87.挨拶回り
一月二十九日、月曜日。
今朝がた、お礼の菓子折りがやっと出来上がった。時計の針も午前九時を少し過ぎの丁度良い時間。俺は大荷物でアパートを出た。
先ずは十字路でドウソウさんの入っていた石に苺大福を供える。
そのまま大荷物で商店街に行き、雑貨屋、絡繰り屋、食料品店を回り、それぞれにお礼を言って、お菓子を渡して回った。ちなみに食料品店のチトセにはお礼を配り終えて手ぶらになったら買い物に来ると伝えると笑われた。チトセには最近笑われてばかりだ。
管理舎まで引き返し、先ずは舎長に室に向かう。
そこで、舎長と銀さんに近々帰る報告とお礼を伝え、菓子折を渡す。
銀さんには小春の住み込み先についても報告しておいた。少し驚いていたようだったが、「小春が選んだ道ならば」と小春に柔らかく微笑んで激励していた。
あとは順番に回っていくだけだ。フミツキさん、売店のお姉さん、ツクロイさん、薬屋さん。受付、そして事務室。
「えー。岩木君、帰っちゃうの」
コダマさんの大声が事務室に響く。
「はい。本当にお世話になりました」
ぺこりと頭を下げる。コダマさんの声を聴き留めて、センジュさんが「少し早いけど、昼休憩にしましょ。岩木君も少し話したいから休憩室おいでよ」と気を利かせてくれた。
休憩室に入るとすぐにツバメたちが入ってきて、個別にお礼を伝え菓子折を渡す。
「なあ岩木。もう、ここにずっと居れば良いのに何で帰んの」
しっかりと菓子折りを受け取ったツバメが口をとがらせる。
「海神様との約束有るし、海に送っていきたいし、何より俺が帰りたい」
「まあ、そうだよねぇ。迷い人は帰りたいものだよ、ツバメ」
相槌を打ってくれたコダマさんは俺の手を握ってぶんぶんと上下に振って「元気でね」などと涙ぐんでいる。
「あ、待って、コダマさん。もし良かったら、今日の晩御飯を俺の部屋で一緒にどうかなって」
ピタリと止まったコダマさんがこちらを凝視する。
「え。岩木君の部屋で?僕だけ?」
「事務のお昼メンバーは全員誘いたいですね。ツバメ、キョウコクさん、センジュさんどうですか?」
「うーん。嬉しいけれど、私は辞退するわ。今日は先約があるの。でもツバメにお土産持たせてくれたらとても嬉しいかも」
眉をハの字に下げて、小首をかしげて「ごめんね?」とセンジュさんが断った。
なるほど。ツバメはセンジュさんの家に帰ると。そういやこの二人そうだっけ。
「残念ですが、先約なら仕方ないですね。分かりました。ツバメにお土産を渡しておきますね」
「なあ、それ。俺はまだ返事してないのに行く事が決定してるの何なの」
「ツバメも無理?それは残念な「いや、行くけど」」
被せてきたツバメにセンジュさんがクスクスと笑う。
ばつの悪そうなツバメを無視してキョウコクさんとコダマさんにも確認をする。
「僕はもちろん行くよ!わあ、楽しみだなぁ」
「俺も喜んで。酒は持参するが、帰れるうちに帰るから布団は用意しなくていいぞ」
そんな茶目っ気たっぷりに色よい返事をくれる。このメンバーは、クリスマスのときのメンバーだな。
「あと、これ。事務室の皆さんで良かったら。生ものは今日中に食べてくださいね」
大きめの箱を二つ取り出して渡す。これで紙袋の中に残っていあるのは寮メンバーの分だけだ。
「じゃあ、センジュさん。本当に有難うございました。お元気で」
「ええ。岩木君も」
もう会えないだろうセンジュさんに、感謝を込めて頭を下げて、今日何度も口にしている言葉を贈る。センジュさんがハの字の眉なままなのは、少しでも気にしてくれているからだろうか。事務メンバーの中でセンジュさんは最後まで壁があったけれど、少しは仲良くなれていたのかな。
