72.周囲
調合室から、被服室に向かう。ツクロイさんはお休みのようで、施錠がされていた。
一応資料室にも行ったがこちらも施錠されてある。文系っぽい人はお休みか。
「お兄ちゃん、今日はいつもより用心しよう」
小春の言葉に頷く。今日は危険度が高いような気がする。
普段なら、この程度の天気だとあまりにせずに寮に向かうが、今日は管理舎の玄関で少し待ち、日がさした瞬間に寮に駆け込んだ。
ロビーにいた三人は少し驚いたものの、空を見て納得した様子だった。
寮組に差し入れをして、今日は気を付けた方が良いかもしれないと話す。
この郷の迷い人に対するルールってのは取り締まり制だ。
ルールを破ったからと言って罰が自然に下るわけではない。俺が把握している限り、取り締まる側というのは舎長と風に連なる者たち。
そして、翻訳の催しに端を発する集団お休みの中に、取り締まる側の者たちが含まれているかもしれない。
また、以前はダイジョウ、舎長に助けてもらったが、舎長が来るまでには時間がかかった。
その後の話から、舎長が出てくるのは稀というニュアンスが感じられたし、恐らく風の系譜に連なる者たちが動くことは、偶然居合わせなければ、事件後の後始末なのではないだろうか。ルールを破った状態で襲われてから取り締まり側が来るまでの間にタイムラグがある。
そのタイムラグの間、生き残れるかどうかは『傍観しないもの』にかかってくる。『傍観しないもの』というのは、約定を守る者。前回の場合で言えばダイジョウだ。
俺の個人的な思い込みだが、はっちゃけているものはルールを守りそうにない。
逆に、大人しいもの。弱いから大人しいのではなく、理知ゆえの大人しさを備えるものは約定を守りそうなイメージだ。今回の翻訳の催しに参加するメンバーは後者のイメージ。
鬼族、御殿族がほとんどダウンで、半数なのが古族、神族、天狗族。
今日は取り締まる側、約定を守る側の人数が普段より少ないかもしれないという可能性。あくまで想像であって、思い過ごしかもしれない。
けれど、思いついた可能性の危険度合いが命に直結するなら、無視はできない。
荷物を渡し、すぐに管理舎に戻る。先ほどまで開いていた売店はシャッターが下りていて、受付カウンターの後ろの事務員の数も減っているように感じる。
午前は出てみたけど、しんどいし利用客も少ないから上がった、とかだろう。
売店のお姉さん、今朝は一段と気だるげで色気が凄かったし。早めに切り上げて帰るべきだろうか。
午後三時。
結局この時間になってしまったが、急いで受付に完了届を提出して報酬を貰い、玄関に向かう。
空は晴れといえば晴れ。曇りといえば曇り、な微妙な天気だ。
コダマさん達は事務室を退出する際には「おつかれ」と手を振ってくれた。今の空模様はコダマさん達の中では晴れという判断なのだろう。正直、送ってもらいたかったが仕方ない。
「小春、急いで帰ろう」
「あい」
小春も、今日は少し緊張しているようだ。
とんと出番のなかったお神酒をバックの底から引っ張り出し、片手に持つ。帰り道でこんなに構えるのは久しぶりだ。
大きく息を吸ってから、俺は小走りで管理舎を出た。
「ほれ、きやったぞ。何ぞ、いやらしいものを持ちよって。敏いのも考えものよ」
「川のアレは、おぬしのじゃろ」
「よほどの執着とみゆる」
「あとからきたアレに喰われるのも、腹立たしい。どうにかできんものか」
「日は陰っておるよな」
「儂には翳って見えるの」
「たれそ、言の葉交わしたものはおるか」
「いらへをもたぬ」
ザワザワと、影が揺れる。時折げひた嗤い声が混じって低く響く。
今日は小春の成長を見守ろう的な者たちはいないようだ。
敵意と好奇心が綯い交ぜになり、冬の風に乗ってくる。
「今なら、良いのではないか」
一瞬のしじまが、広がった。
すぐにひそり、ひそりと呟きが重なり新たなざわめきが生まれる。隣のものと、隣のもの。お互いが出方を伺って誰かの言葉を誘い出す。
「おや。ならば、試してみると良い」
「ほう。おぬしは高みの見物か」
「おじけづいたか」
場の雰囲気が一方に誘導されつつある。俺にとっては良くない成り行きだ。
足は止めてないため、呼び水となった発言をしたものは既に後方にいるはずだが、如何せん。前方の影までざわめきは広がっている。
まずい、かもしれない。
どうかこのまま様子見で落ち着いてほしいと思うや否や、影から零れ落ちるように、突起物が出てきた。手、のようなモノ。
一か月前のような恐怖は沸かない。大丈夫。ソレにそこまでの害はない。
何となく、そう判断して境界を持たないソレに構うことをせず、一気に走り抜ける。今ここで足を止めるほうが危険だ。
「お兄ちゃん、大丈夫。私がいるよ。喋らないでね」
小さく頷く。
小春が断言したということは、ここにいる者たちは、小春が縁を払いのけられる者たちだというこだろう。
ならさっさと通過すればいい。俺が迂闊なことをしない限り、無事にやり過ごせるはず。心持ちスピードを上げると、ふっと前方の暗闇から再度何かが飛び出してきた。
一瞬で俺の視界いっぱいに移りこんだ其れは、能面のようなつるりとした顔だった。表情の抜け落ちたかのような顔は何を考えているか分からない不気味さを醸しながら、空洞の目は薄らぼんやりと奥に何かを灯している。
瞬時に小春が俺の顔面に結界を張る。バチッと音を立てて、相手が横に弾かれた。そこでやっと俺はお神酒スプレーを噴射した。相手にかかったかどうかも確認せずに、すぐに走り抜ける。
走り抜けるときにちらりと見えたのは細長い骨。骨の先にあの能面のような顔が付いていた。ろくろ首の、骨バージョン?
