61.依頼主と
午前九時前。
通常なら舎長はまだ来てない時間なので、銀さんだけが中に居るはずだが、室内から微かに話声が聞こえる。
聞き耳を立てようかとも思ったが、思い直して扉をノックした。
「おはようございます、岩木です。受付で、こちらに伺うようにと言われました」
「どうぞ」
銀さんの声で返事が返され、失礼しますと断って扉を開ける。
「おお、小童。存外早かったの」
舎長室にはどや顔でふんぞり返っているダイジョウと、この時間には居ないはずの舎長、そして銀さんがいた。
応接用のソファーに舎長とダイジョウが座り、銀さんはデスクで書類を広げている。
先ほどの会話は舎長とダイジョウだったのだろう。
なんとなく、流れが読めたものの、軽く会釈をして説明を待つことにする。
……。
…………。
ダイジョウはふんぞり返っているだけで、説明をしてくれる気配はない。
だよな。うん、何となくそんな気はしてた。えっと、ダイジョウがここにいるということはダイジョウが依頼主でいいんだよな?
依頼主とおぼしき人物から説明が期待できない場合は、誰から説明をきけばいいのだろうか。
少し逡巡してから、舎長に目を向けた。消去法である。
「…あー。お前に指名依頼だ。依頼者はダイの。
依頼内容は空御殿の主の話し相手。報酬は一日二万。詳しい話は当事者で詰めてくれ」
舎長の態度があからさまに『面倒臭いの勘弁』である。
そりゃ、朝から押しかけられ、説明まで求められたら、たまったもんじゃないだろう。以前舎長は九時以降に出舎すると聞いたから、呼び出されたのだろうか。
結局、ダイジョウから聞かなければいけないみたいだ。
「え、…っと。今日?今からですか?」
ダイジョウに視線を移し、問いかける。
出来れば、ダイジョウの方から詳細を伝えてほしいけれど、相手はソファーでふんぞり返っている。
詳細を説明するというよりは「光栄じゃろう」といった態で仔細など瑣事と言い出しそうだ。こちらから、必要なことは聞くしかない。
「本日。御前に参るのはいつもの昼からじゃが、それまでは若君の相手をしてもらう」
鷹揚に頷き、申し渡される。
「若君?話し相手?」
「さよう。彼の方と比べれば穏やかな方ゆえ、問題なかろう?」
ダイジョウ基準で穏やかってどれくらいだろう。舎長はソファーで今にもふて寝を始めそうなほど上体が傾き始めた。
本当に、助け舟を出してくれる気は無いらしい。
「完了届はどうやって受け取れば?誰から?」
「明日、いや、次に小童が受付に行けば完了届など無くとも支払われる」
言い直した。つまり明日、俺は受付に行けないかもしれないということか。
え、何。この指名依頼、明日も有るの。アパートから直行?
他にも、普通なら労働時間について聞くところだけど、聞いても無駄だろう。御簾の人がその場で決めること。
ならば、聞くのはダイジョウの機嫌を損ねるだけだ。
「……分かりましたけど、ちょっと待ってもらえますか。
荷物を渡したい人と、預けている場所が有りますから、回収してきます。アパートにも一度帰って、用意しますから」
ダイジョウが不愉快そうな顔をしたが、構うものか。
「じゃあ、三十分後くらいにアパートの前で」
「待て。そなたの足だと、我が待つ時間が長い。そもそも三十分とはなんぞ。
疾く、用を済ませて此処に戻って来い。アパートまでは運んでやろう」
お、やった、ダイジョウ便が運航されるのか。助かる。
それにしても三十分が通じないなら、刻だろうか。ダイジョウの時代っていつだ?二時間一刻でいいのだろうか。十二支だったか。
そんなことを考えていると傾いていた舎長が、やおら上体を持ち直した。
「なんだ、やけに仲良しだな?指名依頼するくらいだからな?」
何だこの人。
