60.指名依頼
午後二時。
電子辞書が無くても、どうにかなるもので処理枚数が四十枚になったのでお暇することにした。
筆記用具を仕舞っていると、フミツキさんが完了届を差し出しながら、品の良い唇を開いた。
「ふふっ、岩木さん。本日も大変助かりました。完了届です。お受け取り下さいませ。
それと、楽しいお休みをお過ごしになられたようで何よりでございます。彼の方が大層岩木さんを気に入られ、自慢話をなさるのですもの。
『月』のお題の詩歌、教えてもらいましたけれど、どれも甲乙つけがたく。あのような弾んだ声はいつぶりのことでしょうか。
このフミツキ、友の一人として、お礼を申し上げますわ」
あー、あれか。御簾の人か。
意外にまめなやり取りをしているのか、情報は筒抜けのようだ。
まさかフミツキさんから礼を言われるとは思わなかった。
「……いえ、そんな。俺は何も。聞かれたことで、知っていることだけ、答えただけですから。でも、楽し気なご様子だったなら、俺も嬉しいです」
この郷の上下関係が分からない以上、どこが地雷かもわからない。
少し思案してから、無難だろうと思う返答を口にした。どうやら、及第点は貰えたらしく、フミツキさんはフフッと笑って軽やかに言葉を重ねた。
「あと、今週の土曜はかねてから企画しておりました書物愛好仲間で意訳をする催しをいたします。
ですので、前日の金曜、当日の土曜は翻訳のバイトはお休みということになります」
金曜は準備期間、かな。
「分かりました。木曜までは通常通りですか?」
「ええ。資料室は」
うん?引っかかる言い方だな。
資料室「は」通常通りでも、他の何かが通常通りではないという事か?
視線をやるも、フミツキさんの唇は弧を描いたまま動かない。まあ、言葉を濁した時点で伝える気は無いのだろう。聞いても無駄なので早々に諦め、纏めた荷物を持って立ち上がった。
「では、今日はここで失礼しますね。完了届有難うございました」
「お姉ちゃん、ありがとう」
「こちらこそ。今日は有難うございました」
帰りに売店と被服室に新年の挨拶に行き、昼に言われていた調合室に向かう。
調合室は一階。特別棟に入ってすぐ。棟は違うが、位置的には事務室の横にあるので迷うことは無い。
独特の匂いが漏れ出る扉越しに声を掛ける。
「薬屋さん、いらっしゃいますか。今日は、迷い人の岩木です。来ました」
おう、と中からくぐもった返事が聞こえ、少しすると扉が開かれた。
一気に強くなった匂いとともに顔を出した薬屋さんは、手に持っていた小さな紙袋を渡してくる。
「よく来た。受け取れ。塗り薬が今まで通り朝晩の二回。晩は風呂に入った後で。
火傷の範囲が広かったから、手足の分も込みで多めに入れてある。治りかけでもしっかり塗布しろ。
白い包み紙に入っているのは飲み薬の丸薬。朝食のあとに一粒飲むように」
差し出された薬袋を受け取りながら疑問を返す。
「丸薬?飲み薬ですか?」
火傷なのに?
「ああ、不思議か?
