86.理想と現実
後輩の元気満点なおねだり攻撃に、ロビーで待っていた二人は即座に反応した。
「朝ご飯、食べようか!ちょうどイワキサンから差し入れ貰ったのよ」
「そうだな。準備しようか」
二人は競歩のようなスピードで歩いてくる。
「じゃあ、俺ちょっと、食料品店行ってきますよ。何かお使い有れば買ってきますけど」
先輩が反応した。
「え。そう?じゃあ、何か頼もうか。ちょっと待って。食料在庫見てくる」
どのみち行先は食堂なので、後輩に続い入る。
「差し入れって何?それを確認してからのほうが良いわよね」
姫ちゃんが冷蔵庫を開けた。
「冷蔵庫に入ってるタッパーのやつと、机の上の袋のやつなんだけど、中身は見てない」
「ごめん先輩。伝えて無かったけど、タッパーは殆ど冷凍保存のやつ。冷凍庫移して。
白い蓋のは全部冷蔵で今日明日にでも食べちゃって。煮込みハンバーグとフライドポテトもどき。油で揚げずに焼いたので、もどき。それと青梗菜のソテーと白菜と豆腐の煮物と温野菜。袋の方は焼き菓子とか」
三人でタッパーをのぞき込む。
「うーん。がっつりだな。朝食で食べるなら、この白菜の煮物くらいか?」
「この温野菜と青菜の炒め物も食べちゃえばよくない?」
「温野菜はハンバーグ食べるときに置いとこうぜ?ソースに絡めて食いたい。あ。お米って今から炊くの?」
「しまった。米は今から炊かないと」
えー、と三人で顔を突き合わせてからこちらを振り返る。
仲良いな、寮組。
「…分かった。食パンでも買って来よう。他には?」
「あとは、卵と、牛乳も。野菜は味噌汁に入れれるものを適当に…。肉は料理しないから、ハムかベーコンかウィンナーで。米も」
「他は?」
「とりあえずそれ位。でも良いの?岩木君、多分俺たちのお使いだけで両手ふさがるよ」
「良いですよ。先輩たちが朝食食べているときにもう一回行きますから」
「それなら、うん。お願いしようかな。じゃあこれ、お代。五千円。五千円以内で買ってきて。足りないようなら、ハム系と野菜を減らして。逆にお釣りが出るようなら、適当に他のものも買ってきて。保存の利くやつ」
「ええっと。調味料とかティッシュとかの消耗品は有るんですか」
「そうだった。味噌切れた。味噌と塩も。ティッシュとかの消耗品は大丈夫。売店で補充済みだ」
「味噌は一番安いやつでいいですよね。で、塩。了解。行ってきます」
三人に見送られて食堂を後にする。
寮の最大のメリットは、食料品店が近いというところにあると思っている。良いよな、この距離。
食料品店でチトセに「岩木、昨日三回も来たのにまだ来るの。いえ、大歓迎ではあるのだけれども」と呆れられ、これは頼まれたもので、すぐに自分の分を買いにもう一度来ますと宣言すると苦笑された。
俺が二度、買い出しに行っている間に寮の三人で少しは話ができたらしく、後輩の様子は大分落ち着いているようだった。
三人はまだ食事中なので、その間にロビーでバスケットに購入品を詰めていく。荷物を整理しないと、持ちきれないのだ。
「小春、昼食は何食べたい?」
「うーん。あっさりしたものが食べたい」
「水餃子とか?それともやっぱり和食か?残ってる白菜と豆腐の煮物と米と、白身魚の切り身でも焼くか」
「お兄ちゃん、お吸い物が欲しい。すまし汁」
「すまし汁?ワカメとゴマと、つみれで良いか?それとも卵汁がいい?」
「ワカメとつみれのすまし汁が良い」
よし、それなら、小春のリクエストのさっぱりにも該当するし、冷凍してあるつみれでいいから、手間もかからない。
帰ったら、急いでお菓子作りにも取り掛からないとなぁ。
チラリと調理室の方角を見る。
