37.不安
うだうだ回。
二人の就寝を確認して、夜は寝ずに起きておくつもりだったが、小春が何かあるなら起こしてくれるというので、有り難く眠りについた。
朝。いつもの六時起床。
日が昇るのは少し先なので、小春に雁木玉に入ってもらい、寝てもらう。
顔を洗い、歯を磨く。その水音で、少年が起きてきた。
「お、少年おはよう」
「はよっす」
「少年も顔を洗って来い。まだ日は登ってないから、窓は開けるなよ」
ふらふらと洗顔に向かう少年を見送り、先輩を見る。ぐっすりと寝ているので上々だろう。
姫ちゃんが起きる前に着替えてしまおう。
まあ、姫ちゃん、朝弱そうだし、寝不足だろうし、起きないだろ、と思っていたのだが。
「オハヨ、イワキサン?お腹が抉れてるけど、もう少し食べた方が良いんじゃない?ガリは女の敵よ。覚えときなさいよ」
しっかり着替えを鑑賞されたようで、評価は散々である。姫ちゃんも調子が戻ってきたようで、何よりだよ、はは。
「岩っちのとこ、泊まった時、結構食ってたよ。俺の倍以上。俺も、参ってたいから、食欲無いのもあったけど」
「なんですって」
「俺、元々、大食いで甘党なの。三食じゃ足りない。
甘いもんも合間合間に食わないと、すぐに体重が落ちるよ。燃費悪いんだよ。
今結構必死で持ち運びしやすい甘いもんとか、作ってるんだけど、レパートリー無いから飽きるし、でも新しいレシピを試す時間も足りないしなあ」
「腹が立つような、不便すぎて、そうでもないような」
「岩っちどこにそんなエネルギー使ってんの」
「さあ」
日が昇り、俺は寮をお暇した。
先輩はまだ起きなかったが、今晩寝れなくても困るので、八時には起こしたら?と二人に言っておき、また、今日、アパートに先輩を泊めても良いことを伝える。泊まるなら、午後三時までにアパートの六号室に来てほしいと、伝言も頼んだ。
アパートに帰り、洗濯機を回して森津木さんの部屋で朝食をご馳走になったあと、無人販売所に森津木さんと向かう。小鳥少年の起床はいつも八時過ぎらしい。
午前八時。
アパートに戻り、洗濯物を干し、小鳥少年の起床を待たずに掃除開始。森津木さんは一号室の掃除で、俺は二号室の荷物出し。
「これは、骨が折れるな」
取りあえず、二号室にぎっしりと、荷物が詰まっている。
アパートの空き部屋が満杯になったとしても、まだ余りある家財。いつもなら小春と軽口を叩きながら作業ができるので、そこまででは無いが、小春はお休み中だ。
早く、小鳥少年来ないかな。
手前の物から、シートの奥に置いていく。
なるべく、元に戻すときに、分かりやすいように移動していかないと。運んでみてわかったが、全部運びやすいように括ってある。
しかも、どこに何が有るか分かりやすいように整理整頓されている。何か一つ、違うところに紛れ込んでいたりする物が一つも無い。ストーブならストーブで集めて置かれてある。
ストーブが六台あるのに対して、扇風機は二台しかない。
迷い人が来るのは冬だから、ほとんどの場合、…夏までには決着がつくのだろう。
杵と臼も出てくる。あ、二十九日の餅つきか。もしかして、今日干すのだろうか、洗うよな?