お前は治りが遅い。もしかしたら迷い人なら普通かもしれんがな。丸薬は栄養剤だ。味はお察しだから、噛まずに飲込め。
回復するだけの力が、補われてないと判断した。確実に食事が足りてないから、そんな腹なんだろ。
一週間後、まだお前が此処に居たなら、また来い。治ってるだろうから、確認だけする」
お、嬉しい。一週間後には治るんだ。小春もなんだか嬉しそうに薬袋を眺めている。この塗り薬は凄い。
なんせ、ひきつるのは仕方ないとして、痛みを大幅に和らげてくれるのだ。塗り残した箇所が有った時、痛くてびっくりした位だ。
この人、いいな。
薬を出して終了では無く、完治まで見てくれる。
今まで塗布していた薬が薬屋さんので、それを把握しているのはダイジョウしかいないから、依頼主はダイジョウだと思う。
ダイジョウの事だ。きっと薬を渡しておけ、くらいの依頼だろうに。
しかも『一週間後、まだお前が此処にいたなら』。
この郷の人が、初対面の相手の立場を考慮して発言するなんて珍しい。そこに俺に対する好感は無いのだろうけど、俺の薬屋さんに対する好感度はうなぎ登りだ。
「分かりました。あの、確認しておきたいのですが、誰からの依頼ですか?」
薬屋さんは訝し気な視線を投げてよこしながら、片眉だけを器用に上げた。
「ダイジョウの旦那に決まってるだろ」
ですよね。
「あ、はい。分かりました。一応確認をしておきたかったんです。
有難うございました」
ふうん?と少し含みのある相槌をうちつつ、目を細める。
あ、これ、面倒くさい視線だ。
「可哀相になぁ。ダイジョウの旦那も、こんなに親切にしてやっているのに。
あぁ、いや何も告げ口なんかしやしないがな。念のために確認しなきゃならない程度には、信頼はされてないってわけだ」
「自分の予想だけで決めつけてしまうのは、怖いので」
はっきりと怖いと口にする。
薬屋さんは愉快そうに小さく笑った。
「ま、仕方ないよな。考えが違う。立場が違う。
この郷そのものが、迷い人にとっては恐怖の対象たりえる。
だが、なるほど。
アンタがこの郷で、迷い人にしては上手くやれているのは納得した。……じゃあ、一週間後に。因みに私は甘いものが好きだ」
がめつい。
報酬はダイジョウから受け取るだろうに、抜け目のない事で。俺が応じると分かっているのだろう。先の口止め料。
あと、薬屋さんに今回の報酬が事前に渡されているなら、丸薬は報酬に含まれず、サービスの可能性が高い。
他人の報酬について根掘り葉掘り聞くわけにもいかないし。
借りとしてカウントして、返しておきたいと俺が思うなら、この提案は渡りに船なのだ。
「……期待しないでください。約束はしませんよ」
少し考えて、明言は避けて返答する。
「ああ、もちろん」
さして気にした様子もなく、薬屋さんはあっさりと頷いた。
調合室を後にして、商店街に向かう。
商店街は営業を開始している店がちらほらある程度で、半数はまだ休業中のようだ。
お目当は雑貨屋だったが、残念ながら営業はまだしていなかった。
食料品店で買い物をしてから、最後に寮に寄り、バスケットを回収して帰途に着く。
闇がささやかに蠢き始めた住宅街を進みながら、小春に昔の食事情について聞いてみる。
「小春、昔の人って何食べてたの?おやつに」
「昔?」
「ああ、ごめん。ダイジョウっておやつに何食べるかな。
馴染みのあるものが思い浮かばなくて」
もしかしたら、おやつじゃなくて、間食だったりするのだろうか。
いや、おやつも間食だけど、お菓子じゃなくて握り飯とかの軽食?
そういえば、昔は二食だったっけ。
「おやつ。うーん。口に入れば、何でも…。ううん、えっと。、果物とか、牛の乳固めたのとか?」
「寒天?冬だからなぁ。砂糖控えめのアンマンとかどうだ?」
「もしかして、お兄ちゃんアイツにお礼するの?」
「一応。借りを作りたくないってのも有るけど」
ダイジョウに借りを作るのは面倒くさそうだ。
今回の薬の件に関しては、ダイジョウは借りとしてカウントしないだろうけど。
「そっか。みかんで良いと思うけど、ひと手間加えたものを渡したいってことだよね?