一拍置いて、後ろから地響きのような悲鳴が轟いた。
それをきっかけに周囲が一気に騒ぎ出す。
「なんぞ、生まれたては結界がもう張れるのか」
「あの小僧、えげつないもの撒いていきおったぞ」
「少しかかってしもうた、あつや、いたや」
「ええい、こちらに寄るな。擦り付けでもしてみよ、今後口をきかんぞ」
後ろで誰かが爆笑している。えげつない、脆い友情じゃ。反芻する声は傍観組だろうか。
取り巻く空気が一気に弛緩したものになる。じっとりとした視線の数が減り、軽薄でテンポの良いやりとりが飛び交う。
よし、やり過ごせそうだ。
十字路に差し掛かる手前、アパートが見えてくる。ここまでくれば影の大多数はもう追ってはこない。といっても多少は影も付いてきている。
「お兄ちゃん、走って振り切って。あとは、私が跳ねのける」
小春の頼もしい言葉に軽く頷き、ラストスパートをかけて走り抜けた。
アパートに帰り、お神酒を撒いたり風呂に入ったりキッコウ柊に水遣りをしたりとゴソゴソしていると小鳥少年が訪ねてきた。
小春に確認してもらってから急いで戸を開ける。
「小鳥少年、入って、早く。俺、さっき襲われたばかりだから」
小春は近くに気配はないと言っているけど、隠れるのが上手いのがいたら事だ。早口で捲し立てる俺に、一瞬ポカンとした小鳥少年だったがすぐにへにょりと笑った。
「…うん、知ってる。冬だし騒ぎは聞こえたよ。無事でよかったね、岩兄ちゃん。
あと、心配してくれてサンキュ」
そっか。この郷は空気は綺麗だし、冬だから音が良く響く。ここら辺は静かだから猶更、あれだけ騒げば聞こえるよな。
「はは。聞こえてたか。こっちこそ、騒がせて悪かったな」
「ううん。岩兄ちゃん、これ、あげる。小春の分も入っているから」
少しうつむき気味のまま、小さな紙袋をトンと胸元に押し付けてくる。
「え。あ、ありがとう」
受け取ると、じゃ、と言って小鳥少年は踵を返し直ぐに帰ってしまった。
上がっていけばいいのに。
珍しい小鳥少年の様子に小春と首を傾げ、紙袋の中を見る。中には昨日作ったアイシングクッキーが二枚、ラップに包まれて入っていた。
大きい方を手に取ると、顔が描いてある。余白部分に、歪な文字で『岩兄ちゃん』の文字。恐らく昨日部屋に帰ってからチョコを溶かして描いたのであろう。
小さい方は言わずもがな小春の顔である。小さくて描きにくかったのか『コハル』とカタカナで名前が書いてあった。
「う、うわあぁ…」
これは、嬉しい。
小鳥少年のさっきの態度は照れ臭かったのか。そうか。そうか。
小春をチラリと見やると、頬を真っ赤に染めて、目を見開いたまま小さいクッキーを抱えていつもより高くピョンピョンと跳ねまわっていた。気持ちは分かる、分かるよ、小春。
昨日、小鳥少年がアイシングをしたいと言い始めた時に、大きいクッキーを二枚、小さいのを一枚欲しいって言ってたの、あれは俺、森津木さん、小春か。そうか。
昨日こそこそと、隠しながら顔を描いていたのは俺達か。
こりゃ、鬼族も可愛がるわ。だって可愛い。間違いなく可愛い。小春といい、小鳥少年といい、俺の周囲が可愛すぎてヤバイ。
「こ、こはる…。とりあえず、写真を撮ろう。スマホで撮るから」
二枚のクッキーを並べて写真を撮る。
本当は小春にクッキーを持たせて写真を撮りたかったが、残念ながら小春は映らないからせめて二枚を一緒に撮った。
小春にクッキーを返すと、幾分落ち着いたのか今度は跳ねずにウロウロとし始める。
うん、そうだな。クッキーは日持ちするから、今日は食べずに飾っておこう。キッコウ柊の鉢にクッキーを立てかけて、ニコニコとご満悦だった小春がアッと声をあげて俺の肩まで飛んできた。
「大変、お兄ちゃん!森津木さん、部屋にいるの!ということは、きっとクッキー貰っていると思うの。自慢しに行かなきゃ!自慢聞きに行かなきゃ!」
先ほど襲われたことなど、綺麗に頭から抜け落ち、警戒何ぞ微塵も無い態でクッキーだけを持って小春と森津木さんの部屋に突入したら、貫禄すらも滲ませた部屋の主は「待ってたよ」と宣った。




