85.もう一人
一月二十七日、土曜日。
離れで朝食をご馳走になってから、カエデさんにアパートまで送ってもらう。
持ち込んだ荷物もあるので二往復させてしまい、最後まで迷惑をかけっぱなしだ。
「こんなの、気にすんな。こっちも小鳥に付き合ってもらったし、元はといえば俺が攫ったようなもんだしな」
そう言って笑い飛ばしたカエデさんは本当に男前だ。
宣言通り、アパートに戻った森津木さんはすぐに待ち構えていたカケイさんとどこかに出かけ、俺と小春は部屋の掃除と洗濯を回して、小鳥少年も連れたって商店街に足を向けた。
アパートと商店街を三往復し、結構な量を買い込む。
絡繰り屋は早い時間は空いてなかったが、九時半過ぎには営業を始めてくれて、小春の件も快く引き受けてくれた。というより、むしろ大興奮の乗り気だった。
「この郷で、機械を触っても壊れねぇってのは、本当に貴重なんでさぁ!しかも小さいから細けぇ作業も指示したら出来ちまうって、もおう、完璧っ!
何なら今すぐ越して来ちまっても構いませんでっ」
「お兄ちゃんが無事に現世に帰ってから、お願いするの」
小春も安定して、ぶれなかった。
キッコウ柊も引き受けてくれるというし、小春の荷物も全部持って行っても構わないと快諾してくれて、揃って頭を下げる。良かった。
小春が自分で「住み込みで働かせてほしい」ってお願いしたのは少しびっくりしたけど。
買い出しが終わってアパートに帰ったのが十時半前。
玄関口には雑貨屋と食料品店で買い込んだものが、所狭しと並べてある。一旦小鳥少年と別れて、買い込んだ物を仕舞い込んでいく。
昼は小春のリクエストでチーズの入ったお好み焼き。小鳥少年も一緒に食べて、昼からは黙々と菓子の試作品とクッキー生地を作成して、小鳥少年にはお菓子の小袋に貼るラベルづくりをしてもらった。
試作品の味見とおやつを食べ終わって午後三時半。
「森兄ちゃん、帰ってこないねぇ」
「カケイのお兄ちゃんの所に行ってるの?天狗族の所に行ってるの?」
俺が密かに気になっていたことを、小春が無邪気に聞いた。
「あー。多分、天狗族かな。でもまあ、天狗族からしたらいつでも来てくれていいってスタンスで。カケイ兄ちゃんが会いたくなって、なら連れてこようって所じゃない?」
「ふうん。じゃあ、夕方には戻ってくるかな」
「多分」
試作品に日本酒のゼリーが有るのだが、俺と小春で一口ずつ味見はしたが、森津木さんにも味見をしてほしいので、是非夕方には戻ってきてほしい。
「二人とも、晩御飯何にしようか」
「俺、ここ数日晩御飯は和食だったから洋食が良い。ハンバーグとか食べたいかも」
「あい。それなら、煮込みハンバーグ食べてみたい。でも、ケチャップはあるけどソースが無いの。小鳥お兄ちゃん持ってない?」
「あるある。ウスターソースで、賞味期限間近のやつが。持ってくるから使ってよ!ついでにピーマンも持ってくるからみじん切りにしてハンバーグの中に入れてくれる?」
そう言うやいなや、小鳥少年は立ち上がってソースとピーマンを取りに駆けていく。
「ふふ。お兄ちゃん、返事してないのにね」
くすくすと幸せそうに小春が笑う。
「断らないって、知ってるからだろうな」
俺も少しくすぐったくて、つられて笑う。
小鳥少年が開けたドアから冷気が雪崩れ込んでくるけれど、すぐに小鳥少年が四号室から出てきて駆け込んでくる。
「うわ。外さっむい。岩兄ちゃん早く早く。閉めて早く」
ぶるりと体を震わした小鳥少年が催促してくる。両手にビニール袋を持っているので、ピーマン以外にも何か持ってきているようだ。
「はいはい」
そう言ってドアを閉めようとしたとき、視界の端に何かがよぎった。
「?早く、岩兄ちゃん?」
御山の中腹。ゆらりと揺れる青白い光。
「送り火が、灯ってる」
小春がぴょいっと肩に乗ってきた。
「お兄ちゃん。あれは」
「何となく、何となく次は後輩だと思ってた。でも、あれは」
冷たい凍えるような色合いのそれは、きっと後輩じゃない。強い色合いのわりに、光は弱く、主張が無い。
「あれは、先輩の送り火か…?」
生き残っている迷い人、四人中三人が送り火を灯した。
残りは一人、後輩だけ。
「明日の午前中、ちょっと寮に行こうか」
一月二十八日、日曜日。
今日は朝からパウンドケーキを10本焼く。小鳥少年と森津木さんの部屋のレンジも使わせてもらえたので三倍速で焼けるのが嬉しい。
オーブンで焼き始めたらすぐに差し入れをバスケットに詰めて寮に向かう。
多分これが最後の差し入れになるだろうから、寮から借りているタッパもフル活用だ。冷凍用の日持できる食品をタッパにぎっちりと詰め込む。
いつもの道を歩くと、日曜の朝なんてほとんど視線は無かったはずなのに、ちらほらと絡みつくようなものを感じた。
