62.忠告
正午前。若君の部屋を退室して、門に向かう。
「小童、朝に言うておった、昼飯とやらは我が屋敷で食うてもらうぞ」
「あ、はい。お邪魔します」
驚いたことに、案内されたダイジョウの屋敷の一室は、敷物が敷いてあった。
御殿の方ではいつも床だったのに。いや、待て。ダイジョウが座るのかも。…でも、上座はあちら。敷物は下座にある。
じっと敷物を見つめていると、「何をしておる、とっとと座して食え」と急かされる。
「あー、この敷物の上に座っていいんですか」
「その敷布は、女どもが小童用に敷いたものだ。好きにせい」
うわ嬉しい。午前中、床の上だったから、さすがに冷えた。途中から、ダイジョウの側ににじり寄りたかったくらいだ。
いそいそと座り、弁当を広げる。
「お兄ちゃん、良かったね」
「ああ、嬉しいな。さすがに、ずっと床の上は堪える」
弁当を広げ、小春用に少しずつ取り分けて渡す。お茶は、すぐに冷えるだろうから、飲む直前でいいだろう。
俺と小春が食事を始めると、ダイジョウも何かを食べ始める。
あ。苺大福。
…似合わないな。絵面的に。こう、魚の乾物やワカメとか食べてそう。
「ふむ、これは、少しくどいが、食えんことは無い」
律儀に感想を寄越すのがダイジョウらしい。
「なら、良かったです」
甘さ控えめにした甲斐があるというものだ。小春と視線を合わせ、得意げに笑いあう。やったな、小春。
弁当を食い終え、空になった水筒をダイジョウに渡して頼む。
「すみません、継ぎ足しをお願いします」
ダイジョウは水筒を受け取り、女性を呼んでその人に渡した。
「しばし待っておれ」
「はい」
沈黙が落ちる。
……誰か喋ってくれないかな。腹いっぱいで、敷物が有って。
ダイジョウという暖房が部屋を心地よい温度にしてくれて、自然と眠くなってしまう。ここで寝たら蹴られそうだ。
うとうとしていると、ダイジョウが呆れたような視線を寄越したのに気付いたが、仕方ない。上がり込んだ他人宅で礼を欠いているのは自分だし、どうにも眠いのだ。
「小童。いや、言うても無駄か。
童よ、小童の警戒心のなさをどうにかしておけ。……ちと暇じゃ。童よ、話し相手をせい」
ゆらゆらと、午後の日差しが差し込んでくる。
ゆらゆらしているのは、ダイジョウの熱気だろうか。冬は便利だなぁ。
「……何?」
棘のある声色が返事を返す。
小春はダイジョウを警戒しているからなあ。でも、嫌いではなさそうなんだよなあ。
特に最近は、対応に困っているような素振りが有る。
「そう、邪険にするな。潰したくなろう?
聞くも、聞かぬも童の好きにすればよい」
瞳を猫のように眇め、その声には隠し切れない愉悦が混じる。
「…少し前まで、御森の気配が濃くなるときがあった。揺らぎとは煩いものでな、どうにも気に障っておった。それが最近、とんとなりを潜めたようでなぁ。辿る道を見出した…と、見えるのう」
小春の前の集合体を、消滅させた相手なのに、小春は器が大きいよなあ。
ほら、今のダイジョウなんて、危険物にしか見えないのに。俺なら一目散に逃げるなぁ。
ん?待て。…何だ?
今、ダイジョウは何の話をしている?
小春が、震える声を紡いだ。
「…この郷に、来るの?」
「さて、我にはあずかり知らぬこと」
「どうして、教えてくれたの?」
「なに、今はまだ、小童が御殿に呼ばれておるからじゃな。
迎えに行って、もう居らんなど、無駄足は踏みとうはない」
俺のこと、だよな? 悪縁とかいうのが追いかけてきて、いるのか?
