第7話 ソロ冒険者のアイキャンフライ/下
カブトが山頂に到着すると、そこには立ち尽くすアーネットがいた。
「よう、アーネットちゃん、お久しぶり」
彼は軽く声をかけ、雨に濡れた服を火属性のダガーの熱気で乾かしにかかる。
しかし、しばし待ってもアーネットは反応を見せない。
「どうだい、山頂の景色は。なかなかのモンだろ?」
体と服を乾かし終えたカブトは、もう一度呼びかけてみた。
彼が目を向けた先にあるのは、中央に太陽が真っ白く輝く広大無辺の蒼い空。
視線を下げれば、ゆったりと流れる雲の海が空の果てまで満たしている。
だが、この雄大な景色を前にしてもアーネットが感想を述べることはなかった。
「……カブトさん」
やっと口を開いたアーネットの顔には、表情がなかった。
そこに登頂成功の達成感はなく、彼女はカブトへと短く尋ねる。
「ジズは、どこに?」
「ここにはいない」
カブトの答えは、質問よりさらに短かった。
二人が立つタルバール山頂には、剥き出しの地面と大きめの石しかなかった。
アーネットは重ねて山頂を見渡す。
しかし何度見ても、ジズの姿はどこにも見当たらない。
「……ジズは、実在しない?」
一点を凝視し、彼女は虚ろにつぶやく。
今見ている景色が『答え』なら、彼女の心は絶望に打ち砕かれるだろう。
その後の展開は考えるまでもない。
アーネットは自らの人生に、幕が引くだろう。だから、そうなる前に――、
「それじゃ、アーネットちゃん」
カブトに呼ばれ、アーネットは顔を上げる。
光を失った彼女の瞳に映り込むカブトが、ニカッと明るく笑った。
「お先に」
そう言って、彼は地面を蹴って空に身を投げ出した。
「ぇ……」
アーネットが一声漏らす間に、カブトは雲海に消えていく。
残された彼女はヨロヨロと山頂の端に歩き、流れる雲海を見下ろした。
彼は何故、雲海に身を投げたのか。
アーネットは無意識の内にその理由を模索し始める。
――あの人は『お先に』と言っていた。
――私が後に続くと確信している? でも、その確信の理由は何?
思考は巡る。グルグル巡る。それは竜巻のように、巡りながら勢いを増す。
そこに遠雷の音が響き、アーネットはハッとなって顔を上げた。
「まさか……!」
一つの結論に行き着いたアーネットは、雲海めがけて全力で跳躍する。
すると、感じたことのない優しい風が彼女をフワリと包み、雲の中に留まらせた。
『紹介するぜ』
聞こえてきたのは、カブトの声。
視界を遮る雲が渦を巻いて大きく開け、アーネットの前に蒼い空が一気に広がる。
そこに、腕を組んで笑うカブトと、輝く翼を羽ばたかせる大きな影。
『俺の依頼人の霊鳥ジズだ』
全身純白の大鷲が、甲高い鳴き声を霊峰の空に響き渡らせた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
何故、その可能性を思いつかなかったのか。
『ジズも風を操るんですね……』
『そういうこと』
うなずくカブトに、アーネットは嵐の中での出来事を思い返す。
あそこで自分が風が操りきれなかったのは、ジズの支配力の方が上だったからだ。
『この雲海全てが、ジズの巣だなんて』
ジズは気象すら操る。その力の規模は、アーネットの数万倍にも達しかねない。
古代の民が名づけた通り、ジズはまさしく『神の獣』なのだ。
《カブトよ》
純白の大鷲が、澄み渡り切った女性の声を紡ぐ。
《調査結果を報告しなさい》
『ヘイヘイ。特に襲われることもなかったから、安心していいぜ》
《釣り餌にかかる愚物は皆無ですか。実に結構》
二人の話を聞くに、カブトは自らを餌にして山を登っていたらしい。
ジズに直接依頼を受けて。ジズに、直接、依頼を、受けて……。……直接だァ?
《そこな娘より、湿った熱気を感じます》
「ぇ」
いきなりジズに睨まれ、アーネットは息を飲んだ。
つられて彼女を見るカブトは何かに気づいて、ポンと手を打つ。
『アーネットちゃんに妬まれちゃったか~』
《妬む、とは? わたくしがそこな娘と会うのは、まだ二度目ですよ?》
…………え?
