41、裏話(姫視点)
アイツが、帰って来た。
のこのこと。
昨日の夜、寮の住人でありながら、あの惨劇を逃れた憎いアイツが。
「なんの匂いだこれ。くっせえぞ」
そんなことを言いながら、異臭の元を探すために、階段を上がってくるアイツに、私は部屋から飛び出して、掴み掛かった。
髪を振り乱し、散々恨み言を吐き散らかし、アイツを責める。
アイツは廊下の残骸に気が付き、顔色を無くして私に責められるままだ。
ああ、匂いがきつい。気持ち悪い。アイツに逆上して辺り散らかしているうちに、気が遠くなっていく。
もっと、もっと言いたいことがあるのに。どうして。アイツの焦った顔が最後に見えた気がした。
次に目を覚ました時、寮の中は化け物どもが闊歩していた。けれど、夜とは雰囲気が違う。
あの女の部屋から荷物が運び出されている?しばらく息を潜めて様子を探る。
ゴト。ギィ、ギィ。
女の部屋は、荷物も少ないのだろう、すぐに音がやみ、私の部屋の前に来た。
「掃除しちゃうから、ちょっとどいて」
「これ、ペンキ。もう塗り直した方が早いよ」
あ、これ、私の部屋の前じゃない、女の部屋の前。掃除を、してくれている?
「っす」
アイツの声が小さく聞こえて、居るのだと分かった。
どうして、化け物と一緒に居るの!?アイツまで喰われてしまう!
勢いで扉に張り付いた。喉からヒューヒューと音がする。
けれど、アイツの悲鳴は上がらない。ゴロゴロと何かの音だけが響いている。
あ、これ、ペンキ塗ってる。ローラーの音?
掃除。掃除をしてくれている。アイツ以外の気配はもうない。
手伝わないと。一瞬、そう思うもすぐに無理だと思い直す。
無理、無理。触りたくない見たくない。
部屋の中までペンキの匂いが充満してくる。多少くらっとするが、あの異臭よりも遥かにマシだ。
アイツと、話をしなきゃ。謝らなきゃ。
ペンキを塗っているだろうアイツにどうやって話しかけようかと長考したのがいけなかったのか、パタパタとどこかに駆けていく音が聞こえた。
え?この足音、アイツよね?なんで?
どうしていっちゃうの?
何処に行くの!?
私にはもうアイツしかいないのだ。
カレシさんは使い物にならないだろう。
アイツしか頼れる奴はいない。
なのに何で怒鳴ったり、掴みかかったりしてしまったんだろう!
何で、すぐに謝らなかったのか!
嫌だ、誰か、誰か、誰か、傍に居てよ!
一度、誰かが廊下の窓を開けていく気配がして、すぐに居なくなる。
アイツかと思ったけれど、足音は複数。アイツは、どこに行ったのかな。私、このまま一人なの。
取り残された寮には物音一つしない。
カレシさんは居るはずなのに。きっと私みたいに抜け殻になっているのね。ズルズルと扉の前にへたりこみ、そのまま横に倒れる。
寒々しい部屋は、勿論床も冷たくて。
部屋の隅がいつもより暗い気がしたけれど、そんなこと、どうでもよくて。
ただ、ぼうっと窓の外の濁った空を見ながら、体が冷えていくのを感じて目を閉じた。
どれほど、そうしていたのか、また寮の中に、二人、足音が響き始める。
途切れ途切れに悲鳴のような何かが聞こえるけれど、今の私にはどうでもいい。
ああ、一人がアイツなら良いのにな。
そうしたら、今度は化け物がいても、出て行って謝れるのに。そんな甘い期待を自分で嘲笑って、身を起こす。せめて、ベッドに行かないと。
ふいに、扉が、叩かれた。
「俺はアパートの迷い人、岩木だ。出てきてくれ」
もう、無我夢中だった。
殴るように扉を開けて、一も二も無く飛びつく。寂しかった、心細かった、怖かった!
アパートの男の後ろにはアイツもいて、呼んできてくれたのだと、見捨てられてなかったのだと分かり、嬉しくて、必死で訴えた。
「わ、わたし、きいてて、きこえててぇ、ぁの女の悲鳴が、助けてって、こきゅって、べちょって」
きっと男は聞いてくれる。慰めてくれる。アイツとこの男は、私を助けてくれる!
だけど。
「パス」
男は冷静な声で言い放ち、すぐに私をアイツに放り投げた。私を抱きしめ返すこともしなかった。
え?
パス?