ドアはまだ開かず、三人とも出てこない。時間的には食べ終わってるだろうし、話し合いを始めて少しといったところだろうか。
時刻は九時半少し前。
俺が帰る前に、寮のメンバーには帰ってほしかったのだが、やはりそう上手くは行かないようだ。けれど、送り火が灯ったのが先輩で良かったと俺は思う。
もし、後輩の送り火が灯っていたら、先輩は二人と決裂してでも後輩たちを帰しただろう。それこそ、俺が帰るときに一緒に連れて帰るように立ち回ったような気がする。
寮のロビーは、ストーブが点いているけれど、やっぱりアパートの自室と比べると寒い。買った食料品は、ストーブから離れて置いておくだけで大丈夫なほどの寒さ。
「小春、寒くないか?マフラーに入るか?」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「そうか?寒くなったらいつでも言ってくれよ?」
「あい」
待ち時間にすることもないので、俺と小春は食料在庫に照らし合わせた料理予定を立てることにした。
事務メンバーを招待できたとしてのもてなしメニューだ。
二人で脱線しながら話していると、調理室の扉が開いて、中から三人が出てきた。
時刻は十時少し過ぎ。
話し合いが終わるには丁度良い時間だ。多分、上手くいったのだろう。三人の表情が、幾分落ち着いている。
「話し合いは、出来ましたか?」
先輩に向けて問う。先輩はいつもの食えない顔でにこりと笑った。
「お陰様でね。何とか、といった所。それぞれの意見の落としどころをつけられたよ」
小春と視線を合わせて笑う。
「それなら、良かった」
三人がロビーに来て、少し俯いていた後輩が顔を上げる。
「岩っち。迷惑かけてごめん。ありがとう。
とりあえずは、皆残ってくれることになったんだ。月に一回、これからどうするか相談する日を決めて、そのたびに方針を決めていくことになってさ。状況が変わるなら、その度に臨機応変に」
後輩はそこで言葉を切って、こちらの顔色を伺ってきた。
んん?なんか、ついさっき、似たような予感を覚えた気がする。そう、何だか良くない系の…。
「あのさ、岩っち。岩っちの帰らなきゃいけない理由って何?急ぐの?
俺たちの生存率のために、岩っちにも残ってもらえたら、…助かるんだけど」
後輩も自分で言っていて、後ろめたいのだろう。言葉尻がどんどん萎んでいく。
何せ、今の提案、俺には何のメリットもない。実際は、小春たちと一緒にいられるというメリットがあるのだが、恐らく寮メンバーはこの郷で会った人たちと一緒にいることをメリットに数えないから、先ほどの提案は理不尽な提案であると思っているのだろう。
けれど、なるべく早く現世に帰ることは決定事項で譲れない。
海神様は大丈夫だと言ったが、それでもあるべき場所に早く届けるべきだと思う。
「悪い。できない」
はっきりと断る。
「イワキサン、何で?急ぐ理由って何?」
姫ちゃんが、責めるように問いただしてくる。
「俺の縁を辿って悪いものが追って来たって話は覚えてるかな。アレは俺との縁のあった人を喰ってたんだが、まだ取り込まれる前で。何とか中から出すことができて、今は一緒にいる。
その人、海の人なんだけど、早く海に帰してあげたいんだ。約束もしたし」
詳しい事情は省いて、差し障りのないところだけ言う。
要点は海に帰しに行くと約束したこと、俺自身が早く海に行きたいと思っていることが伝わればいい。
後輩と姫ちゃんは口を噤んで俯いてしまう。
「…それなら、仕方ないか。岩木君の行動に強制はできないからな」
唯一、顔を上げている先輩が、言葉をつなぐ。
けれど、先輩の表情はずっと変わっていない。
「なあ、小春ちゃん?岩木君帰ったら寮に来てくれないか?