指名依頼の手続きはダイジョウだが、俺を指名しているのは御簾の方だ。
舎長も分かっているだろうに、朝早くから呼び出された腹いせなのか揶揄ってくる。だが、まあ、折角の呼び水だ。向けさせてもらおう。
「じゃあ、少しお暇します。どうやら舎長もあなたと話がしたいようですよ?」
せめてもの腹いせに舎長にダイジョウを押し付け、即座に退室する。
後ろから「あっ、こらっ、岩木」と舎長の声が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。
事務室に顔を出し、ツバメに苺大福をコダマさん達にも渡してもらうようにお願いし、寮に戻りタッパーを回収する。
小走りで舎長室に戻っていると受付の染谷さんと目が有ったので軽く会釈をしておいた。満足げに頷いていたので、通じたのだろう。
急いで舎長室に戻ると、苦笑いの銀さんが出迎えてくれた。
舎長はソファーでふて寝のポーズに進化していて、どうやらダイジョウにやり込められたようだ。ものの数分でこの有様。いっそ見事である。
「遅い」
苛立ちまぎれの声があがる。
気の早い、というより気の短いダイジョウが既にベランダに出て待機していた。ベランダへの戸を開け放しているので、舎長室は風がひんやりとした空気を絶えず運んでいて、銀さんが出迎えてくれた理由が分かる。戸を閉めたいんだ。
少し離れた山から吹き抜けてくる風は、徒に書類をはためかせている。うわあ。急がないと。
「じゃあ、舎長、銀さん、朝からご迷惑をおかけしました」
ペコリと頭を下げてベランダに小走りで向かう。
「舎長、銀さん、またね」
小春が手を振り、銀さんが相好を崩して応えるや否や、担ぎ上げられ上昇した。
一瞬でアパートに戻ると、急いで飛び降りて準備をする。
苺大福が渡せるのはラッキーだ。忘れずに持って出ないと。水筒が一つしかないから、ダイジョウにお願いして途中で補給してもらえないだろうか。
準備を終えて、階段を駆け下りながら聞いてみる。
「水筒が一つしかなくて、水分が足りないんです。
昼飯のあとに、水筒に水を入れてくれませんか」
ダイジョウは器用に片眉だけあげた。
「白湯くらい、女どもに用意させればよかろう」
これは遠回しに良いよ、ってことだよな。そうに違いない。
「ありがとうございます。あとこれ。苺大福。
昨日、薬屋さんに診てもらって、薬も貰ったから。お礼です。あなたが食べられるかどうか分からないけど。振ったら型崩れするし、綺麗な内に渡しときます」
小さめの紙袋をダイジョウに押し付ける。
これでお礼は完了。苺大福を渡せたことは運が良かった。
「……。まあ、よかろう。行くぞ、小童」
御殿の前にダイジョウの屋敷に寄りはしたが大福を置くくらいで、すぐに見慣れた門の前に運ばれる。
今日は御殿の東側に向かうみたいだ。
少し長い渡り廊下を超えた先の一室に入ると二十代後半くらいに見える男が奥の文机の前に座っていた。御簾の人と会う部屋とは違って、こじんまりとした部屋で、座している場所にも高低は無い。
「ようこそ。迷い人。私は弁天と呼ばれるもの。
座ってくれ。今日は話が出来ることを、楽しみにしていたのだよ」
この人が『若君』。
「俺は岩木と呼ばれています。よろしくお願いします。肩のが」
「小春だよ。よろしくね」
二人でぺこりと頭を下げる。
確かに、穏やかそうな人だ。胸まである柔らかそうな黒髪を、緩く一つに纏めている。垂れ気味の目尻とハの字型の眉。筋肉質でもないから、柔和な顔も相まって頼りなげに見える。
着物も派手な色ではなく、墨色に近く、配色も落ち着いている。ともすれば親近感が湧きそうな外見とは裏腹に、ピンと伸ばされた背筋やその一挙動がこちらとの一線を明確に引いていた。
それにしても、弁天って、女性の神様じゃなかったっけ?