なんだか湿っぽいのも恥ずかしいので、すぐにツバメたちに視線を戻して確認事項だけ伝える。
「ええと。何時ごろ来れる?」
「んー。そうだな。夕刻の鐘が鳴ったら切り上げて酒屋に行ってから邪魔するわ」
ツバメの返答に了解を帰して、一旦お開きだ。
丁度、事務室に後輩と姫ちゃんがいたので声をかけて、二人が少し早い昼休憩に入ることになった。そのまま先輩に合流して、三人に残っている紙袋ごと菓子折と軽食などを渡す。
「じゃあ、イワキサン。今まで色々ありがと。元気でね。小春ちゃんも」
「あい」
「姫ちゃんも元気で」
「岩っち。色々ありがとな。無事に帰れよ。俺たちの方も無事に帰れるように祈っておいてくれよ?小春も元気でやれよ」
「あい」
「了解。後輩も元気でな」
二人に挨拶をして先輩に向き合う。
「先輩も。お元気で。色々有難うございました」
「岩木君も。お世話になりっぱなしだったね。有難う。小春ちゃんも。さようなら」
「はい。さようなら」
「あい。先輩、さようなら」
管理舎の二階は人通りが少ない分静かで、正午に近い冬の日差しは窓から強く主張するわけでもなく、一階よりもさらに薄暗い。
結局、寮のメンバーで仲良くなれたのは後輩だけだったけれど、それでも会えてよかった。
彼らが無事に帰れたら良いと思う。
正午から夜の準備を始めた。小鳥少年も手伝ってくれて、思いの外手早く進んだのは幸いだった。センジュさんへの手土産は、冷めても食べれる持ち運びできるものを考え、別メニューとして作ることにする。綺麗にできたものを手土産にして、残りをツマミに出せばいいだろう。
三時過ぎに戻ってきた森津木さんを加えて、途中でおやつ休憩をしたら、小鳥少年と森津木さんはそれぞれの部屋に帰って行った。大体の準備は終わったので夕方には少し早いが先に風呂に入ってしまう。
準備万端で午後五時の鐘を迎え、後三十分もすれば三人が来るだろうから、おでんをストーブにかけて温めはじめ、グリルで魚を焼き始める。
その間に大根おろしを大量に作る。本当は直前に下したほうが良いのだが、そこは目を瞑ってもらおう。
おでんが温まるまでの繋ぎで出汁巻き卵を焼いていると、ちょうど三本焼き終った時にツバメたちが訪れた。
「いらっしゃい。寒かっただろ?上がって上がって」
「おう。邪魔するぜ」
「ども。岩木、今日はお招き有難う。遠慮なく来た。手土産何が良いか迷ってさ、結局チトセのお勧めの飴にした。ほい」
「岩木君、楽しみにしてきたよー。今日は飲むぞー」
どやどやとやって来た三人から、お土産の飴缶をもらった。
缶というか、陶器?何だこれ。真ん中にガラスが嵌め込んであって、中の飴が見えるようになっている。小さな飴が色取り取りに入っていて綺麗だ。
これは嬉しい。小春にも食べれるサイズだ。
「わ、有難うございます。嬉しいです。おしぼりすぐ出しますから、座ってて下さい」
以前来たことが有るからだろう、三人はさして迷わずに炬燵に入る。
電源は切ってあるが、ストーブは付けているし、大丈夫だろう。
レンチンしたおしぼりを出して、手を拭いてもらっている間に出汁巻き玉子を切って、大根おろしを添えて出す。
「出汁巻き卵は冷める前に食べちゃって。萎んじゃうから」
「んー。おいしいぃ」
言い終わる前にすでに食べ始めたコダマさんが幸せそうな顔で食べてくれる。
残りの二人もすぐさま箸をつけたのでいう必要は無かったかもしれない。