なら、バターは避けた方が無難かなぁ。干し柿とか、豆餅とかでもいいと思う」
「餅かあ。あれを一人で作るとなると、手間だし、もち米が無い。
干し柿も、今の時期、食べる人は作り置きが豊富にある期間だろうしなぁ」
二人でうんうん悩みながら帰路を辿る。
結局帰ってから、苺大福でどうだ?ということになり、もう一度食料品店に出かけることになった。
季節外れの苺は三パックで三千六百円した。
一月九日、火曜日。
いつもより早く起きて苺大福を作る。早朝というよりは深夜の午前三時。
コンロに鍋をかけ、ストーブの電源を入れ、ごそごそとしていると室内も体も温まってくる。
前日、帰宅後すぐ水につけていた豆で白あんから作っていく。
苺大福は白あん派だ。ダイジョウに食べやすいように甘さ控えめ。あんは熱さましの時間もいるから、先に作らないと間に合わなくなる。
深夜という時間帯なので、小春と二人、極力音をたてないように、小声でこそこそと作業を開始した。
六時半にはあらかた出来上がり、完成品をアルミカップに乗せてく。バットが埋まるころ、小春がポツリと呟いた。
「お兄ちゃん、苺大福をお礼に渡すのは良いと思うのだけど。…アイツと今日、会えるかわからないよね?」
あ。
手を止め、真顔で小春と見つめ合う。
苺大福はナマモノ扱いの筈だから、当日中に食わないといけない。
けれど今日、ダイジョウに会う予定など無い。苺三パック、ほとんど全ての苺が苺大福になって並んでおり、残りも数個。
「……まあ、いっか」
作ってしまったものは仕方がない。
今日ダイジョウに会えなければ、ダイジョウに渡す予定の六個は俺の胃に収めればいいだけだ。余裕。次回から苺は一パックの購入にして、ダイジョウの分だけ作ればいい。
森津木さんと小鳥少年に三個ずつ引き取ってもらい、寮組への差し入れにもねじ込む。
朝の散歩で、ドウソウさんの入っていた石にも二個お供えをしておく。最近、みかんばっかりだったから、久しぶりに作り物をお供え出来て嬉しい。
一応上手く出来た苺大福を入れた容器は、綺麗な柄の紙を巻いてダイジョウ用に取ってある。残りはツバメに渡して事務メンバーで消費してもらおう。
寮に寄ってから、管理舎の掲示板に向かう。
年が明けた頃から、掲示板の依頼表も追加されることが少なくなった。人影も少ないロビーと相まって、うら寂しい印象を受ける。
翻訳の仕事の依頼表を取り受付に行くと、本日の受付の染谷さんが有無を言わせない笑顔で待ったをかけた。
「岩木さんに指名依頼が入っています。資料室の依頼は私が一度掲示板に戻しておきますので、舎長室に行って詳細を聞いて下さい」
俺に指名依頼?
なんだ?しかも舎長室。
胡散臭さいから行きたくないが、染谷さんは笑顔で資料室の依頼票をカウンターの後ろの事務員さんに「戻してください」と渡してしまう。
……これは拒否権が無いやつか。
チラリと小春を見ると首を横に振って答えてくれる。だよなぁ。
「あの、どなたからの指名でしょうか」
「詳細は舎長室でお聞きください」
にべもない染谷さんの返答に、いよいよ面倒事の気配がする。
染谷さんの後ろで事務員のお姉さんがそそくさと依頼表を戻しに席を立った。
「……分かりました。舎長室に行ってみます」
早々に諦めて返事をする。
この郷に居る限り、俺はここで仕事を貰わないと食っていけない。
ここで渋っても、受付に嫌われるだけで、今後やりにくくなるだけだ。とにかく舎長室に行って話を聞かないと。
「ご理解いただき、有難うございます」
一分の隙もない笑顔の染谷さんが、ニコニコと形ばかりのお礼を伝えてくる。
「こちらこそ、有難うございました」
俺のお礼に合わせて小春が肩の上で会釈を返す。少しだけ不満を感じるものの、染谷さんは受付の仕事をこなしただけだ。
不満な気持ちが言動に出ていなかったか、心配ではあるものの、相手は恐らく海千山千。見透かされているんだろうなぁ、と諦めつつ舎長室に舎長室に足を向けた。