辿る道……。御山のことか。
この郷は閉じられているわけでは無い。
森津木さんは、『ある程度力が強いものは自由に行き来できる』と言っていた。
例えば、御山の結界を侵そうとして御山が防御をしていた。けれど、結界を侵さなくても郷に入れると分かれば、無駄な労力を使う必要は無い。
『力が強い者』なら、郷への道は開かれているのだから。……俺に繋がれた悪縁の主は、『力が強い者』に該当するってことか。
「どうして、楽しそうなの」
震える声が、問いかける。
「このような宴、そう無い故」
まあ、若君や、御簾の人にしても刺激的な日々を過ごしているとは言い難い。きっと、ダイジョウも。
悪縁付きの迷い人を追いかけて、悪縁の根源が押しかけてくるというなら、見世物には違いないのだろう。
「もう少しばかり、助言をやろう。
郷に辿り着いたとしても、探すには別に時がかかる。そして連れゆくには手順を踏まねばならん」
小春は少し考えてから、頷いた。
「お兄ちゃん、帰ったら森津木さんに相談してみよう」
流石に眠気は吹っ飛んだ。
「…そうだな。うん」
森津木さんなら、具体的なアドバイスをくれそうだもんなぁ。ダイジョウに向き直って、頭を下げる。
「有難うございました。あなたの気まぐれだとしても、助かります」
「あ、あの、有難う」
小春も戸惑いながら俺に追従する。
頭を上げると、水筒が放物線を描いて投げられていた。
「ほれ、小童。白湯を入れてある。受け取れ」
慌てて受け取る。ダイジョウの横に女の人が控えている。あの人が、水筒を持ってきてくれたのだろう。
「有難うございます」と礼を言うと、裾で顔を隠してから小首をかしげ、僅かに頷いてから退室していく。
「童。よく見ることだ。思い込んでいたものが、実は違うものであることなど、珍しゅうない。これで終いじゃ。そろそろ、御前に参ろうぞ」
午後四時半。
御簾の人との問答を終え、アパートに帰宅する。
「お兄ちゃん、森津木さんまだ帰ってないよ」
小春がいち早く気配を探って教えてくれる。残念ながら、まだ帰宅してないようだ。
実は今日は雑貨屋に行きたかったが、日没までの時間が余りないので諦めて自室に戻る。
「小春、明日から、食堂が再開されるんだ。
寮組への差し入れは一区切りになるけど、日持ちするものを小瓶に詰めて渡してもいいかなと思っている。いつ、天候不順になるか分からないし。
誰かが風邪でも引いたら、もう一人、付き添いしなきゃいけないしな。
俺もそうだ。いつ体調を崩しても良いように、常温で保存の利くものを作っておこうと思うんだ」
「あい。なら資料室で料理本を借りてこようよ、お兄ちゃん。
今、私が知っているのはジャムと、浅漬け位だもの」
小春がぴょいっと肩に乗る。
「そうだな。それから雑貨屋に行って、必要なものを買わないとな」
晩飯の支度をしていると、「森津木さん帰ってきたよ」と小春が教えてくれる。
ドアを開けて上半身を乗り出して階段を上がってくる森津木さんに声を掛けた。
「お帰りなさい、森津木さん。
少し相談したい事があるので、晩飯一緒に食いませんか。今日の献立は鍋です」
ドアを開けて、階段を登ってくる森津木さんに声を掛ける。
「なら、つみれ持って行くから、入れてよ。小鳥は?」
「まだですね。誘ってきてもらえると嬉しいです」
「分かった」
あ、と小春がペシペシと叩いてきた。
「聞こえたよー。俺、風呂入ってから行くから、六時ごろで良い?
あと、パサパサになった冷凍のご飯あるから、締めに入れて欲しい」
四号室のドアから小鳥少年が顔を覗かせた。
「じゃあ、六時に僕が小鳥を誘ってから岩木のとこにお邪魔しよう」