アイツは「ぅわっ」と何とか受け止めてくれたけど、やっぱり肩に手を置くくらいで。
その間にも、男は許可も無く私の部屋にずかずかと入り込み、隅に霧吹きをかけている。
「きゃあああ」というか細く甲高い声が聞こえて、何かが外に逃げていく。なに、あれ。さっきから、何度か聞こえた悲鳴だ。隅に何かいた。
男はその後もカレシさんの部屋に突撃し、「パス」とかいいながら、私たちにカレシさんを放り投げてはスプレーを吹きかけた。
そこに私たちへの同情は感じられない。何だ、この男。何しに来た。
男の思惑を計りかねたまま、調理室に誘導される。
幾分冷静になったと言っても、やはりまだ恐怖が濃く残っている。
今は誰かと一緒に居たい。大人しく調理室の席に着く。
シュンシュンと薬缶が音を立てて湧いている。
薬缶の水が湧く音。その音に無性に安心する。日常の音だ。男が柚子の香りのする飲み物を出してくれた。
アイツが真っ先に飲み始める。とても美味しそうに飲むので私も口を付けた。
温かくて少し苦くて、甘いものが食道を通り胃に落ちる。それだけなのに、なぜだろう。少しだけ、泣きそうになった。
私たちが有る程度落ち着いたのを見計らって男が喋り始める。
今夜、再び、化け物どもが闊歩することを。
返事をしているかもしれない私とカレシさんが狙われること。
生き延びて欲しい、それは、男のためでもあること。
あの女の声が真似されるであろうこと。
私とアイツは、男の助言に頷いた。
死にたくない。男の発言で反論する箇所もなく、理解できるから。
でもカレシさんは違う。心ここに在らずだ。抜け殻のように、話さない。反応も薄い。
男は返事をしないカレシさんに視線を移す。
そして、茫然自失のカレシさんに男は残酷な言葉を吐いた。
「彼女は狩られたんだ。もういない」
あまりの暴言に耳を疑った。こいつ、今なんて言った。カレシさんだって、反応が薄いだけで、聞こえているだろうに!
それはあんまりだ。責められた方がずっとましに決まってる。そんなの、こいつだって分かっているはずなのにっ。
『もう いない』その事実だけを突き出すなんて。
男を止めようと思ったけれど、冷静な私が、「これは必要なこと」と認める。
けど、だけど。
私の葛藤をよそに、男はさらに口を開く。
カレシさんに向けて、ことさらゆっくり畳みかけた。
寮に住んでない、アパートの俺の言葉は聞けませんか。
一番、関係ない、この中で一番冷静な、俺が言いますよ
「あなたは、悪くない」
こんなの、ひどい。ひどすぎる。だって、ひとたまりもないじゃないっ。
カレシさんの弱い部分を踏み荒らしたうえで、麻薬のように一番欲しい言葉を囁くなんて。
何の手法よ、洗脳じみている。ひどい、ずるい男だ。
カレシさんが泣いている。無音の慟哭。たまらず手を握る。アイツも反対側の手を握った。
ああ、ああ。ごめんなさい。ごめんなさい。
なにも出来なくて。かける言葉すら、持ち合わせてなくて。
あの男の発言だって、全てカレシさんを思ってだ。酷い言葉でも、それは生きるための言葉。
分かっていても言える勇気が私には無かった。あの男に押し付けた。いつも逃げてばかりで。他人のために動けなくて。
何て醜い。
男はじっと、私たちが落ち着くのを待っている。やがて、カレシさんが頷いた。それは生きる意志表示。
アイツが男を頼ってしまった理由が、分かった気がした。
今夜は男が泊まってくれることになった。
男が荷物を取りに戻っている間に、アルコールの掛けられたところを拭いて行く。カレシさんは二階に上げない。私とアイツで掃除をした。
次に急いで布団をカレシさんの部屋に運び込む。
もちろん私とアイツの分。今日は一人は嫌だ。絶対に。カレシさんは少し驚いたものの、私たちの勢いに押されて頷いた。
アイツにお礼も言っておく。
「アパートのを、呼んでくれて、ありがとね」
多分、これは分岐点。
私たちは首の皮一枚で繋がったと考えていい。精神的にも、肉体的にも。
特に、カレシさんは放って置いたら今夜、あの女の後を追うことになった可能性は高いとみている。
そ れほどの自責、それほどの憔悴だった。男が来ることで、防げるかどうかは分からないけれど。
男はのんきにバスケットに食べ物の入ったタッパーを詰めて来た。
こんな時に食欲なんてあるわけない。しかも、調理室でお握りを食べて数時間しかたってないのだ。
けれど、無理をして食べる。
夕ご飯と言う日常が欲しかったし、夜、もしリバースすることになったとき、胃に何もないと、キツイかもしれないし。