『何だよ、ジズ。アーネットちゃんと会ったことがあるのかい?』
《十年と三か月と二日前、巣に帰るわたくしを必死に追いかけていた子でしょう?》
『ほぉ~!』
カブトは感心の声をあげ、アーネットとジズを交互に見る。
アーネットは目を丸く、口はあんぐり開けたまま、固まってしまっていた。
「嬉しさオーバーフローはわかるが、な!」
パン、と、カブトはアーネットの目の前で両手を打ち鳴らした。
「はッ」
「そら、行ってきな。命を懸けた夢の先に」
我に返ったアーネットに告げて、カブトはジズを指さした。
その指先が示すのは、二階建ての家ほどもある大きさの、純白の羽毛を持つ大鷲。
羽毛は精錬された金属にも似た光沢を放ち、その瞳は鋭くもどこか温かい。
飛翔に特化したフォルムに無駄な部分は一つもなく、洗練の極みに達している。
それはまさしく神の造形。
空を支配する『神の獣』の姿に他ならない。
『私は――』
言いかけて、だが言葉に詰まる。
アーネットは今まさに『私の神』と直面している。その事実を受け止めきれない。
それでも一つだけ、何か一つだけ、何か。何か。
ちっぽけな自分でも、ジズが耳を傾けてくれるなら、何か一言だけ……!
内に湧いた些細な欲。
だがそれは、彼女にとって一生に一度の、大それた野心でもあった。
『私はアーネットです』
《アーネット》
ジズに名前を呼んでもらえた。
その事実は生涯最大の衝撃となって、アーネットの全細胞を突き抜けていった。
《では、アーネット。あなたも空を扱うようですが、他者の吐息から感情も読み取れないようではまだ未熟。人の身であってもできる限りの精進を――》
名前だけでなく、さらに教えまで授けてくれた。
もう、無理。
「わぁ、ぁ……、ぅあああァァァァァ――――ッッ!」
《泣いちゃった!?》
両手で顔を覆って慟哭し始めたアーネットに、ジズは仰天してカブトを見る。
《わ、わたくし、厳しいこと言いすぎました……?》
あたふたする『神の獣』は見ものだが、カブトは苦笑するよりなく……。
『いや~、これは仕方がねぇよ……』
激重情念を抱えたガチ恋勢が、推しに認知された上、教えまで受けたのだ。
泣きじゃくるアーネットに、カブトは「さもありなん」とうなずいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
山頂に戻ってきた。
「爆ぜるゥ~! 爆ぜちゃうゥ~! 細胞が嬉しさで沸騰して爆ぜちゃう~!」
「霊峰の山頂でグロ爆死はやめれ」
地面をゴロゴロ転がるアーネットを、カブトが冷静に止める。
彼は、空間拡張型のマジックバッグでもある腰の小物入れに手を突っ込んだ。
「大鳥様から直接依頼を受けたカブトさんはいつか死に至らしめますが、それにしても大鳥様のお美しさはさすがでした……」
「うっとりしながら殺害予告はやめとけな?」
恍惚に浸るアーネットを片手間に相手しつつ、彼は鍋と革袋を取り出した。
「大鳥様にお会いして、私の想いは一層確かなものとなりました! ああ『神の獣』よ永遠なれェ~!」
「ガチ恋がガチ信仰になっとるやないか~い」
カブトは革袋の中の水を鍋に注ぎ、そこに何かを転がす。
さらに火属性のダガーを近くの岩に突き立てて、そこに水を張った鍋を置いた。
「……で、何してるんですか?」
「料理」
アーネットが、後ろから鍋をのぞき込んでくる。
水が沸きかけた鍋の中には、灰色っぽい色合いの卵が二つ入っていた。
「卵料理?」
「そ。ゆで卵だぜィ」
カブトは、グツグツ煮える鍋を魔法の風で包み、内部の圧力を一定に保った。
「あ~、気圧の調整。ここって高所ですもんね……」
「沸点低い状態で卵を茹でたら、熱が通り切る間に固くなっちまうからな~」
「だったら、こんな場所でゆで卵なんて作らなければいいのでは?」
「え、腹空いてない? 俺は空いてるけど?」
そう言われると、アーネットも自分の空腹を意識せざるを得ない。
「あの、そのゆで卵、私もいただいても……?」
「元々そのつもりだよ。俺を助けてくれたことへの報酬さ」
「ありがとうございます~! 殺るのは最後にしてあげますね!」
「感謝と殺意を同列に扱うのはやめような?」
ほどなく、ゆで卵はできあがった。
カブトは小物入れから二枚の皿と塩の入った小瓶を取り出し、食べる準備をする。
「ところでカブトさん、これは何の卵ですか?」
「ジズ」
「はぁぁぁ~~!?」
ほとばしる絶叫。かっぴらく瞳。そして、盛大に鳴るアーネットのおなか!