迂闊に聞くのも怖いし、地雷かもしれない。流しとこう。
「最近、父上が楽しそうにしていらっしゃるのが気になってね。
聞けば、迷い人から、新しい知識を仕入れておられると女房たちが言うではないか。
是非私にも色々なことを教えてほしい。どうにも、外のことに疎くなっていけないからね」
ゆっくりと独特のテンポで話す人だな。
あれだ、午後の授業で教室全部を睡魔に陥れる喋り方。
「俺で答えられることであれば」
どうやら、最近の生活や習慣に興味があるようなので、年中行事を大雑把に説明する。
俺が使う日にちは、旧暦ではない事。天皇行事などは分からないので伝えてない事。地域の祭は知らないものも多いので、抜かすことを伝える。
その上での年中行事の多さに若君は混乱したようだ。
「何故、外つ国の神事や祭事がそこまで行われるのか」
「もう神事や祭事では無く、騒ぐための理由ですね。商人にとっては稼ぐための知恵でしょうか」
若君はしきりに、外つ国は怒らないのかを気にしていたが、なるほど、若君にしてみれば、己の仰ぐ神が馬鹿にされている感覚らしい。
「大丈夫ですよ。多分。国際上の問題にはなってないと思います。少なくとも俺は聞いたことが無いですから」
「そ、そうなのか」
次に、今行われている行事内容を説明すると、若君の混乱は加速した。
「何故、全ての行事が物欲と食欲に繋がっているのだ…。
原型を留めてないし、もう祭りや行事では無く、商人どもの売り込み文句にしかなってないではないか…」
「そりゃあ、仕方ないですね。庶民が自発的に行う行事で、何かを捧げたり、しきたりに則って人間以外に謝意を示すことはあまり有りませんから。さきほど若君が評した通りだと俺も思いますよ。
でも、地域の祭りや、宗教に傾倒している人は話が別です。きちんと残っているものもある」
次第に失われつつあるものの方が、圧倒的に多いだろうが、そこはまあ、黙っていよう。
「もしや、と思うが。地域の祭りにですら、商いの話が絡んでくるのではないか?」
「商い…?あぁ、出店も出ますし、地元のピーアール、いえ、地元の観光客への売り込みの一部にはなりますかね」
「?観光客?旅人を呼び込むのか。
良くわからないが、氏神への祈りや感謝は、変わることなく捧げられているのだろうか」
「神職や、住職などの一部の人々を除いて、大勢、ということなら……残念ながら。
そこの神様がどういう謂れで祀られたのか。なぜその地に辿り着いたのか。そういったことは、地元の祭りでも知らない人も多いんじゃないでしょうか。若い人は特に。大きな祭りなら別ですけど。
祭りは多くの人にとって感謝を捧げるものじゃないし、祈るものじゃなくて、出店で買い食いをして、神輿や山車をみて騒いで、花火を見るもの。
たまに、神輿で練り歩いて集めたお賽銭を、練り歩いた者たちの小遣いや町内会費…えっと、ご近所に住む人たちの集まりの活動資金?にするところも有るくらいですよ。
勿論、神輿や山車の修復費用にも充てられますけど。あれ?賽銭っていうのかな?寄付?すみません、詳しくないです」
「それは、神社の元に届けられることなく、村人の物になるということかい?…なんとまあ罰当たりな。小銭が欲しければ、神輿を担ぐのではなく、物乞いをして回れば良いだろうに」
そこらは感性の違いだろうなぁ。
彼らにとっては「正当な報酬」なのだから。
実は神輿や山車にすら、足を掛けて乗る人がいるなど言ったらどうするのだろうか。神社の鳥居を、そのまま潜る。道の真ん中をそのまま歩く。俺が小さいころは祖父母にきつく言われていた作法が、一般的ではないこと知ったら悲しむかな。
神を畏れ敬う気持ちは、親から子へ受け継がれることが少なくなり、既に大半失われている。多くの人にとっては、「知らない」ものとなってしまっているように俺には思える。
「まあ、あくまで俺の見知っている範囲で感じていることなので、事実とは限りません。
他の大部分の場所では信心深いのかもしれませんし」
無いだろうな、とは思いつつもフォローを入れる。もしかしたら、御簾の人は祀られている人かもしれない。
だから若君はここまで、信仰の低下が気になるのではないだろうか。
若君はどうだろう。
信仰の低下を他人に聞くくらいなら、自分自身でははっきりとは分からないのだろうか。いや、分かっていても、否定して欲しかったのかもしれない。話題を、変えた方が良いかもしれない。
どこか萎れたような若君がため息交じりに呟いた。
「…もう、現世の多くの人間にとって、神はそんなものなのだな。とても残念だ。
ところで、先ほど会話にでた『花火』とはなんだ?」
渡りに船だ。信仰以外の話題にしよう。
花火の歴史を掻い摘んで紹介して、一般的には江戸時代から庶民に浸透したと伝える。
また、花火は人々にすぐに受け入れられ、色々な書物にも出てくるようになり、そのまま物語の紹介に話題を移した。
結構、あからさまな話題転換なのに、若君は何も言わなかった。
ついでとばかりに資料室にある物語の紹介をしておく。興味のあるものは自分で借りられるから、気儘に選べる。
若君は資料室には行ったことが無いらしく、そこは見事に喰いついてきた。