俺たちを助けてほしい」
ああ。やっぱり。俺が断るのが分かっていて、それで次の頼みごとを用意していたのか。
「岩木君も、俺たちを置いて帰ることを少しは心苦しく思ってくれていると思うけど、小春ちゃんが寮に来てくれるなら幾らかは楽になれると思うんだ」
にこやかな笑顔で、穏やかな声音で、こちらの選択肢を誘導するような言葉を吐き出した先輩にすぐに返事をする。
「小春の行先はもう決定済みですし、俺の心労を取り除く為に小春を使うなんてしませんよ」
俺の拒絶に先輩は能面のような笑顔を小春に向ける。
「私は。私は、お兄ちゃん以外の福童にはならないよ。だって、お兄ちゃんの傍にいたくて生まれたの。それが全て。傍にいなくても、ずっとお兄ちゃんだけの福童。
その在り方は変わらないし、身の振り方も変わらないの」
小春にもすげなく断られて先輩は肩をすくめた。
「そうか。残念だ。じゃあ、岩木君。せめて、残ったお金を融通してくれないか。『お礼』をするみたいだから、そんなに残らないのは察している。
でも、少額でも俺たちには命を左右するかもしれない貴重なものなんだ。恥ずかしいことを頼んでいる自覚はある。すまない、頼む」
そういって先輩は頭を下げた。後輩たちも慌ててそれに続く。
ああ、もう。
「余ったお金を渡す相手はもう決めているんです。力になれずに、済みません」
頭を下げたままの三人に、俺も頭を下げて謝る。視界の端に、俺が頭を下げたのが見えたのだろう、後輩が慌てて遮った。
「いいよ、岩っち!頭を上げて。岩っちが頭を下げる必要なんてない。
こっちが非常識なお願いしたんだから。分かってるんだ」
「まあ、そうよね。あわよくば、とは思っていたけれど。
何だかんだで、イワキサンって用意周到なカンジだから?期待はしてなかったから安心してよ」
寮組の三人が頭を上げた。視界の隅から三人の頭が見えなくなったのを確認してから俺も頭を上げる。
「先輩にも、嫌なこと言わせちまって、ゴメン。俺のために、残ってくれるのに嫌な役回りさせちゃって。岩っち、先輩にこんなことを言わせたのは俺なんだ。
この通り、謝る。ごめん」
そう言って後輩は勢いよく頭を下げて、すぐに顔を上げた。
「岩っちがここにいるのはあと数日。しかもずっと予定があって、もう会えないかもしれない。これが最後かもしれない。だからさ、喧嘩して終わるのは嫌なんだ」
「ああ。分かってる。大丈夫。怒ってない」
その言葉を聞いて、後輩があからさまにホッとする。
後輩と初対面のあの時には、こんなに良い子になるとは思わなかったな。
「それに、配る用のお礼は菓子の詰め合わせにするつもりなんだけど、寮にも一個、持ってくる予定だから、もう一回会えるかもしれない。平日になるから、会えるかは微妙だけど」
「お菓子の詰め合わせ? 最後までイワキサンらしいのね。うん。私も楽しみにしてる。
だから、手渡ししてよ。どうせ、事務室に配りに来るでしょ?私とこいつは事務室でバイトしてるし、イワキサン来たら先輩のとこまで連行しちゃうから。
お昼時でも、探してね。大体食堂にいるし」
身を乗り出した姫ちゃんの要求に快諾を示す。
「了解。じゃあ、もう一度、必ず会いに来るよ」
後輩は照れくさそうに、姫ちゃんは緊張を解いて小さく笑った。
「岩木君、小春ちゃん。意地悪してごめんね」
俺たちの会話が一段落したのを見て、先輩が入ってくる。
「いいえ。こちらこそ、すみません」
うんうん、と先輩が頷く。
「岩木君は、社会に出ても上手くやっていくタイプだよね。
頷いたらいけないところでは頷かない。それでも自分が悪くないのに謝れるタイプだ。…今回のことは、本当に俺たちが悪かった。
すまなかったな。だが、本音でもあるんだ。それだけは、許容して欲しい」
今まで笑顔を張り付けていた先輩が、表情をこそげ落としてこちらを凝視する。ああ、あの女の人…。
「許容するというのが、いまいち良く分からないので答えられませんが…。
理解はできます。それで、どうでしょうか」
一瞬、先輩の目に諦めと失望が乗ったような気がした。
すぐに少し困ったような顔を取り繕い、ゆるやかに頷く。
「まあ仕方ないよな。うん、そこが妥協点か。改めて今まで有難う岩木君。
もう一度、会えたらいいけど、念のために今言ってくよ。
岩木君が居なければ、俺は死んでいたと思う。君のおかげで今生きている」
「いいえ。姫ちゃんと後輩、そして何より先輩が踏みとどまったからこそですよ。
後輩や姫ちゃん、そして先輩に出会えて良かった」
出会いは一期一会。それが縁の形なら、どうせなら、最後には良かったと思いたい。
「それなら、やっぱりこいつがMVPね。
こいつが、あの時イワキサンの所に泣きついてなかったら、イワキサンだって関わってこなかっただろうし。ほら、布団担いだ甲斐が有ったってもんじゃない?
正直、あの時のアンタの後ろ姿は今でも覚えてるくらいの傑作だった」
きゃらきゃらと、姫ちゃんが軽やかに笑う。
あっ、てめぇと後輩が照れた顔で食って掛かって場は和やかな雰囲気に包まれた。




