28.郷の日々
十二月八日、金曜日。
この郷に来てから一週間目の朝。
お神酒を撒いて、朝食を食べ、御山側の無人販売所で野菜を買い込む。アパートに戻り、弁当を作り、管理舎に向かう。非日常が日常になりつつある。もう、肩に乗っている小春に違和感なんて感じない。
今日のアルバイトは資料室での翻訳バイト。何も不思議ではない、日常。
受付で報酬を貰ったあと、染谷さんから声が掛かった。
「岩木さん、今から一時間だけでも、事務室の依頼を受けませんか。
特例で一万以上の支払いが認められますので、どうでしょう」
今は午後一時半。
午後三時までなら働いても問題ない、計算機もトートバックに入れっぱなしにしている、けど。
「事務が回ってないんですか?」
「そのようで」
「分かりました。先に売店に少し寄らせてもらいますが。内容は事務室で聞けばいいですか?」
「お願いします」
売店でストーブに必要な火石を買わないと。
「失礼します。受付で計算のバイトを受けてきました岩木です」
挨拶とともに入室する。
「岩木君!」
コダマさんが素早く立ち上がって、早足でやって来る。
「待ってたよぅ、会いたかったよぅ。
他の迷い人が皆、昨日、今日来てくれなくて。
計算!計算機持ってる?持ってなくても計算のバイトをして行って!」
「電卓有りますんで、喜んで。小春も、傍に居るだけなので、一緒に良いですか」
「もちろん」
「でも、他の迷い人、どうしたんでしょうかね」
「さあ?そろそろ心労で体調崩すときだろうし、言葉を交わした郷の者も増えるだろうから、怖くて出れないとか?そんなことより、書類、計算!よろしくね」
最初と同じ机に案内されて、書類を受け取る。
少しの時間しかしないのに、束を渡してくるので、切羽詰まってるんだろう。
「小春、三時になったら声かけてくれないか?」
「あい」
「お兄ちゃん、三時前だよ」
小春に声を掛けられて顔を上げる。
ちょうど、一枚終わった切りの良いところで声を掛けてくれる小春にお礼を言う。処理枚数は二十一枚。一時間半での処理速度としては上等な部類だ。
コダマさんに声を掛けると、あとちょっと、あと三十分お願いと言われ、引き受ける。すぐに三時半になり、処理できた枚数は六枚。
「ありがとう、岩木君、助かったよ。
もし、明日も他の迷い人が来なかったら、受付に頼んどくから、気が向いたらまた来てね」
帰り際、センジュさんとツバメが手を振ってくれたので、振り返して事務室を後にする。
報酬を受け取り、いつもより遅い時刻なので慌てて管理舎を出た。曇天が重く垂れ、今にも一雨来そうだ。
冷え込んでいるので、雪になるかもしれない。日中の定義がもし、「太陽の出ている間」なら大事だ。幸い太陽はまだ雲の向こうに見えている今の内に。
途中、寮から視線を感じた気がしたが、小春が「早く、お兄ちゃん急いで帰ろう」と珍しく急かすので、走って通り過ぎる。
アパートに帰り、しばらくすると大粒の雨が降り出した。
夜半過ぎには雪になり、厳しい冷え込みの夜となる。
翌日。
一面に雪が積もっているが、既に朝の光で溶けつつあった。
空はかろうじて、太陽が覗いているものの、すぐ隣に灰色の雲が待ち受けている。
「小春、ルールの日中の定義をしらないか?」
「好きなように解釈がされているよ。お天道様の有無や、鐘の音、明るさ。
だから、雨の日や曇りの日は外に出ない方が良いかも」
「そっか。じゃあ、今日はアパートでゆっくりするか」
「あい」
既に作ってしまった弁当のおかずは、昼にそのまま食べればいい。
それよりも。日が出ないと危険という事ならば、食料の備蓄量を増やさないと。年末年始のこともあるし、雨が続く日も有るだろう。スイートポテトを作りながら、小春と相談をする。
午前九時前。さて、空の様子はどうだろうと、窓に視線をやると、コダマさんとツバメが歩いてくるのが見えた。
あれ、本物か?
「お兄ちゃん、あれは本物だよ。だってお兄ちゃんとの縁が繋がっているもの」
「そっか」
小 鳥少年は、自室でパソコン処理をしていると言っていたし、書類でも取りに来たのだろうか。少しして、六号室の扉が叩かれた。え、俺?
「おう、岩木、ツバメだけど、迎えに来た」
迎えに来た?
