83.確認
昼になって案の定カエデさんが小鳥少年のうどんを取りに来た。
多めに作って鍋ごと渡し、ついでに綺麗に色づいた味玉も渡した。
小鳥少年が離れに顔を出せたのは日も沈み、戸板を締め切った後の就寝前。
「兄ちゃんたち、ごめん。お昼、うどんだけ貰っちゃって。美味しかった!
あと、今日は母屋で寝るね。明日の朝は手伝いに来るからな」
幾分鼻が赤いが、声は元気だし、どうやら上手くいっているようだ。
付き添いのカエデさんも、昼の大号泣一歩手前からだいぶ回復したようで、笑いながら「済まんな」と軽く謝罪を受けた。謝ることないのに。
「うん。朝早いし、期待はしないで待っているよ。無理はしなくても良いのだからね、小鳥」
穏やかな声で森津木さんが応じる。
「良かったね、小鳥お兄ちゃん」
小春が言葉をかけると同時に俺も小鳥少年の頭をぐりぐりと撫でる。
いつもなら、少しは嫌がるのに今日は大人しく撫でられてくれる。照れているな。ああ、もう小鳥少年も可愛いな。
「うん。ありがと」
どうやら枕を取りに来たようで、ゴソゴソと押入れから枕だけを取り出して両手で抱える。
「でも、今日はもう寝るんだ。明日の朝一に仕事に出る兄ちゃんたちに、行ってらっしゃいって見送りたいから起こしてもらうように頼んで。それが多分三時前後だと思うから、大丈夫」
三時前後ってまだ深夜だよ。森津木さんの母屋での炊飯だって、四時半から。俺たちも四時に起きる予定なのに。それ、本当に大丈夫か。
「うん、小鳥。分かった。なら、岩木と小春を僕がいない間この離れに置いとくのも心配だから起きたらこの離れに戻ってきてくれるかい?小鳥がいれば安心だから」
「任せなよっ」
意気込み返事をした小鳥少年に小春と「宜しくな」と頼む。
森津木さんの方は、どうやら顔なじみの鬼族の人がついてくれるようで、きちんと配慮されているらしい。ここまで鬼族に配慮させる小鳥少年は凄いよなあ。本人が気が付いてるかは微妙だけど。
一月二十六日、金曜日。
早朝から慌ただしく準備をし、午前八時半には何とか作業が終わった。
出来上がった『お礼』はパック四十五個。
森津木さんが別口で作ってくれたお吸い物付きで、味見と称した朝食時に食べたが、実に美味しかった。
調理室から貸し出してもらっている器具なども大量にあるため、カエデさんは四往復になる。二回目はそのまま森津木さんはアパートに戻り、買い出しやらをしてから正午の鐘で食料品店前に森津木さんを迎えに行く段取りだ。
その間、俺と小鳥少年は離れで掃除洗濯を済ませる。
掃除は問題なかったが、洗濯はタライなので幾分手間がかかった。小鳥少年が俺の二倍速で働いてくれたため、意外に早く終わったという様だった。
洗濯時に小春が泡に歓声をあげたので、空いた時間はシャボン玉をして過ごすことにする。シャボン玉なんていつ振りだろう。
「うわあ、お兄ちゃん綺麗ね。力なんて欠片もないのに結界に少し似ていて不思議」
小春がシャボン玉をつついて遊んでいる。
「俺、この郷で初めてシャボン玉した。この郷でシャボン玉をしようという発想に至る迷い人は岩兄ちゃんくらいだと思う」
そういいながらも小鳥少年だって液に浸した縄をぶんぶんと振っている。
細長いシャボン玉ができると、小春と一緒に歓声を上げて喜ぶ姿は可愛い。
最初はただ、シャボン玉ができるだけで嬉しそうだったが、次第に技巧を凝らし始める。
「小鳥お兄ちゃん。私をシャボン玉の中に入れることはできる?」
「やってみる。でも小春。洗剤まみれになるけど」
「大丈夫!んしょっ!ってしたら元通りになるから」
「良し。ならやってみようぜ」
けれど、縄だと細長いシャボン玉しか作れなくて、しかも小春に当たってしまう。
ハンガーのような少し堅い針金のようなものが欲しいな。代用できるものは無いかなと二人で相談をはじめ、最終的に底の抜けた桶を使い始めた。
これは、小鳥少年はもう一度風呂に入った方がいいくらいになっている気がする。
まあ、時間はあるし、昼から檜風呂と洒落込んでもいいだろう。問題は風呂を鬼族の人に沸かしてもらわないといけないってところか。
この離れの風呂は山水をためた二つのタンクを利用していて、一つは常温。
もう一つは釜になっていて、釜の下に妖力で火をつけてもらって、沸騰したら水と混ぜながら使う。
だから誰か火をつけれる人にお願いをしないといけない。
そういえば。朝仕事終わった組がいるのだから、母屋の風呂は使えるかもしれないな。