「この卵が今回の報酬でね。俺は『ジズのゆで卵』のために依頼を受けたのさ」
「な、何で大鳥様は大事な我が子を……!?」
舌なめずりするカブトに、アーネットは当然の疑問をぶつける。
「それがジズの生態だからさ」
「どういうことです……?」
「雲海の巣で孵ったジズのヒナは、互いに殺し合うんだよ」
「殺し合う……!?」
ジズのイメージからは遠くかけ離れたワードに、アーネットは面食らった。
「ヒナはこの殺し合いで風の扱いを学び、最後まで生き残った一羽が親であるジズを喰って、力と記憶を取り込んで次のジズになるんだ」
「ずっと存在を継承し続けてきたということですか……」
「そう、ジズには親も子もない。前も次も、全て自分なんだから」
「だから、卵を他人に譲っても構わない、と?」
「『神の獣』に人の理屈は通用しねぇってだけの話だよ」
ダガーを鞘に収め、カブトは鍋に指を突っ込んで湯の冷め具合を確かめる。
「よし、『ジズのゆで卵』完成~!」
「む、むむ……!」
できあがったゆで卵を見下ろし、アーネットが深く懊悩する。
顔中にできた底なしの渓谷のような深いしわが、彼女の悩み具合を物語っていた。
「で、どうする?」
「んんんんんんんん、食べますッ!」
長い葛藤の末、アーネットはゆで卵を食べることを選択した。
「大鳥様に御子がいないということは、大鳥様の一部である卵を取り込んだ愛弟子である私こそが、大鳥様の御子に最も近い存在ということ。つまりそのゆで卵を食べることで、私は唯一無二の『ジズの娘』になれるのです!」
「何言ってるかわっかんねぇ~」
アーネットが展開した独自理論を笑い飛ばし、カブトは卵の殻を剥く。
茹で具合は絶妙の一言で、殻は簡単に剥がれた。
「わ……」
露わになった白身に、アーネットは感嘆の声を漏らす。
つるんつるんのプルンプルン。卵肌という言葉の由来が、この質感にこそある。
「ここに塩を一振り、二振り、見てみ」
「おお、卵の表面でお塩がとけて、汗をかいてるみたいに……」
水滴が浮くゆで卵は、かすかに上る湯気も相まって食欲をそそってくる。
匂いは薄いが、そのビジュアルがすでに美味しさを保証している。
「「いただきま~す!」」
二人は声を揃えて、ホクホクの白身にかじりついた。
一瞬、口の中に熱さを感じる。しかし直後に、鮮烈な塩味が舌を襲った。
その余韻が残るうちに、今度は白身の甘味が追いついてくる。
噛んだ感触は見た目通りの弾力で、だが感じられる甘味は卵とは思えないほど。
少なくともアーネットはこんなに甘い白身は初めて食べる。
だが、それすらもまだ前奏。
破れた白身の奥から、半熟の黄身が口の中にトロリと溢れて流れてきた。
舌に乗った黄身が、アーネットに卵の持つ『命の味』を叩きつける。
ねっとりと舌に絡むそれはコクがあり、まろやかで、深みがあって濃厚で……。
これは、食べるマグマだ。
溢れかえる熱量を宿す、形を得た活力そのものだ。
疲れ果てたアーネットの体に、霊鳥の生命力が隅々まで染み渡っていく。
その実感は、どんな麻薬よりも強烈な、アーネットにとっての究極の甘露だった。
「はぁ、……ァ……、おい、ひぃ……」
かろうじて、それだけを言えた。
あとはもう言葉にならない。体は自然と震えだし、一筋の涙が頬を伝った。
「お疲れ、アーネットちゃん」
ゆで卵を存分に堪能しながら、カブトは彼女をねぎらった。
アーネット・オブライエンの十年は最高の形で報われた。