ド アを開けると、ニコニコ顔のコダマさんと呆れ顔のツバメがいる。
「お前、簡単に戸を開けるなよ。警戒心の欠片もねぇなぁ」
「おはようございます、コダマさん。どうしたんですか?上がります?」
「おはよう、岩木君。
今日は曇りだから、管理舎に来れないと思って迎えに来たんだ。
散歩がてら、持って来たら?と提案されてね。取りに来た」
コダマさんが意味不明な事を言っている。ちら、とツバメに視線を投げる。
「いや、お前、俺の事、無視しといて、都合よくないか?」
「おはよう、ツバメ」
「…はよ。くそっ。コダマは三徹目だから、出来上がってんの。
今日の朝、太陽がいつもより黄色くないね、って話をしてて。
曇りだよ、って誰かが答えた。
そ れを聞いたコダマが、大変だ、曇りなら迷い人が来ないじゃないか、迎えに行かないと、って喚き始めて。
頭が可笑しくなっているから、散歩がてら外の空気を吸って来い、ついでに岩木君でも誘いに行けば?と、アサギさんに言われたんだ。
じゃあ、ちょっと岩木君取ってきますね!とコダマが飛び出して、俺が慌てて後を追って同行したわけだ。
岩木、お前の今日の予定は計算バイトの強制労働だ。支度をして出てきやがれ」
「帰りも送ってくれるよな?」
「日が出て無かったらな」
よし、バイトをすることに否やは無い。むしろ有り難いぐらいだ。
急いで用意をして戸締りをした。
管理舎について、受付に行き、事務室に入る。
机の上には昨日のままの書類が鎮座していて、仕舞う時間も惜しかったことが伺える。
チラホラと顔色の悪い事務員さんが目につく。毎年、年末はこうなのだろうか。こりゃあ、気合入れてしないとな。
小春に、十時半に休憩を取るから、声を掛けてとお願いし、電卓を叩き始める。
十時半、正午と休憩を取り、今は午後二時。弱弱しくも日が出たので、今の内に帰宅しようという算段で、バイトを切り上げると、コダマさんが「岩木君、帰っちゃうの?泊まっていかないの?」と聞いてきた。
そのセリフ、コダマさんが可愛い女の子だったら、頷いたかもしれない。
管理舎の中は、いつもより薄暗く、活気もない。
土曜と言うことも有り、食堂も売店も開いてないせいもあるだろう。受付で報酬を受け取ると、ロビーにいた男が声を掛けてきた。
「君、迷い人だろう。俺たちも迷い人なんだ。少し話をしたい。付き合ってよ」
男の横には女の人が居る。二人組の迷い人か。
「はじめまして。岩木と呼ばれてます。
俺も話してみたいと思っているのですが、今日は曇り。太陽の出ているうちにアパートに帰りたいのでまた今度」
「今度っていつだ」
「平日はバイトをしていますし、かといって日曜に不用意な外出をする気もありません。
あなたたちもでしょう?いつか、機会が有れば」
「昼休憩は?」
「場所が管理舎であるならば」
「寮のロビーじゃダメなのか?」
「俺はあなたたちをそこまで信用していない」
「年上の顔を立てようとは思わないんだ?」
「自分の身の安全が第一なので」
「まあ、そうだな」
「じゃあ」
話は分かる人のようだ。良かった。
「待って!あなただけ、ずるいんじゃない?」
女の人が静止を掛けた。
「日が隠れてしまうので、これで」
あれは無理やり話そうとしてきている。
付き合ってしまえば、太陽が隠れてしまうかもしれない。振り返らずに、歩きだす。
「今朝、事務の人に迎えに来てもらっていたでしょう。仲が良いのね。羨ましいわ。その、肩の女の子は何?この郷の人達が言っていたわ。
あなたが、新しい守護を手に入れたって。その子のことでしょう?」
「おい、やめろ。
俺たちも、早く寮に戻らないと」
男の人が言い聞かせるも、女の人の声は止まない。
「一人でアパートに入って、よく無事だったわね。
日中に襲われたって噂を聞いたけど、本当?どうやって切り抜けたの?お金は足りているの?」
返事もせず、歩を進める。
「お兄ちゃん!」
後ろから、がしっと腕を掴まれた。
女の人が目を見開いて、物凄い形相で腕を掴んでいたのだ。
「何やってんだ、お前この二、三日変だぞ。離せ。
こいつだって、早く帰らないと、危険なんだ」
男の人が、女の人を宥めようと諭す。
「だって、ずるいじゃない!この子ばっかり自由に動いているように見える。
管理舎で普通に笑っていたんだから。どうして。私だって、安心して眠りたい。声を上げて笑って、誰かと他愛のない会話をして、怯えることのない日を送りたい。
その肩の子が、守護だから?ねえ、ならその子、貸してよ。私だけじゃない。他の迷い人だって皆不安なのよ。皆で助け合うべきじゃないの」
小春が俺にしがみついてきた。怯えている?小春が?
よくも。
「断ります」
バチッと音がして、女の手が離れる。
静電気だろうか。構うことは無いと、今度こそ帰路を早足で辿る。後ろから、女の泣き声と、窘める男の人の声が聞こえた。
他の迷い人に、自分がどう思われているかなんて、考えもしなかった。
自分は恵まれていると自覚していたけれど、それを他の迷い人がどう感じていたのか。
自分が不安で眠れないのに、一人で元気にバイトに精を出す迷い人。
ルールを把握して、郷の人と喋らない自分と、郷の人と会話をする迷い人。
一人の時間が怖くて気が休まらないのに、守護の少女をつけ、一人じゃない迷い人。
これは、やっかまれるかもしれないな。
けれど、あの女も、男の人も、姫も。
少年にルールの説明をしていなかった。
少なくとも、女の言う「皆」に少年は入ってない。
少年と女に交流が全くなかったなら、同じ迷い人だから、と協力を願ってくるのはおかしい。女が少年を放置しているからだ。
意図的に放置していたなら、女は少年の生死について、重大なこととは考えてない。迷い人同士の連携なんて、取る気はサラサラないのだろう。
女の目的で、明確なのは『小春という守護』。
「小春、寮の人たちの所にいきたい?」
「行かない。私はお兄ちゃんの傍に居るの」
「俺も、小春を渡したくないし、一緒に居たい」
小春の意思は確認した。なら俺は譲らない。面倒ごとにならなければいいけど。
もしかしたら、寮組で一番適応能力が高いのは、姫なのかもしれない。




