30.姫
あのあと、マリモのコダマさんが合体を始め、サッカーボールぐらいになると、藁人形のコダマさんもくっついて、黄緑の人型になった。
ツバメとキョウコクさんが慌てて、「やばい、他のコダマも持ってこい!」と回収に行き、なんとか百二十センチくらいまでになり、今は休憩室で昼寝中である。
当のコダマさんは合体中も、黙々と弁当を食べ続け、センジュさん用に一つ確保したクッキー袋以外は残りを全て食べてしまった。凄い食欲だな。
午後三時。
処理出来た用紙を数えると二十五枚。結果は上々。
近くにいた人に、終了を伝えると、ツバメが来て、完了届をくれる。
昼一で、計算のバイトに少年と姫が参加した。何か絡まれるかと思ったが杞憂だったようで、何もなくバイトを終える。
受付で報酬を貰って、管理舎を後にしようとしたら、少年に声を掛けられた。
「おい、待て。あの、先週の火曜日、噛んで悪かった。
あの後、金髪からルールを聞いて、お前が頼んだことも聞いた」
少年は手に完了届を持ったままだ。追いかけてきたのか。
「別に。君を助けたかったわけじゃない。俺の寝覚めが悪くなるのが嫌だっただけ」
少年はぐっと言葉に詰まる。「でも、他の迷い人は教えてくれなかった」などというので、「初日に説明が有ったのに、聞いてないのは君自身のせいだろ」と返すと、こちらを睨みつけてくる。
もう行ってもいいかな。噛んだことへの謝罪なら受け取ったし。関わりたくない。
踵を返そうとしたとき、少女の声が割って入った。
「あはは、礼を言いたい相手を睨みつけるなんて、アンタ阿保よね。
始めまして?『アパートの』さん。
土曜にキチガイに特攻されたんだってね。ほら、アンタもさっさと報酬貰ってきなさいよ」
姫。
姫は少年に受付を示し、少年はこちらを気にしながら受付報酬を貰いに小走りで向かう。
「はじめまして、俺は岩木って呼ばれているよ」
一応挨拶を返す。
「ご丁寧にドーモォ。私は姫。好きに呼んで。
私たち寮組は日曜に初めて顔を合わせて話をしたの。
おっかしかったわ。皆で協力しようとか、寮の安全対策とか話し合うのかと思って?一応参加してあげたのだけど。
ほとんど『アパートのは』って、あなたの話題なの。馬鹿じゃないの。
『アパートの』は昼間に襲われたらしい、とか。
『アパートの』は管理舎の化け物と仲が良い、とか。
『アパートの』は守護の女の子が付いている、とか。
ほとんどあのキチガイ女の、嫉妬心マックスの愚痴ね、愚痴。
私は、自分が可愛いの知ってるし、集れる奴には集るし、利用できる奴は利用するわ。
でもね、自分より小さい奴を苛めたりする高尚な趣味は今のところ持ってないの。トートの中に居るんでしょう?銀さんのお気に入り。出てきなさいよ」
小春がそろっと、俺を伺いながら出てくる。
「私、アンタのことが気に喰わないけど、銀さんが悲しむから教えてあげる。キチガイはアンタが欲しいのよ。
本人は『借りるだけ』とか言ってるけど、要は誘拐して、寮の皆で一日交替で回して、その間に『アパートの』を説得するんだって。
アンタの事、人質にとって、『アパートの』に要求を飲まそうと考えてるの。せいぜい気を付ければ?」
「おい、お前」
少年が走って戻って来る。俺に目を合わせ、少しして逸らしながらボソボソと言い始めた。
「あー、先週は、有難う。礼を言う。小さい奴も、悪かったな」
意外。少年が改めて俺に礼を、小春に謝罪をした。
「もういいよ。じゃあ、俺らはこれで。早く帰らないと、日が暮れて危ないから」
「待ちなさいよ。まだ話が少しあるわ。
私、あんたたちはどうでもいいけど、正直あのキチガイ女は気に入らないわけ。だから、邪魔するために『アパートの』に話しかけたの。
あの女、アパートに引っ越してみるのも有りかもしれないって男に言ってるわ。男はあの女を止めようとしているけれど、見限られるのも時間の問題だと思ってるの。
それくらいもう正気じゃない。追い詰められてるように見える。
『アパートの』、気を付けておけば?
あの女はおそらく、『アパートの』にとっては敵よ」
姫は言うことを言ってスッキリしたのか、「じゃあね」と言って寮に帰っていく。
少年が、早口に言葉を繋ぐ。
「俺も、アイツも、キチ女の事嫌いなんだ。
キチ女、もう正気じゃねぇ。アンタに、その小さいのに凄い執着してるから。気をつけろよ、じゃあな」
足早に姫の後を追って寮に戻る少年を見送る。
これは、姫も少年も忠告をしてくれたのだろうか。思いもよらない人物からの忠告に、つい空を確認する。大丈夫みたいだ。
「俺たちも、帰ろうか、小春」
「あい」
外に出ると、日は鈍い。木枯らしの方が存在を主張しているようで、マフラーを小春にもかける。
住宅街の横道はいつも通りざわついている。
「なんとふてぶてしい。あの迷い人、既に我らに慣れてきおる」
「この郷に来て漸く十日も過ぎた。狩りの連中は腰を上げ始めるぞ」
「じゃが、あの生まれたて、悲しむのではないか」
「む、それは、仕方あるまいて」
金曜辺りからやっと気づいた。
このざわめきの半数以上の声の主は俺を狩る気が無い。狩りを眺めるだけなのだ。
「あやつはアパートじゃから、狩りはしにくかろう」
「あの迷い人自身も、歪みが付きにくいと見える」
「アパートはモリツキの加護が及び、コトリの気にて道が見えにくい」
「しかしそれも、隣室まで。あの迷い人の部屋にコトリの道塞ぎは及ぶまい」
「生まれたて、今日のおべべは白じゃの。似合っておるの、愛いことよ」
「しかり、丸く健やかに育て。我ら爺会、見守ろうぞ」
重要な情報が幾つか聞こえた気がしたが、最後の爺会の衝撃の方が強かった。
何だ、爺会。小春の見守り隊か何かか。
銀さん、入ってないよな?
小春は恥ずかしそうにうつむいて、小さく影に手を振っている。
暗闇は何も見えないものの、ブンブンとシロさんの尾並みに振られる手の幻が見えた、ような気がした。




