73.機を伺うもの
一月二十日、土曜日。
降ったり止んだりの雪も今は形を潜め、何とか晴れと形容できる土曜。
今週は火曜、水曜とバイトをしてない日は森津木さんと小鳥少年と過ごし、バイトに出たのは月、木、金。一週間過ぎるのが早かった。
今朝は開店直後の雑貨屋に森津木さんと来ている。
「お早うございます、シロさん。今日は今月末に皆に配る品の入れ物探しに来ました。
何を作るかは決めてなくて、良さげな入れ物があればそれに合わせようと思ってます。数が揃っている入れ物は有りますか?」
あ、月末に配るやつか。
「みんなお早う!うぅーん、入れ物かぁ。ごめんよ。
年明けだから今は品薄で。一番多いのがこの透明のパックだけど、それでも在庫は九個しかないの。いつもみたいな、贈答用じゃないし…。」
「一セット5パック入り…。四十五か…。シロさん、それにします。在庫の九個全部貰ってもいいですか?あと、割りばしと飾り紐と包装紙…えっと、和紙があればそれも見せて欲しいです」
森津木さんが即決した。
「お兄ちゃん。私も新しい糸欲しいの」
「ああ、そうだったな。何だかんだで、誰かへの差し入れのとき、小春が編んでくれたやつ、使っちゃたからな。シロさん、糸見せてください」
「良いよー。今案内できないから、自由に見てどうぞー」
以前と同じ糸を一式と、横にあった混色の少し太めの紐一式。金と銀の糸も別売りを追加でカゴに入れる。後は包装紙等を追加で持ち、シロさんに精算してもらった。
「ありがとう。また来てね」
ブンブンと手と尾を振っているシロさんにお礼を言って、建物から出る。
森津木さんは両手が塞がる大荷物だ。俺の方はバックに入る小物と、片手に包装紙を持っているだけ。
「森津木さん大荷物ですね。一つ持ちましょうか」
森津木さんは大きな紙袋を二つ。一つはプラスチックの容器が入っている。もう一つに和紙とかが入っているようだ。
後は帰るだけ。今日は朝市があるから商店街の人出は少ないし、天気も良いからゆっくり帰ればいい。
「そう?と言っても軽いし。岩木に一つお願いしたら今度は岩木の荷物の方が多くなっちゃうし。気持ちだけもらっておくよ。さて、何作ろうかな。ちらし寿司とか、腕が痛くなるかな」
「ああ。分量あると、腕が痛くなるかもしれませんね」
「岩木、手伝う?調理室で早朝から作るけ「お兄ちゃんっ!」」
え。あ。
一瞬で俺の視界いっぱいに半透明の黒い何かが広がった。
いや、一瞬だけ、指みたいなものが見えた。後ろから、大きな手に握りこまれた?
いつの間にか張られた小春の結界越しに、ボヨンと弾力のあるものが弾かれた感触が全身に伝わる。
「岩木っ、小春っ!」
森津木さんが、見たことない顔で―。
「お兄ちゃんっ、しっかりして」
ペチッと小春に頬を叩かれた。え、ああ、そうか。呆けている場合じゃない。うん。
景色が流れているから自分たちが後退しているのが分かる。行先は川、だろうなぁ。雑貨屋は川寄りだけど、大丈夫だと思っていたのが拙かった。
「小春、結界張ってくれたんだな。有難う」
俺が今こうして、落ち着いていられるのも、結界のおかげだ。
もし結界が無かったら、直にこの黒い水の中だろうからパニックになっていたかもしれない。
「ううん。この結界、森津木お兄ちゃんが咄嗟に補強してくれたの。だから少しは保つけど、早くどうにかしないと…」
俺たちを握りこんだまま手が川に潜った。潜った先に、まあ、居るよな。
「アイツが…。お兄ちゃんの、悪縁の」
小春が憎々しげに呟く。
しゅるりと手が本体に引っ込むと同時に俺達も本体に入れられる。うん。これはダメだ。
「小春、これは、ルール違反だよなぁ」
「お兄ちゃん?」
「手に持っているだけなら良かったけれど、本体にインされちまったら、吸収待ちだけど、喰っちまったようなものだもんな」
「あ、そうだね」
水の膜を隔てた向こうで、水面に不自然な振動が広がるのが見えた。
森津木さんもいた。商店街はまばらだけど、数人いたはず。
「小春。この結界、遮音効果はある?」
「うん、大丈夫。何?」
「耐久戦だ。約定を破った者に対しての制裁が先か。小春の結界が消失するのが先か。けど小春、大丈夫。すぐだ。俺たちは運が良かった」
すごく、運が良かった。
だから、この機を逃すなんて出来ないよな?