「前回好評だったおでんをまた用意したけど、先に焼き魚用意したから、そっちから先に食べて。おでん乗せるスペースが出来たらだすから。あ。大根おろし好きな人は使って。ここに置いとくから」
今回は最初に少しだけ俺と小春も同席させてもらう。
魚のほぐし身に少しの大根おろしを添えてから、だし汁と醤油を混ぜたものを垂らして渡すと小春は嬉しそうに食べ始める。
「この卵美味しい。お酒が進むよぉ」
とっくりとお猪口まで持参したコダマさんはご機嫌にお酒を飲んでいる。
「コダマさん、それって日本酒ですか。焼酎?それともどぶろく?」
「ん?興味ある?清酒だよ」
「俺とコダマは清酒が一番好きだよな。ツバメは意外とどぶろくもイケる」
「いや、俺ら三人とも酒なら何でも好きだろ。その中で一等が有るってだけで」
「ちがいない」
くつくつと笑いながら杯を傾けたキョウコクさんが相槌を打つ。
「何だ、岩木。気になるのか。少し呑んでみるか」
「いえ。止めておきます。まだ未成年なので」
「そうか?」
ものの数分で空になった出汁巻き卵と和え物の皿を下げて片付ける。
水屋に皿を伏せておいてから、三人に声をかける。
「おでんも用意しているけど、唐揚げとか、焼き餃子とかも用意できる。
ニンニクの匂いがきついから、大丈夫ならって前提だけど」
俺は明日は大掃除で会うというっても小春や森津木さん、小鳥少年だけだなので気にする必要はない。けれど三人は事務室に行くなら匂いを気にする必要があるかもしれない。
「匂いは大丈夫だろ。どうせ事務員の半分は来てねぇ時期だし、来てる奴らも酒臭ぇし。俺はセンジュに嫌がられるくらいか」
「岩木君。僕たちみんな大丈夫だから、餃子っての食べてみたいなぁ。唐揚げは前回食べたし。でも美味しかったから、有れば喜んで食べるけどねっ」
ツバメの無自覚ノロケをコダマさんがすぐに流して返事をくれる。
「分かりました。じゃあ、今から餃子焼きますね」
森津木さんと正月に作った餃子の皮を使っているので、コダマさんたちの舌には合うだろう。
餃子の焼き方も正月の暇な時間に物言わせて研究した。
結論として、蒸し焼きにするときに入れる水をお湯に変えて、水音がしなくなるまでで決着がついた。最後に少量のごま油をフライパンの縁に回しかけて気持ち回せば良い。
タレも、ザーサイのみじん切りとか入れたら美味しかったのだけど、俺は用意できなかったので酢と醤油とラー油である。餃子が旨ければこれで何とかなる。
餃子を焼いている間にタレを作って炬燵に持っていく。
「何か、良い匂いだな」
「キョウコクさん、好きな匂いですか。餃子も好きなら良いんですけど。すぐに焼けますから少し待ってくださいね」
「おう。そういや、今日は菓子折も旨かったぞ」
ここですかさず感想を伝えてくるのが出来る男である。もしかしてキョウコクさんにも彼女居るのかな。…居そうだな。
「有難うございます。キョウコクさんは、今日は最後にホットケーキも出すのでお腹に余裕を持たせておいてください」
「ホットケーキ…。ああ。覚えてくれていたのか。…楽しみにしてる」
くぴっとお猪口を傾けたコダマさんが「僕もぉ」と便乗するので勿論と返しておく。
先ほどから結構なペースで呑んでいるけれど、大丈夫かな。
「そういや岩木君。事務の皆も美味しいって言ってたよぉ」
「まあ。今回の『お礼』のインパクトがでか過ぎて、皆そっちに意識が行ってたけどな」
「?菓子折、何か変でしたか?」