森津木さん声を掛けると、掃除を一旦中止して出てきた。
一通り点検して、臼は横にしたままの状態で、杵はそのまま、アパートの陰の木材の上にに置いておく。
今日洗ったりせず、カビ等の確認だけしたかったそうだ。
杵と臼の確認が出来るって、爺さんみたいだな。俺は初めて臼の転がし方を教えてもらった。
一人で運べるものは大体運び終わり、森津木さんも三号室の掃除に移ったころ、やっと小鳥少年が起きて来た。
小鳥少年が加わると、作業スピードが一気に上がる。先ずはカーペット類を欄干に干す。これは小鳥少年に言われるまで気が付かなかった。枚数が有るから、順番に干していかなければならない。
残りの家財も一気に運び出し、二号室の掃除に三人で取り掛かる。
三十分もしないうち掃除は終わり、風を通すためにそのまま放置。三人で三号室の中断した掃除に取り掛かった。
こちらは、二号室ほど汚れてないので、更に手早く終わる。多分、森津木さんがこまめに換気なり掃除なりしているのだろう。
次は三人で一斉に家財の運び入れである。
これも一気に終わった。森津木さんも小鳥少年も迷わないのだ。あれはここ。これはそこ。
あとは二階の欄干に先ほど干した最終組のカーペットを三十分後に仕舞うだけ。
午前十一時。
忘れないうちに小鳥少年に一昨日のクッキーを渡し、どぶろくを人にあげたら喜んでいたと伝える。あの日の匂いは小鳥少年の部屋にも届いたらしい。
「すごい、甘いものが食べたくなって困ったんだぜ」
「悪い悪い」
小鳥少年と久しぶりにじゃれ合っていると、森津木さんが声を掛けて来た。
「小鳥、岩木、もしかしたら、天気が崩れるかもしれない。僕はすぐに買い物に行くけれど、一緒に行く?」
「え、行きます。食料品店と雑貨屋に行きたいんです」
「そう。小鳥は?」
「俺は食料品店だけ。でもシロにも会いたいし、付き合うよ」
空を見上げると、別に降りそうでも何でもない。
でも小鳥も「あ、本当。午後からくるかも」と同意を示した。
買い物を終え、アパートに帰ってくると、空がどんよりと暗くなり始める。
「あ、やっぱり、あと一時間もすれば、くるね」
「うん。岩兄ちゃん、多分、明日も降ったり止んだりになると思う」
「もしかしたら、雪とかあるかも。数日降り続けるようだったら、食料の備蓄は二人ともある?」
「もちろん」
「あ、」
頭に寮組がよぎった。少年たちは食料は有るのだろうか。
日中の定義については、少なくとも先輩は把握しているから、大丈夫。日曜の食料は飴とか、と言ってた。クッキーとみかんは有る筈。何か持って行くべきだったか。
それより、先輩だ。もし、アパートに来るつもりなら、日が隠れたら来れなくなってしまう。
「岩木、今日は、良いと思う。どうしても気になるなら、明日にすればいい。
今日はもう午後から晴れない。あとどれくらいで降り出すかもわからないのに、無暗に外出するのは避けるべきだ」
森津木さんが、助言をくれる。でも。
「岩木。いいか、雨や雪でさえなかったら、皆で身を寄せ、酒を煽り、一晩外で過ごせるだろう。でも雨や雪なら話は違う。ましてや、声真似が出来る者はある程度の知能がある者。
そういった者は、濡れて汚れたりするのを当然嫌うし、雪の時なら、億劫だな、と思いもする。今日は、大丈夫だ」
「そうだぜ、岩兄ちゃん。とりあえずカーペット入れないと、びしょ濡れになっちゃう」
そうなのか。そうだな。先輩は一人じゃない。少年と姫ちゃんもいる。大丈夫だ。
明日、もしコダマさんが迎えに来てくれたら、寮に寄って貰えば良い。
午後からは大粒の雨が降り出した。
夕方には雹になり、大きな音が上から絶え間なく聞こえてくる。
森津木さんと、小鳥少年の言う通りになった。寮組は大丈夫だろうか。寒いうえに、空腹ではないだろうか。
午後から作り始めた食料は、冷凍庫を埋め、冷蔵庫もほとんど埋まっている。元々、食材で一杯だったのもあるが、それでも多くのタッパーが並んだ。
晩飯は、余った食材を突っ込んだ鍋である。
「小春。俺は、失敗をしてしまったかもしれない」
小春が肩に乗って、頬に手を当て、おでこをくっつけてくる。
「お兄ちゃん、今日は午後からずっと不安だったよね。
お兄ちゃんから流れてくる感情が揺れているのが分かるの」
ああ。ああ、そうだ。
関わってしまった。だから今、こんなに不安なんだ。
寮組は、今晩を乗り切れるだろうか。先輩は危ないままだ。昨日は強制的に落としただけで、なんの心境の変化も無いまま夜を迎える。
もう俺は寮組を他人とは思えない。
これは、弱み。
今日の掃除だって、二号室の家財は全て、今まで誰かが使ったことのある物。今はもう、持ち主がいないもの。
気付いてしまったんだ、小春。
綺麗に整頓された家財は、どこにも血痕などは無い。付いたものは処分しているのだろう。
それでも尚、あの量がある。
慣れた手つきの小鳥少年。
家財のどこを持つか、どこに結び目が有るか知っていた。一回も探さなかった。
迷いのない森津木さんの指示と行動。 全ての家財を把握していた。 杵と臼だって、慣れたもので適当に出来ていた。
郷の空を正確に読む二人。俺は、現世に居たとき、空を読む芸当なんてできたか?
あれらは全て経験則からくる判断。
二人は一体いつからここにいる?何人、見送った?
だからこその達観だとしたら。
「後悔しているの、お兄ちゃん」
小春の優しい声が、小さな手が慰めてくる。後悔?しているのだろうか。
「それでも、だからお兄ちゃんなんだよ。
あったかいを、捨てないで、お兄ちゃん」
夜半に雹は雪になり、止むことなく降り続いた。