(森津木視点)
一瞬だった。
「岩木っ、小春っ!」
背後から忍び寄った黒い妄執は、岩木と小春を瞬時に呑み込み、今度は逆にゆっくりと見せつけるように川へと後退した。
「森津木っ、今の声は何っ」
駆け付けたシロさんが声をあげたのと、岩木たちが川に引きずり込まれたのはほぼ同時。
僕が答える前に、川で上がった異音を拾ったのだろう。シロさんはすぐさま遠吠えをした。
応えるように朝市の方角で遠吠えが響く。朝市なら、郷の者も多いだろう。すぐに風に連なる者が駆け付ける筈だ。
それに、神もどきが小春の結界を補強したときに、咄嗟に自分の力も乗せた。間に合うはずだ。けれど。
川べりには寄らずに、雑貨屋の入り口前でじりじりと、風に連なる者が来るのを待つ。
衣料品店の店主や、八百屋の店主がチラチラとこちらを伺っていて、神経を逆撫でする。
ああ、角の魚屋が開いていたら。朝市に出ているだろう大将が居れば、川に引きずり込まれる前に協力してどうにかできたかもしれないのに。
「森津木、来たよ」
シロさんが空を仰いだ。
空に風を纏った者が二名。こちらを見下ろしている。
説明を聞きに降りてくることはせずに、川に目をやり、移動する。
まずい。
岩木たちが喰われたと判断されれば、岩木たちごと制裁される。僕は声を張り上げた。
「待ってください!迷い人はまだ完全に喰われてはいません。取り込まれはしましたが、吸収はされていません。今適応される約定は『日中、他者が迷い人を喰おうとしていたのに気付いたら止めねばならない』のはずですっ」
あの風は集音も兼ねているはずだから、きっと聞こえる。
どうか、聞き届けてくれ。喰われたと、判断しないでくれ。
祈るような気持ちで空を見ているとシロさんが明るい声で、教えてくれた。
「森津木。大丈夫みたいだよ。『あぁ?めんどくせぇ』だって」
急いで川べりに移動する。もう雑貨屋前に待機する必要が無いなら、少しでも近くにいた方が、神もどきの加護で結界の強度が上がるだろう。
橋の横から土手に降り、下流に走る。ゆっくり移動していたらしいソレは、それなりに移動していて、このまま郷を出る腹積もりが覗いていた。
いや、アレの意思でゆっくり移動したわけじゃないのかもしれない。
あれは、海のモノ。
約定を破ったなら急いで逃げたいはずだ。ゆっくりでしか、移動できないほどに弱っている?
川面には浮かばず、水面の下に出来る限り潜って安全を図っている?
けれど、川にはそぐわない黒い本体は潜水してなお、存在を主張している。はっきりと水の中に居るのが分かるのだ。空から見れば殊更に、分かりやすかろう。
少し先に、カイドウさんが待ち構えていた。どうやら朝市に居たであろう数人も見物がてら集まっているようだった。
「おーい。風の眷属の。少し協力してやるよ。一瞬だけアレの周囲の水を引かせよう。
上から叩き込め」
どうやらカイドウさんは見物じゃなくて協力してくれるみたいだ。
多分、己の同胞とも言える存在が、あのようになっていることが我慢ならなかったのだろう。
風に連なる者たちが力を溜め始める。
このタイプの連携は、言葉は不要だ。その機に合わせて総攻撃になる。
ソレと並行して走っているので、集中がしにくいが、やるしかない。どうにか僕も合わせないと。
カイドウさんの立っている橋の前にちょうどソレが到達したとき掛け声も何もなく、ドォンという地響きすら伴って水柱が派手に上がった。
同時に全力で結界の補強をする。
水柱の中は伺えないが、空中から鎌鼬が矢の様に降り注ぐのが見えた。
だからっ!迷い人を巻き添えにしないでって、伝えたのに!
物凄い勢いで繰り出された攻撃に耐え切れるように結界に意識を集中して外側から補強をする。凌ぎきってくれっ。
「ア゛あ゛ァ゛ア゛ア゛ッ゛」
耳障りな絶叫の中に十発くらい鎌鼬を叩きこまれ、徐々に水柱が小さくなる。
低くなった水柱の中に少しだけ黒い何かが見えたとき、結界が内側から破棄された。
え。
軽やかにパキンと破棄された結界に焦る間もなく、水柱の中から氷塊が生える。
それは見事な氷塊で、破棄された結界の代わりに展開されたその術は内を守り、外を攻撃するという類のもの。
どうして、誰が。
周囲のヤジを飛ばしながら見ていたモノたちも唐突に生えた氷塊に静まり返った。
あんな上位結界、そうそう見られるものじゃない。明らかに大物が関わっている。
氷塊が結界だと気づいた者、気づかないモノ。両者に困惑が広がり、誰もが動きを止めて注視する中、水柱が完全にその姿を失った。
小さくなって浮いている黒いソレが凍った姿を晒け出す。
「あ」
カイドウさんの間の抜けた声が響いた瞬間、氷塊が内側から消し飛んだ。
吹き飛ばしたのは炎の結界術。
海坊主の内側に発生した紅蓮の炎が、凍ったままの海坊主の体を容赦なく吹き飛ばし、もの凄い勢いで噴き出したのだ。
「こわっ!うわっ!」
「お兄ちゃんとの縁、切らせてもらうよっ」
明らかに場違いな岩木の声と、頑張っている小春の声が、空高く舞い上がった炎の中から聞こえた。




