70.幸せな時間
一月十四日。
朝から降り始めていた小雨は昼頃には雪になった。
今日が日曜で良かった。明日は薬屋さんにお礼を渡す予定もあるし、太陽が出るといいけど。
日中は小春と一緒にずっとお菓子作りに時間を費やす。
天狗族へのお礼の品、カケイさんへのお礼のお菓子。薬屋さんへのお礼も兼ねている。
合間に一本、ブランデーのパウンドケーキも焼いた。前回作った時に意外と美味しかったので、事務メンバーへの差し入れ用だ。
はっきり言えば、時間がかかりすぎて、晩飯の準備の時間まで余裕で食い込みそうだ。
午後三時半。森津木さんが帰って来たのでカケイさんにお礼の運搬をお願いし、カケイさんにもお礼を渡す。森津木さんが予め話を通してくれていたみたいで、快く受けてもらえた。
有り難いことだ。
「岩木、今何作ってるの?甘い匂いがする」
カンカン、とアパートの階段を上がりながら森津木さんが聞いてきた。
「今はクッキー焼いているんですよ。ちなみに抹茶。この後ココアも焼きますよ」
言外に、まだ当分甘い匂いを充満させますよ、と伝える。
「へえ。さっきカケイに渡していたお礼も今日作ったの?」
「はい」
う ーん、と一唸りして、森津木さんは苦笑した。
「それじゃあ、朝から何かしら匂いがしてただろうし、小鳥がひもじくなっていると思うから、声かけてみない?僕の部屋でお茶でもしようよ。時間ある?」
あ。小鳥少年への気遣いを忘れてた。
小春と顔を見合わせて、先ほど三時のお茶をしたばかりの腹具合を探る。
(小春、いけるか。俺は問題ない)
(あい。大丈夫だよ、お兄ちゃん)
「あの、俺の部屋にしませんか。あったかいですし。おやつもありますし」
「いいの?誰かに渡すように作っているのかと思ったけど」
あ。やっぱり。森津木さんの部屋にお邪魔したら、お茶とお菓子で持て成されるコースだったんだ。それはいけない。
「多めに作りましたし、大丈夫ですよ」
「そう?ありがとう。なら甘えるね。というわけで。小鳥!出ておいで!一緒におやつにしよう!」
言うが早いか、小鳥少年がギャグマンガのようにバンッと部屋から弾丸のように飛び出てきた。
その勢いで腹にタックルしてくるかと思いきや、直前でピタリと止まって腹ではなく腕にぶら下がってくる。
「おやつ!やった!」
満面笑顔の小鳥少年に何だか申し訳ない気分になる。
「うん、じゃあ、僕先に自分の部屋で荷物置いて着替えてから行くから、後で合流するね」
森津木さんは珍しく和装だ。普段着に着替えるのだろう。
「あ、俺も。待って。パソコンの電源切ってくる。岩兄ちゃん、すぐだからこのまま待ってて」
「おう。じゃあ森津木さんは、後で」
「わ、凄い匂い。今焼いてるのクッキー?」
小鳥少年を部屋に招き入れて、お茶を入れる。おやつはイチゴ大福でいいだろう。
「ああ。明日、渡すお礼用に焼いているんだ」
「クッキーが冷めたらね、アイシングっていって、絵を描くの。大きいクッキーはお兄ちゃんが。小さいのは私が描くの」
楽しみにしているのだろう、小春が弾んだ声をあげる。
小さめのイチゴ大福を一口で口に入れてもごもごしながら、小鳥少年が小春の話に相槌を打つ。
「ココアのクッキーは黒いから、雪の形を描くと可愛いと思うの」
「抹茶のクッキーにはね、千鳥をね、描いてみたいの」
「プレーンのクッキーには何を描こうかな」
珍しく饒舌な小春は、身振り手振りを交えながら小鳥少年に話していて可愛い。
「へー。アイシングかぁ。俺、したことない」
最後にお茶を啜った小鳥少年が何気はなしにこぼす。
「じゃあ、してみる?っていっても、俺も小春も初めてだから、アドバイスはできないけど」
「やるやる!ね、小さいの一枚、大きいの二枚ちょうだい!描きたいのがあるんだ」
俄然乗り気になった小鳥少年が、自分で洗い物をし始めたので、小春とこっそり笑いあってアイシング作りに取り掛かる。焼きあがったクッキーは窓際に置いてあるから、第一陣で焼いたプレーンなら大丈夫だろう。
赤、青、黄、黄緑、ピンク、オレンジ、水色、白。
俺はパステル系の色の方が良いだろうと、この配色を作ったが、小春の希望で緑と薄紫も追加する。