足早に通り過ぎて寮に着く。戸を開けようとすると鍵がかかっているのでどうしたものかと迷っていると、姫ちゃんが走って出てきて鍵を開けてくれた。
「お早う、姫ちゃん。鍵開けてくれて有難う」
「良かった。イワキサン、まだ帰ってなかったのね。入って」
早口の姫ちゃんに促されて入ると、ちょうど部屋から先輩が出てきた。
「や。お早う岩木君。まだこの郷にいたんだ」
少し疲れた顔で先輩が片手を上げる。
「お早うございます。先輩。これ、差し入れです」
「お、ありがと。おお?重いな。待って。バスケットはすぐに返すから。
ついでにお茶でも入れてくるよ。皆の分も用意するからロビーで待っててよ」
姫ちゃんに腕をひかれてソファーに座る。
うーん。これ、絶対何か面倒なことになってる気配がする。
「イワキサン、いつ帰るの」
余裕のない姫ちゃんがいきなり聞いてくる。
「早くて次の水曜。遅ければ天気次第かな」
「早くて次の水曜…。その水曜までは予定は詰まってる?」
「ああ。郷でお世話になった人たちにお礼のお菓子を配るんだけど、今日と明日の午前中で作って昼前には配る予定。で、その時に数人誘って、明日の夜に家飲みで持て成せたら良いなと思ってる。だから、昼からはその準備。火曜は丸一日でアパートの掃除。で、水曜の朝に現世に帰るのが最速コースかな」
「何、それ。ぎっちり詰まってるじゃない…」
かすれた声で姫ちゃんが非難めいた声を上げる。
「本当は寮にも月曜の昼に来るつもりだったんだけど、昨日送り火が灯ったから、気になって。あれは先輩の?」
「分かるんだ…。そうよ。先輩の。
昨日、先輩の送り火が灯って、アイツと言い合いになってしまって」
薄く幕を張った目でこちらを睨むように視線を投げてくる。
強い眼差しはこちらに何かを求めてくるものだ。
ああ、これは後輩の状態があまり良くないのだろうな。
「お願い、イワキサン。アイツと少し話をして欲しいの。アイツだって、分かってる。イワキサンと少し話せば落ち着くと思うから。だから」
とりあえず、俺も後輩の様子を見に来たようなもんだったのですぐに頷いた。
コンコン。
食堂の横の部屋が後輩の部屋だ。
先輩がお茶を出してくれる前に先に後輩の部屋を訪ねる。隣部屋だし、先輩にも聞こえるだろ。
「お早う、後輩。岩木だけど。お茶しない?」
「……いわっち?」
扉の中からくぐもった声が聞こえた。これ、後輩布団の中だったりしない?八時半すぎてるよ、寝てたとか、無いよね?
ひた、ひた、と足音が聞こえてカチャリと鍵の開く音がした。ぎぃぃと軋りながら空いたドアの向こうに迷子のような顔をした後輩がいた。
「おはよ。どうする?ロビーでお茶する?それとも後輩の部屋に持ってこようか?今先輩がお茶を入れてるよ」
「後で、ロビーに行くから。先にいわっちだけ、俺の部屋に来てくんない?」
「おう。じゃ、ちょっと待って。先輩が淹れてくれてるお茶貰ってくるから」
無言で頷いた後輩を確認してから戸を閉めて、調理室に行く。
やはり会話が聞こえていたようで、先輩がお盆に二人分のお茶を用意してくれていて、「はい」と渡される。
「ありがとうございます。ちょっと話してきますね」
「頼むよ」
受け取ったお盆を持って後輩の部屋に戻る。
後輩の部屋はほぼ初期状態で、サイドテーブルの一つもない。仕方ないのでベッドにお盆を置いてお茶を渡す。小春の分をスプーンで取り分けて口をつけた。
「温かいうちに飲んだら?」
動かない後輩に、お茶を飲むように勧める。
もしかしたら、今日はまだ何も口にしてないかもしれないし。お茶一杯でも案外落ち着くものだ。
後輩は、そっと口をつけた。うんうん。まずは飲んでからだ。
ゆっくりとお茶を飲んでから、空になったカップをお盆に置く。すぐにカップは二つ並んだ。
「今日来てくれたってことは送り火、気づいたんだ?」
「偶然だけどね」
多分、あの時ドアを開けてなかったら気づかなかった。
「今までは、帰れるのはあいつだけだった。先輩は俺の仲間で、実は、きっと俺の方が先に帰れるようになるんだろうなっていう根拠のない自信があったんだ」
「うん」
後輩の部屋は南側の壁に窓が有るから、冬の午前中はゆるやかな光しか入ってこない。
ベッドも今は布団が有るけど、夜は先輩の部屋でごろ寝のはずだから、普段の部屋を想像すると寒々しいことこの上ない。
「昨日、先輩の送り火が灯ってさ。裏切られたって思っちゃって。本当、自己中で、それがまた悔しくて。でも、もう俺一人なんだ。
あの二人は、きっと俺の送り火が灯るまでここにいてくれると思う。実際、昨日二人からそう言われた。でも、それってすげー、しんどくない?
