ、供物だ。気に入らねぇってやつは殆どいないと思うがな」
供物という言葉に、居酒屋にいる一部の連中がピクリと反応する。言うなればご馳走の話題だ。場所が場所なだけに皆、耳聡くもなろうというものだ。
センジュが吐息をこぼし、頬杖をついて微笑んだ。
「ツバメは岩木君自身も、大層気に入ってたのよ。可愛がって、じゃれついていたでしょう」
「そうだな。なら、仕方ないか」
「そう。仕方ないのよ」
生暖かい眼差しを向けられてツバメが呻く。
「やめろ、そんな目で見るな」
「あはは。ツバメ、今更だよぉ。言っとくけど僕だって、岩木君のことそれなりに気に入ってたんだからねっ」
「コダマは小玉が気に入ってたな」
「あ。ばれてたんだ。へっへー。いいでしょ」
「そこら辺の考え方は私には、よく分からないわね。特性だから」
「お待たせ」
淀みなく流れる会話は、待っていた肴が来たことで堰止まる。
「やっぱり、冬は焼き魚だよな」
弾んだ声と同時に一斉に箸が伸ばされる。
「年中焼き魚じゃねぇの、ツバメは」
「焼き魚じゃなくても魚ならなんでも良いよねぇ、ツバメは」
「そういうお前らの方が、食べるの早いんだよっ。俺が注文したんだから、少しは遠慮しろっ」