いざ、始めようとしたところで森津木さんが合流し、おやつを食べた後一緒にアイシングをすることになった。
小春の指導のもと、全体を塗るパターンの奴は乾くのに時間がかかるらしいから、今回は塗ることをせずに絵を描いていく。そうなるとアイシングの液も固めに。
小春は小さなクッキーの右下に、花を描いている。カラフルで可愛い…と思いきや、こう、渋い感じの絵が描かれていた。お花マークとかではなく、椿とか菊とか和柄っていうのだろうか…。
そう言えば、星マークとか、ハートマークとか、そう言ったコミカルなマークを小春に教えたことは無かったなと思い、代わりに俺がファンシーな絵を描いて、小春に紹介した。
小鳥少年は、顔? 唸りながら人の顔を描いている。
森津木さんは絵ではなく模様だ。そつなく、綺麗に仕上げていて流石の一言だ。
「いやあ、この四人が揃って、あんなに無言で作業するっていうのも新鮮だったね」
クスクスと含み笑いしながら、森津木さんから重ねた食器を受け取る。
「すみません、森津木さん。晩御飯ご馳走になっちゃって。洗い物は任せて下さい」
カチャと食器の音を鳴らして、洗い終わった皿を重ねる。
森津木さんの部屋で、皆揃って晩御飯を頂いた。作り置きがあるから、と誘ってくれたのだ。
大根とイカの煮物はとても美味かった。せめて洗い物だけでもと流しに陣取って、小鳥少年も布巾を持って横で待ち構えている。
「アイシング、意外に面白かったから、お礼。それにしても、岩木って普段通りに過ごしているから、緊張感が無いよね」
食器を下げ終わったら、小鳥少年が布巾から台拭きに持ち替えて速攻で机を拭きに行った。
「ああ。海坊主。一応、海神様にお祈りはしてますし、朝の瞑想もしてますよ。
小春にもお供えしてるし。けど、正直他にすることが思いつかないってのが実状ですね」
キュキュッと皿をスポンジで洗っていく。
「まあ、そうだね。今日お勤めの帰りに、川の方少し寄ってもらって見てきたよ」
「森兄ちゃん、危ないことは止めた方が良いよ。で、どうだった?」
「うん。心配してくれて有難う、小鳥。送り役がカケイだったからね」
「あ、それは、大丈夫だね」
当事者の俺が口を挟む間もなくポンポンと会話が流れていく。
そうか、森津木さん、結構気にしてくれていたんだな。
「ん~、アレなら、僕と小鳥は平気かな。惑わされることも、ちょっかいかけられることもないと思う。ただ、カイドウさんが言う通り、中の海神様が吸収されればどうなるかわからないけど」
「へえ。下の上ってところ?」
「うん。そこら辺が妥当かな。だから岩木。アレ、郷のルール適応できるから、上手くしたらかなりの期間逃げ回ることも可能だと思う」
「郷のルールを?知っているとは思えないのですが」
「あれだけ堂々と居座っているなら、風に連なる者たちが伝えに行ってるよ。それこそ、アレが手も足も出ない強き者が、脅しも兼ねて」
「ああ、なるほど」
皿を洗い終え、茶碗に手を伸ばす。そうか。約束さえなければアレはこの郷の基準でそこまで強くはないのか。そもそも、海神様を呑み込んでいるから、俺と海神様の約束が有効になるのか?
いや、そこは強引な理屈をあててくるのか?
「でもそれも、海神様が吸収されるまでだよね?なら、お兄ちゃんは油断をしないほうが良いと思うの」
あのとき、どうして海神様は。いや、待てよ。もしかして―――。
「そうだね。ただ、必要以上に怖がらないようにしておいた方が良い。アレは怖れを力にする性質を持つようだから」
スポンジを置いて、泡を洗い流していく。
「はい、大丈夫です。俺には小春がいますから、百人力ですよ。それに森津木さんも小鳥少年も気にしてくれているし、弱気になる要素は無いですね」
ぴゅいっと肩の上の小春が少し跳ねた。
「あい!」
どうやら、決意表明の掛け声らしい。可愛い。
小春は小さいのに頼もしい。
「岩兄ちゃんって、たまに恥ずかしいこと言うよね。もう。こっちのお皿から拭いていくから、最後に台拭きも洗ってよ」
「了解」
少しふくれっ面の小鳥少年と、苦笑いの森津木さん。肩にはやる気の小春がいる。
ああ、こんな状況で言うのも何だけど。俺は今、結構幸せだよなぁ。