自分のせいで二人がずっと危険に晒されてるってさ、俺がすげーしんどいの。でも、じゃあ、二人で先に帰れなんて。俺、言えねぇ」
堰を切ってように話し始めた後輩は、ずっと俯いたまま早口で捲し立てる。
俺の反応なんて、多分求めてない。吐き出したい。それだけなのだろう。
「二人に帰られたら俺、一人になっちまう。いやだ。死にたくない。一人になりたくない。
でも、今の状況は辛い」
後輩が顔を上げて、こちらを見る。
瞬間、俺は先ほどの自分の思い違いに気づいた。
「岩っち、いつ帰んの。まだ、いる?な、もしあの二人が帰ったら、岩っちの所に転がり込んでも良いか?」
「俺は、早ければ次の水曜には帰るよ。本当は月曜日に挨拶に来るつもりだったんだ」
俺の返事に後輩は薄く嗤った。
「だよなぁ。挨拶も来れないかもって聞いたし。
悪霊?ってのも、どうにかなったんだろ?なら、帰るに決まってんじゃんかなぁ」
俺の目を虚ろに見つめたまま、それでも視線は逸らさない。
以前後輩が追い詰められたときは、彼は行動に移った。実行力は高い後輩が今回は部屋に籠っているだけだ。
前回のときは、追い詰められてもまだ理性を保っていた。泊めて欲しい。迷惑なのは分かってるから一日だけでいいと言った彼が今回は当たりが強い。
ん?待てよ?事務室で会った時もこんな感じだったか?
「なあ。俺はどうすればいい?答えてよ、岩っち」
「それなら簡単だ。とりあえず、部屋を出て、先輩と姫ちゃんとお茶すればいい」
好都合な質問に即座に答える。
後輩を何を言われたのか分からないような顔をして、たっぷり間を空けてから一言だけ発した。
「は?」
「こんな寒い部屋で一人で、一人になりたくないなんて考えるなんて、マゾのすることだぞ、後輩君や。差し入れ持ってきたから、とりあえず温かい部屋に行って、腹になんか入れて。
一人で考えたら追い詰められるだけなんだから、先輩と姫ちゃんも巻き込んで一緒に考えてもらえばいい。三人で妥協点を探すのが得策だと俺は思う。
で、頭の回らなくなってる後輩君が、今簡単に出来ることをまずはしてみよう。はい」
後輩の手に空になったコップが二つ乗っているお盆を押し付ける。彼はそれを条件反射で受け取りながらも、いまいち飲みこめていないようだ。
「朝食は食べた?まだならちょっと遅い朝食でも良いし、お茶でも良い。お菓子も差し入れているから。ほら」
後輩がポツリと呟く。
「相談メンバーに、自分を入れて無いところが、ちゃっかりしてるね岩っち」
「気づいたか。悪いな。俺は現世に帰ってすることが有るから」
一瞬嫌悪に顔を歪ませた後輩に、にやりと笑う。ため息をあからさまに吐いてから後輩は「ひでえ」と笑った。
海神様とあの海に。約束が有るのだ。なるべく早くに帰りたい。
戸を開けて後輩を促す。
促された後輩はお盆を持って、本当にずりぃと文句を言いながら部屋を出る。その顔は少し緊張が見て取れたけれど。後輩は大きく息を吸って、声を出した。
「せんぱーい。腹減ったぁー!何か食おうぜー!」
冷え切った後輩の部屋よりも暖かい廊下に、後輩の声が響いた。