食べないことで男が気分を害して、帰ってしまうかもしれないとも、思ってしまったから。
明日になったら、食欲は戻るのかな。
無理に食べた夕ご飯だけど、それを勿体ないと思うくらいには、温かかった。
とうとう夜がきた。
私はアイツと身を寄せ合って、互いの温もりが感じられる距離で座る。センパイも、イワキサンも近くにいる。
外ではザワザワと百鬼夜行の群れが集まりつつある。
怖い。昨日の悲鳴がフラッシュバックする。あの女は嫌いだったけど、死ねなんて、思ってなかった。
女の啜り泣きが、助けを求めるか細い声の幻聴が。
やめて、やめてよ、ごめんなさい、いやだ。こわい。
ふと、頭が撫でられたことで、現実に戻る。温かい手。
見ると、イワキサンがアイツと私の頭をゆっくりと撫でていた。子供扱いに腹が立ってもいいところだけど、無性に安心するから口を噤む。
そのまま、もっと撫でていて。
少し落ち着いたころ、外の悪鬼たちは怖い話題から、おかしな話題になっていた。その内容が、またイワキサンのことのようで、聞いていると荒唐無稽な与太話だ。
まあ、照れたようにイワキサンが笑うので、幾分かの真実は混ざっているようだ。
ノリのようなもので、自然に先輩の傍に行ける。センパイは少しは持ち直しているように見える。少なくとも、表面を取り繕うことが出来ているけれど。
このまま、センパイにしがみ付いて寝てしまえばいいと思いつき、今なら寝れると素早く横になる。
一緒に横になったアイツがイワキサンにポンポン寝かしつけられるのを見て、可笑しくなったが、私もセンパイにポンポンされて寝てしまったので、お相子だ。
けれど、そんなに眠らないうちに、イワキサンの声で目が覚める。
あの女の声で、センパイが我を忘れているのだ。女の声は本当にそっくりで、頭がおかしくなりそうだ。
でも、今は私よりセンパイだ。もう、女の声しか聞こえてない。センパイが窓を開ければ、私とアイツも狩られるかもしれない。
イワキサンの必死の説得も、センパイには届いてない。
どうしよう、どうしよう。
起きて、センパイを止めなきゃ。
そう思ったとき、アイツが手を伸ばし、私を抱え込んだ。
「泣くな」
小さな声で呟かれた声は、イワキサンの声にかき消されて、私にしか届いてない。
私、泣いてたんだ。言われて初めて気が付いた。
アイツの抱き込んでくる腕だって、震えてる。何で私の心配をしているのか。
嬉しくて、遣る瀬無くて、息を潜めて、嗚咽を堪える。今は泣いたらいけない。
これ以上、この場を混沌にしてはいけない。アイツだって震えているのだ。恐怖は伝染する。堪えろ。堪えて。口を固く結んだときだった。
センパイがイワキサンに一撃喰らい、リバースする音が聞こえた。
実力行使。
まあ、涙も引っ込むよね。アイツの震えも止まった。
センパイはイワキサンに担ぎ上げられ、バスルームに消えていく。
トイレを流す音と、バシャバシャと何かを洗う音がして、イワキサンがセンパイを担いで戻ってきた。
二人で起きて、少し酸っぱい匂いがするセンパイに、構うものかと両サイドから張り付く。朝まで、絶対に離すもんか。このまま寝てやる。
私たちの目論見を見抜いているイワキサンは綺麗に上に布団を掛けてくれて、笑顔で言い放った。
「お前ら、途中から狸寝入りだったろ?
いい加減、寝ろ。寝れないなら、寝かしてやるぞ?」
次は私たちの番らしい。荒唐無稽な与太話が瞬時に頭を巡る。
目の前には気絶させられたセンパイ。後ろには笑顔のイワキサン。
アイツと二人ですぐに目をつむった。窓からはあの女の声が聞こえてきて、やっぱり怖くて、眠れないけれど。
「あれはただの物真似ショーだ。気にするな」
「眠れ、俺も傍に居る、一人じゃない」
と優しい音色で紡がれて。小春チャンと優しい歌を優しい声で歌われて。布団の上から、ぽん、ぽん、とセンパイを叩く振動が私にも伝わって。
外では魑魅魍魎が嗤いながら待ち構えているけれど、それは壁の向こうの世界。
優しい室内には関係のないこと。
長い時間をかけて、私たちはやっと眠りについた。
その後、イワキサンによってセンパイにもたらされた情報は共有され、後日、差し入れとともに、ここ五年の迷い人の情報、狩り傾向など、有益な情報も貰えた。
その中には味噌汁のレシピとかも入っていて、最後の紙に赤文字で力強く
この郷に、歯医者は無い。
虫歯になれば、麻酔なしで自分で抜く羽目になる
と認められていた。
乾いた笑いは出たものの、何となく三人とも歯を磨きに解散した。




