55.言葉遊び
一月五日。
自室に戻り、風呂に入る。ダイジョウのくれた薬の効きが凄くて、掌は寝る前に塗っただけなのに綺麗に治っていた。
足も、多分明日辺りには治るだろうが、腹はまだまだ先のようだ。
寮への差し入れなどでバタバタしていたら、あっという間に正午になった。すぐに降りた来たダイジョウに担がれて御簾の人の所に向かう。
「やあ、よくぞ来た。待っておったぞ。
さあ、昨日の続きを。さて、どれから手を付けようか」
疑問は尽きないらしく、次から次へと質問がくる。
もしかして、姫ちゃんのポエムに使われている単語を全部聞かれているのと思うほどだ。
「次はな、単語が分からんわけでは無いのだが、少し疑問がある言い回しでな。
もし、由来や引用があるなら、聞きたい」
「どうぞ。俺にわかる範囲であれば」
「うむ。『あなたと見れない月が悲しい』とは何かあるか。私としては、そのまま『一人で見る月は侘しい』と思うたのだが、女房どもは違うのだ。もっと悔しさや、遣る瀬無さ、恋うる君への狂おしい思いがあると言う。私の解釈とどう違う」
知らんがな。姫ちゃんに聞いてよ。
「あー、えっと、ですね。俺が思い浮かぶことを言いますから、必ずしも参考になるとは限りませんよ。俺は作者ではないので」
「構わん」
「外国語の『私はあなたを愛している』という意味の文訳を『あなたと見る月は綺麗ですね』とした作家がいたという都市伝説、ええと、有名な噂があるのです。
直接的に愛という単語を使わなくてもその心は通じると判断したのですね」
御簾の人が「ふむ?」と考え込む。
お慕いしております、とかのほうが分かりやすかったか?
「また、『月が欲しいと泣く子供』のことを『ないものねだり』と解釈します。
さらに、外国では月の神は女神とされることが多く、月は女性的な印象もあるようですね」
ふむ?ともう一度呟いて御簾の人は黙ってしまう。
これ、放っておいていいの?俺、黙ってたらいいの?小春をちらりと見ると、にこっと笑ってくれる。可愛い。だが、求めるモノとは少し違う。
仕方なくダイジョウを見ると、ぶすっとした顔でこちらを見た。
黙っとれ、そう唇が動く。
頷いて、待つ。御簾の人と喋るのは苦ではないのだけど、どうにも合間合間にある待ち時間が暇である。
この時間にお八つ食べていいかな。お茶だけでも飲みたい。
そういえば、他にも有名な恋の歌とかも有ったな。それも紹介したほうが良いのだろうか。
ぼんやりと考え事をしていると、火鉢の音しかしない静かな部屋にグウっと音が響いた。
俺の腹の音である。
「お兄ちゃん、お腹減った?お八つ持ってきたの、食べる?
お腹、また抉れちゃう」
御簾の人からも視線を感じる…。
「あー、スミマセン、俺、すぐに腹が減ってしまいまして。
自分の間食は持参しているので、どこかで少し食べさせてもらえませんか」
「持参、したのか?言えばよかろうに。近頃は、持参するものなのか?」
「お兄ちゃんはすぐにお腹が抉れるから、太りやすい食べ物を食べないといけないの」
「肥え易い食べ物。その割に、ふっくらとはしておらぬが…」
「だから、お腹が抉れてるの」
ダイジョウが直答を許されておらぬに口を開くなと言いたげな雰囲気でこちらを睨んでくるが構うことはない。もぎ取れ、おやつタイム。
「分かった。ならば、ここで小休止といたそう。オオキ、控えの間でも案内してやれ」
「はい。では付いて参れ」
ダイジョウが腰を上げたので慌てて立ち上がる。
「我儘きいてもらって、有難うございます。一旦失礼いたします」
小春とペコリと頭を下げて歩き始めているダイジョウを追いかける。
控えの間は廊下を出た突き当りで、今までいた部屋と比べると火鉢もないので大分寒い。
だが、控えている客を持て成すためか、庭の景色は冬だというのに美しかった。
ダイジョウが腰を下ろす。
へえ。監視役で居るんだ。別に構わないけど。
ダイジョウの自熱は側に寄ると温かいので、近くに座り小春とお八つにする。
「じゃあ、小春も。頂きます」
「頂きます」
二人でもぐもぐと食べ始める。うーん、クッキー飽きたな。
「小春、クッキー飽きたな。今日帰ったらプリンとかりんとう作ろう」
「あい」
「あなたも食べます?味は保証しませんけど」
ダイジョウに聞いてみる。
ダイジョウは少し驚いた顔で口を開く。
「どうした小童。阿呆に磨きがかかったか」
「ああ、三日ルールだったら良いんですよ。
そもそもあのルール、あなたたちにとっては何の制約にもならないんでしょう?」
午前中に、小春とも意見のすり合わせはした。
