15.一人の帰り道
アパートまでの帰り道。
午後の三時の住宅街からは突き刺すような視線が飛んでくる。
「やあ、迷い人が一人で歩きよる」
「あれが今年の迷い人の一人。若い男が一人」
「いつまで生き延びるやら、見ものよな」
「誰ぞ、博打の元締めを始めたとか」
「あやつはモリツキの気に入りじゃとか」
「狩るなら疾くせねば、仕損じようぞ」
小さなざわめきが広がっていく。
お神酒を握りしめて、歩調を早める。落ち着け。
三日以内に言葉を一度交わさない限り喰えないはずだ。
日中、視認出来る範囲で他者がいる場所でも喰えないはずだ。
幸か不幸か、突き刺す視線は複数。大丈夫。
テン、と足元に何かが当たった。
「お兄ちゃん、毬、投げて?」
鈴を転がすような幼い声。脇道から出てきた赤い着物の小さな女の子がこちらを見て、コテンと首を傾げた。
「ね、一緒に遊ぼう?」
冷たい汗が背中を伝う。
そうか、言葉を交わすために話しかけてくる場合もあるんだ。返事をしてはいけない。言葉を発してはいけない。
毬だけ少女に投げ返し、反応を待たずに早足で歩きだす。
「お兄ちゃん?遊んでくれないの?」
少女の、ひどくゆっくりした口調が悲しみに染まる。
「どうして、どうしてお兄ちゃん」
「遊ぼうよ、僕ら、仲間にしてあげる」
子供の声が一気に増えた。なんだ。どこから湧いた。仲間がいたのか。振り返ることはせずに、さらに「歩調を早める。良くない。多分、今の状況は良くない。
後ろから複数の子供の声が追い縋ってくる。声はついてくるのに追いかけてきているはずの足音が聞こえない。
「待って。置いていかないで」
「捨てないで」
何となく、子供たちの過去が想像できてしまい、己の迂闊さに嫌気がさす。
さっきまでのざわめきが、嘘のように引いている。
俺と一緒に移動しているのか、何人いるのか。行く先々の脇道の暗闇から、白く小さな細い手がポツリポツリと伸びてくる。
不自然に長い、小さな子供の、手。あ、腕だけしか、無い。
「っ」
一気に襲ってきた恐怖から、全力で逃げ出した。喋ってはいけない。悲鳴も上げない方が良い。分かっている。だが漏れ出る恐怖の欠片。
腕が、明らかに有り得ない程伸びていた。後ろには、あの赤い着物の女の子がいるだろう。後退はしてはいけないと、本能が警鐘を鳴らすまま、前方に逃げる。子供の手が俺に届く前に走り抜けようとしたけれど、子供は早いうえに数が多かった。
くんっ、と後ろに引っ張られた。あ。
一人の手が、俺の服をしっかり握りこんでしまっている。
しまった。
二人、三人、俺の服を握る手が増えて行く。
けれど、服を掴む手も、気を引きたいだけなのだろう、強くは握ってこない。
「お兄ちゃん、座敷牢は寂しいの」
「お兄ちゃん、野ざらしは悲しいの」
子供の声は悲哀を含んで、悪意を全く感じない。
ああ、害意があるなら、このお神酒を振りかけるのに。
やめてくれ、離してくれ。
握りこまれた服を構わずに、無理やり進む。子供の手は強く握ってないせいで、ポロポロと外れては、再び追い縋ってくる。
子供の腕がだんだんと黒ずんできた。くそ、何の悪夢だ。
「なんでいっちゃうの、お兄ちゃん」
「一緒に沈んでなんて言わないよ」
「一緒に枯れてなんて言わないよ」
「「「傍にいて。お兄ちゃん」」」
とうとう、伸びた腕部分が、胴に巻き付き、足に巻き付いてきた。
絡める声が幾重にも響いて子供の声しか聞こえない。肩や顔にも子供の手の感触が張り付き始める。
ふと、両頬に子供の手がかかる。
最初の少女が宙に浮きながら、泣きそうな顔で覗き込んできていた。
「お兄ちゃん、あったかい。あったかいね、お兄ちゃん。」
巻き付いている腕は完全に黒くなっている。
少女の目が、だんだんと深く黒ずみ、白目が無くなっていく。
目が、黒い闇がぽっかりと空いて女の子の顔が、塗りつぶされて。
