39.縁
「お兄ちゃん、手繰り寄せられた縁は、それだけの意思がある。
良いも悪いも、例外なく。忘れないでね」
十二月十九日、火曜日。
今日も厚い雲に覆われて、雪が舞っている。
昨日は小鳥少年とゲームをして、森津木さんは小春に折り紙を教えたりしていた。
何だか少し、初日を彷彿とさせて、そこに小春が加わることで大切なものが増えているのを実感して嬉しくなる。
自分が大切に思う人達の優しさに触れ、それが自分に向けられていることが途方もなく幸せなのだということを知った。
不安は消えてはいないけれど、それでも、落ち込んでもどうしようもないのだから、抱えていくしかない。
きっと、不安が有ることは、悪い事じゃない。絶望したものに、不安は無い。不安は、今を大切にしたいという気持ちの裏側。
ああ、俺は、今が大切だったんだ。
今日は、コダマさんが来てくれたらバイトをする気でいる。
昨日、折角迎えに来てくれたのに、行かなかったし、二人にも気を遣わせてしまったし。日々の営みを、交流を大切にしないとな。
「お兄ちゃん、来たよ」
小春の弾んだ声が教えてくれる。火の始末をして、寮組への差し入れの紙袋も持つ。
これは、凹んだときに作ったものだから、郷の人には食べさせられない。寮組にも協力してもらって消費しよう。ついでに、大事な事を記したメモも入れた。
戸が叩かれる前に、外に出る。
「あ。オハヨー。岩木君。迎えに来たよ」
「はよ」
「おはようございます」
昨日の今日で、二人に顔を合わすのは、少しだけ気恥ずかしいけど、二人が笑顔だから、笑顔で返す。よし、今日も頑張ろう。
平日の午前中。外は雪だからか、管理舎のロビーは土曜日のように空いている。
受付は、染谷さんではない細目の男性。アルバイト初日に対応してくれて以来、数回、受付をしてくれている。
何度か話しかけようとして。その都度、躊躇してしまっていた人。呼び名を、聞けないでいる人。
「おはようございます、迷い人の岩木です。計算のバイトを希望しています」
「はい。受付いたします」
「…お兄さん、良ければ呼び名を教えてくれませんか。俺は岩木っていいます」
「私は小春だよ」
今まで、業務以外で話しかけたことが無い俺が話しかけたからか、処理の手を止めて、顔を上げる。
「驚いた。迷い人に呼び名を聞かれるなんて初めてだ。私は、カイビャク、と呼ばれるな。よろしく、岩木、小春」
「よろしくお願いします、カイビャクさん」
「よろしくね、カイビャクさん」
初めて、自分からこの郷の人に呼び名を聞いた。運が良かったのか、答えてもらえた。
「良かったね、お兄ちゃん」
「ああ」
次からは、呼び名を呼んで、挨拶をしよう。
受付をしてもらい、小春と二人、笑顔でお辞儀をすると、カイビャクさんは「また」と手を振ってくれた。
事務室に向かう。
事務室ではいつもの机に、山のような書類が迎えてくれる。
ある程度予想はついていたが、コダマさんが「よろしくねっ」と無邪気に笑ってくるので頬がひきつった。これは、一刻も早く取り掛からないと。
「お兄ちゃん、頑張って」
「おう、これは頑張らないとな」
電卓と物差しを出してくる。よし。
午前中に三十五枚の壁を、今日こそ超えて見せる。
正午。
午前中に処理出来た書類は三十七枚。新記録である。
小春と二人で大喜びをしていると、コダマさんが来て「岩木君の処理能力が上がった!」と一緒に喜んでくれた。周りの生暖かい視線は気にしない。
少し日が出ているので、昼飯の前に寮に行く。
土曜に預かった合鍵で玄関を開けて中に入ると、僅かに日が差して、埃がキラキラ舞っている。