少しすると、二人とも風邪をひきそうなのでストップをして、小鳥少年は母屋で風呂に入れるか聞いてみる。
「入れるよ。そだな。少し気持ち悪いから入ってくる。岩兄ちゃん、小春、障子しっかり閉めて待ってて」
手早くシャボン玉の道具を片付け、着替えを持って元気に駆け出していく小鳥少年を見送って障子を閉める。今朝は早くから起きて、少し疲れたので小春と少しゴロゴロしたい。
「ふふ。お兄ちゃん、シャボン玉楽しかったね。有難う」
炬燵と一体化しながらぐてっと手を放り出した俺に小春が笑いかける。
俺の両手の間の隙間に足を伸ばして座った小春を引き寄せてひざ掛け毛布で挟み込む。
「小春も。冷えただろう?ほら」
そう言って頭を撫でると、髪が冷たい。
「髪が冷たい。小春、温めることはできないの?」
「うーん。分からない。けど、良いの。このままお兄ちゃんと温まるから」
すり、と俺の手に頭を擦りつけてくる。そうだな。小春がそれを望むなら。
ゆっくりと小春の頭を撫で続ける。
「この離れ。お兄ちゃんとゆっくりできて、嬉しい。そろそろかな」
秘密を打ち明けるように、小さな声で小春が呟く。
「俺も。意外に充実した時間だったな。皆で温泉宿に泊まりに来たみたいで、楽しかった」
「うん。多分、もう終わるね」
「そうだな。小鳥少年次第だけど、終わるだろうな」
小鳥少年もすっかり落ち着いた。多分、明日か明後日にはアパートに帰ることになるだろう。
カエデさんをはじめにした鬼族の人たちも、俺たちを本当にここに軟禁しようとはしていない。
ただ、大切な小鳥少年が気持ちに整理をつける時間を、俺と小鳥少年がゆっくりと過ごせる時間を作るためにここに逗留させてくれたのだ。
まあ、昨日の小鳥少年の爆弾発言は寝耳に水だっただろうから、昨日のことは置いといて。
あれだけ小鳥少年を構いたがりの鬼族の人たちが、ほとんどこの離れに来ないなんてのがまず可笑しいのだ。俺でもすぐ気づく。
で、心配した森津木さんが、緩衝材になるつもりで付き合ってくれたのだろう。
この離れは、とても優しい時間が流れている。
小春と一緒にこの離れに逗留できたことは、俺たちにとっても幸せなことだった。
「ね、お兄ちゃん。帰ったら、絡繰り屋に連れて行ってね」
「ああ。シロさんにもチトセにも、手土産クッキー持って挨拶に行くから、小春も付き合ってくれな」
「あい。手土産はクッキーに決めたの?」
「ああ。だって、アイシングの約束をしたから。都合を合わせて小鳥少年も森津木さんも巻き込んで、二日がかりで作ろう」
「あい。きっと、楽しいね」
ぱちりと火が弾ける。
「ここ最近冷えてきたから。合間に温かくて甘い飲み物を飲まなくちゃな。
そうだ小春。焦がした砂糖に少しのバターと牛乳を入れて温める飲み物が有るんだ。
女子に人気みたいだから、小春も好きかもしれない。飲んでみるか」
「飲んでみたい。キッコウ柊の隣で、飲みたいな」
「うん。作ろうか。明日は天気かな。ツバメたち、森津木さんのお礼、食べれるといいな」
「早い者勝ちだからね。確保できるといいね」
「個人的には、シロさんが確保してくれたら一番嬉しいかな。前にクッキーの入った入れ物の匂いだけ嗅いで帰ったとか言ってたから」
「ふふ。そうだね。シロさんには笑っていてほしいよね」
障子越しの日の光はとても柔らかくて、部屋全体を優しく包む。
固く鋭い冬山の冷気が、白く、鈍く、輪郭を失って、誰かの熾した火鉢の熱で溶けていく。
この離れにやがて訪れる雪解けは、どんな景色だろうか。
春はきっと山が綺麗に色付くのだろう。
春から夏へ。夏から秋へ。巡る季節の情景を色鮮やかに思い浮かべる。
小春と、森津木さんと小鳥少年と。
この郷で過ごせる季節は冬だけだけど。
ああ、見てみたいかもしれない。この離れは幸せ過ぎて駄目になる。
じんわりと、温かく広がる淋しさが何だか大切なものに思えて細く息を吐く。
持って行かないと。
きちんと仕舞い込まないと。
クッキーに二日。出来れば、事務メンバーを招いて食事でもしたい。可能ならそれに一日。あいさつ回りに一日。掃除に一日。アパートに帰って雑事に一日。
今思いつくのはそれくらい。アパートに帰ってから最短で五日。明日アパートに帰って、天気に全部恵まれたと仮定して、二月一日。
「お兄ちゃん、小鳥お兄ちゃんが帰ってきたら何か甘い飲み物を作ろうよ。
これだけ寒いのだもの。きっと美味しい」