駄目だ、このままではー。
「それまで。すでに約定違えておる。
そのまま取り込んでみろ、八つ裂きにしてくれよう」
後ろから男の声がした。
焦げ付く匂いが辺りに充満し、次の瞬間、強い光が縦横無尽に空間を駆けた。黒い子供の手が全て地に落ち、崩れていく。顔を覗き込んでいた女の子も、光に打たれ俺に手をのばしたまま落ちて輪郭を零しながら崩れていった。
子供たちの甲高い悲鳴が上がり、すぐにすすり泣きになり消えていく。
「気に入らぬ。
これだけの物見が居りながら、皆、何故止めぬ。その悪徳、漏らさず褒美を与えようぞ」
振り返ると男が刀を一閃し、方々に火花が飛び散った。
「いたや、くちおし、余計な真似を」
火花が散っている複数個所から呻き声が聞こえる。
「なんと、愚かな。この場を執り成してやったというに、理解もせん。
約定は郷の風によって見張られておる。 ほれ、逃げまどえ、阿呆ども。
風の系譜に連なる者どもが鎌を持ってやって来おるぞ」
方々から短い悲鳴が聞こえ、視線が消えていく。男がこちらに視線を向けた。
昏い瞳が射貫くようにギラついている。
「小童、何故、その手の物を使わなんだ」
お神酒。
子供のあげた悲しい声に、戸惑い、躊躇した。振りかける事が出来なかった。
「同情は奴らの餌よ。甘い汁を吸うために群がるは本能。
人とは、弱き者を蹴散らし、強き者を欺く生き物。
過去に縋り、今に妥協し、先に諦める救い無き生き物。
人であったものとは、強きを恨み、弱きを認めぬ成れの果て。
小童はどうであろうな?その情、虫唾が走るわ」
男に助けてもらった。分かってる。礼を言わないと。でも。
こいつは違う。
視線を逸らさずに無言で見据える。ふいに男が嘲笑った。
「本能は、捨てて無いようだな、小童。
この場で礼でも言おうものなら、三日以内に喰えたであろうに。
よかろう。
縄が切れた暁に、そなたが嗤っていたならば。
踏み抜き沈めてくれようか。影に落としてくれようか」
ニィっと口元を歪めて、楽し気に思案する。嫌な予感がして男から慌てて距離を取った。
「ほう、気付いたか。頓馬だとばかり思うておったのに、そうでもないらしい」
何をしようとしたのかは、分からない。
でも、良くないものだ。お神酒の瓶の蓋を外す。次に仕掛けてきたら…。
「久しいな。ダイの。ちょっくら聞きたい事がある。儂に付き合って、くれるよな?」
声が聞こえた。
俺と男の間に小さな竜巻が発生する。風が紐解くように消えていき、舎長が姿を現した。
「風の。今は忙しいゆえ、後にせい。ちぃと印を付けるとこよ。小鹿が生意気にも飛び跳ねおるでな」
「まあ、そこは郷の顔を立ててくれ。此度の郷の不始末、そこな迷い人にも詫びの一つも示したい」
「何故我が割を食わねばならぬ。と、言いたいところじゃが、致し方なし、か。…我が付き合う見返りは何ぞあろうな」
「さて困った。少し話を聞くだけだというに」
「どうせ、手は打った後じゃろう、白々しい」
「ただの確認よ。おう、岩木、もう行っていいぞ、運が悪かったな」
一気に肩の力が抜ける。助かった。
「舎長、わざわざ来てくれて有難うございました。お言葉に甘えて、失礼します」
「なんだ、小童。風のと我と、態度があからさまに違うではないか」
「……」
「岩木、行ってくれ。話がこじれる」
舎長に軽く頭を下げて、アパートまでの道を走り出す。
お神酒の蓋は、もう閉めている。
アパートが見え始めた。今は誰か居るだろうか。
四号室のベランダで小鳥が洗濯物を入れていた。こちらに気付いて、すぐに引っ込んで、外に出てくる。
「岩兄ちゃん、待った!そのまま、アパートに入っちゃダメ!
うっわ、もう、なんでこんなに色々引っ付けてるのー!」
え。何引っ付けてるの俺。
「森兄ちゃーん、お祓い、要お祓いー!」