最後の掃除はいつだろう。少年の部屋の前に行くと、隣の調理室から音が聞こえたので、そちらにノックをして声をかけてから入る。
「ども。差し入れ持ってきました」
中には寮組が三人、仲良くだべっていた。良かった。三人とも、居る。
「岩っち」
「イワキサン、いらっしゃい」
「岩木君、この間はボディに有難う、綺麗な青あざだよ」
「それは良かった」
軽口を叩ける程度に、先輩は持ち直したようだ。良かった。
少年がバスケットとタオルの入った紙袋を出してくる。
「これ、サンキュー。金髪の兄ちゃんが怒鳴り込んできたときは襲撃かと思ってビビった」
「え、怒鳴り込んだの」
「そうでもないでしょ。日が出ているときに来て、『おらあ、飯だ!岩木からだ、置いとくぜ』と言って玄関に置いてくれただけよ」
ツバメ、手間をかけさせたみたいだ。
そうだよな、日が出てないと、迷い人に接触できないよな。
「これ、差し入れ」
紙袋を押しつけて、以前の紙袋を回収する。ついでに、寮の合鍵も返しておく。
「なあ、寮組は食料の備蓄は有るの?当分不安定な天気だって皆言ってる」
「「「ない」」」
「こ、米は有るんだよな?塩とかもあるよな?」
「それならあるな」
先輩が確認に立つ。姫ちゃんが興味深げに覗いて「あ、こんな所に。結構あるじゃん」と言うと、少年も気になったのか、見に行った。
よし、米と塩が有るなら大丈夫か。
「年末年始は食堂も一週間は開かないと思うから、ちゃんと備蓄しないと、飢え死にするぞ」
「「「え」」」
「じゃあ、俺も、日が出ているうちに、事務室に戻らないと危ないから。またな」
引き留められると厄介なのでさっさと寮を後にする。
後ろで「言い逃げかよ!」とか聞こえたが気にしない。その通りだ。休憩室で弁当を急いで食べて、昼からノルマ二十五枚。今日は六千円、稼いで帰ろうな、小春。
やる気に満ち溢れた俺だったが、現実は甘くなかった。
外は曇天。日は隠れて出てくる気配もない。帰りは送って貰わなければならない。つまり。
午後三時。
「送るから、時間は気にしなくても良いよね!」と宣ったコダマさんに、押し切られるまま、お八つだよ!とお握りを貰い、電卓を叩く、叩く。
午後五時に受付のカイビャクさんが「私上がりますので、報酬は明日で」と顔を出し、「五時だね!」と立ち上がったコダマさんに「夕飯だね!」と木の実を貰った。秘蔵の樫の実だそうだ。
午後六時、どうやらツバメが買い出しに行ったみたいで、総菜パンを二つ貰う。
小春が頻りに「お兄ちゃん、足りる?私の分食べる?」ときくので辞退して、再び電卓を叩く。事務員にチラホラ、ネクタイを鉢巻きにする人が出てきた。
気合が入るそうだ。
結局解放されたのは午後十時。
気が付くと処理枚数が百枚を超えていたのでセンジュさんが止めてくれて、「え、帰っちゃう?なんで?」と不思議がるコダマさんを振り切り、ツバメとキョウコクさんが連れ出して送ってくれた。
事務員、凄い。毎年こんな働いてるの?
人間じゃないから、体も丈夫らしく、睡眠もそこまで必要としないらしい。通しで一週間働いている人も少なくない。彼らの場合問題なのは体力では無く、気力である。
「ふっとな、何でこんなにそろばん弾いているんだろう、とか思っちゃったらもう駄目だな。
それが五日以上の通しでしていたときなんか、馬鹿らしくなって帰って寝ちまう」などという談笑を聞いたとき、うわあ、とドンびいた。そりゃ、勤務時間に酒くらい飲むわ。
人間の会社でも『深夜組』『午前様』とか聞いた事があるし。怖い怖い。
たった半日だといのに俺は這う這うの体で風呂に入り、就寝する。
明日は、晩飯も用意して、間食多めに用意しないと、体力がもたないな、これ。