「狩りの範囲がどこまでを定義するかはそれぞれですけど、その中に「獲物を攫う」が入らなければ、あなたはいつでも俺を攫えるし。
殴り殺すことができなければ、斬り殺せばいい。むしろあなたの場合「斬る」「焼く」に特化しているし。
あなたに初めて会った日に、俺に呪を掛けようとしたように、呪い殺しても良いし、操っても良い」
「まあ、そうだな」
ダイジョウはニタリと嗤う。
「なら、気にしても無駄ですよ。取り入ってなんぼです。
というわけで、火傷の薬、有難うございました。効き目が凄く良くて、助かりました。
ついでに今日、担ぐ前に結界を張ってくれて助かりました」
軽く頭を下げる。
「……」
ダイジョウは何も言ってこないので、クッキーは食べないのだろう。小春と一緒にボリボリと食べる。
「あ、小春。お茶入れよう。少し待って」
「あい」
水筒を取り出し、小春用のカップにお茶を慎重に注ぐ。
自分の分も注いで二人でサクサク食う。俺は歯ごたえのあるクッキーが好きだが、小春は軽いクッキーの方が好きだ。
「いや、小童。取り入る相手を前に、その気が欠片もみえんのだが」
「お礼言ったじゃないですか」
「礼は礼であろう。媚び諂うのではなかったか?」
「そこまでは。何したらいいかも分からないし。面倒くさそうですし」
ダイジョウがもの言いたげな視線を寄越すが、何かを告げることはしない。
俺も訊ねるつもりはないので、お茶を一気に飲む。ちょうど小春もクッキーを食べ終わった。おしぼりを出して小春の手を拭って、自分も拭く。
「よし、食い終わりました。
戻りますか?それともここで少し待機したほうが良いですか?」
御簾の人の部屋に戻ると、御簾の人は女の人達と楽し気に談笑をしていた。
「おお、そなた、戻って来たか。
先ほどの『月』をな、この者たちにも聞かせておった。
やはり、趣き深い意味があったのだと興が乗ってな。今宵『月』をお題にした宴でも開こうか、と話しておったのだ」
「そうですか。では、あまりお邪魔してもなんですし、最後に一つ、月に関する外国の有名な音楽を紹介して、引き上げますね」
「おお、是非に」
朧げな西日が御殿の渡り廊下の柱の影を長く伸ばしている。
前を歩くダイジョウの髪が蜃気楼のようにゆらゆらと夕日を吸い込んでいる。
「小童。我が恐ろしくはないのか」
御簾の人の部屋を出て、御殿の入り口に向かう道中、ダイジョウが口を開いた。
「そりゃあ、怖いですよ。強そうですから」
「では何故、そこまで警戒心が薄れたのだ」
小春と目を合わす。なぜって。
「無駄だから。さっき言った通りですよ。一度攫われた結果です。昨日の夜、考えました。
いつ近づいたのか、担ぎ上げられたのか何も分からなかった。手も足も出ない。なら、気を張るだけ徒労ですよ。
しかも今は、俺がここに呼ばれている間は、手が出せないでしょう?」
「そうだな。そして小童は次の約束を交わさなかった。一度返してしまえば、喰えるのだぞ」
その通り。約束は交わさなかった。宴のことに夢中なのだろう。でも、近いうちにまた呼ばれるんじゃないかと思ってはいる。
「それなんですがね。勘違いだったら恥ずかしいんですけど、あなたは人を喰わないんじゃないかと思ってるんですよ」
「…何故」
「あなたは人に近い気がする」
ダイジョウの背中に揺れる髪が少し広がる。
「人を斬ることも、呪うことも、息をするように出来る印象です。
でも、喰うことは矜持が許さない。あなたの言動からそうかな、と」
『この場で礼でも言おうものなら、三日以内に喰えたであろうに』
以前、言われたあれは、ただ、からかわれただけだ。
ダイジョウが本気で喰う気なら、攫ってしまえばいいのだから。
ダイジョウの足が止まった。ゆっくりと、振り返る。
『縄が切れた暁に、そなたが嗤っていたならば。
踏み抜き沈めてくれようか。影に落としてくれようか』
これは以前、ダイジョウに掛けられそうになった呪の欠片。
墜ちることを仮定した呪い。墜ちたことを咎める文言。
『人とは、弱き者を蹴散らし、強き者を欺く生き物。
過去に縋り、今に妥協し、先に諦める救い無き生き物。
人であったものとは、強きを恨み、弱きを認めぬ成れの果て』
振り返ったダイジョウの目は、全てを飲み込むような、漆黒。
髪が広がり赤く燃えている。苛烈な性格と理知ゆえの諦念。
過去に何があったかなんて知らないけれど。
話してみたい、気もする。怖いもの見たさ。
「俺は、岩木って呼び名を貰いました」
ダイジョウから視線を逸らさずに告げる。
「あなたのことは、何と呼べばいいですか?」