結局、アイシングクッキーは下地を塗らずに、生地に色と形を付けることでその手間を随分と減らした。俺たちアパート組の分だけ、本格的なアイシングクッキーを記念に作るに留めた。
後はパウンドケーキや、ブラウニーなどの焼き菓子、苺大福に練り切り、おかきにきな粉飴、日本酒ゼリーなども捻じ込んだ。全ての箱に全種類が入っているわけではないし、種類ごとに包装しているので嫌いなものは他の人にあげるなり交換できると思って気にしてなかったけれど、やっぱり雑多すぎたかな。それともゼリーの汁が零れていただろうか。
ツバメが横目でこちらを見てから「んにゃ」と否定してお猪口を一気にあおる。
「迷い人が今まで有難うってお礼を配って帰る宣言したのがな。有り得ねぇ。岩木さあ、もっと隠れて配るっていう選択は無かったのか」
「それ。岩木、気を付けた方が良いかもしれない。帰りますよ、って宣言なわけだから、喰いたい奴らにとっては宣戦布告も良いとこだよ」
ツバメとキョウコクさんから忠告めいたことを言われて苦笑する。
それは、仕方ない。俺はお礼がしたかったし、隠れてするつもりもなかった。相手に対して失礼な気がしたし、コソコソしたくなかった。どうせ、明日はこの部屋の掃除と片づけをするのだからどのみちバレる。けれど、二人は心配してくれた、んだよな?
「心配してくれて有難う。肝に銘じるよ」
餃子が丁度良い塩梅に出来上がりそうだ。蓋を外してごま油を垂らして回す。
フライ返しを差し込めば、パリッと綺麗に剥がれてくれた。
皿に乗せてコダマさんに渡す。
「ちょっと食べてみてください。まだ食べれるようなら、もう一回焼きますから」
三人を促せば、即座に箸が伸びた。
その間にフライパンを洗ってしまう。じゅわっと音と煙が立ち上る。
「うん、岩木君。美味しい。いけるよ、これ。おかわり作ってー」
コダマさんの間延びした声が聞こえたので、フライパンを熱し始める。
「うまいなぁ。センジュも、来ればよかったのに」
ツバメがぽつりとこぼす。何だかんだで、ツバメは優しい。
「そうだな」
キョウコクさんが穏やかに相槌を打って、コダマさんが静かに笑う。
意外とこの三人は騒がしいイメージが有るのだが、こうして静かに時間を楽しんでいるのも似合っていた。
そうだよな。俺よりも長い時を過ごしてきたはず。楽しい時間は、味わうものなのかもしれない。
「なあ岩木。お礼って誰にしたんだ?」
キョウコクさんが何気なく問う。
「商店街でお世話になった人たちと、管理舎でお世話になった人。寮とアパートの皆ですね」
本当はダイジョウにも渡したかったが、逢う予定が無いので舎長に「もし逢ったら」とお願いした。多分無理だけど、その時は舎長が処理してくれるというのでお言葉に甘えた形になる。
「ふぅん。鬼族とかには渡さなかったのか」
「銀さんには渡しましたよ。あと、事務室に渡した分で、鬼族の事務員さんが食べてればそれも」
「ああ。あの娘。食べてたぜ」
「良かった。以前おにぎり貰ったので」
「あの時のか。そういや、少しは肉はついたのか」
ツバメが「どら、見せてみろ」と茶化すのでここ最近鬼族の御殿の離れで確実に蓄えた肉をお披露目する。
「岩木、得意げに腹を出しているが。薄くて気持ち悪いままだぞ」
困ったような顔でキョウコクさんが酷い評価を下した。なんだ、と。
「お兄ちゃん、少しは肉が付いたよ。まだ抉れてるけれど」
小春が援護なのか追撃なのか分からないコメントをする。そうか。「気持ち悪い」は否定しないのか。
賑やかな夜が更けていく。
帰る日まで、あと二日。




