第5話 ソロ冒険者のアイキャンフライ/上
オッサンが、崖から落ちて大惨事。
ここは霊峰、何でサンダル!?
霊峰タルバール山で、アーネットはすぐ横を落下したオッサンに度肝を抜かれた。
これまでの経緯が、彼女の脳裏に一気によみがってくる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風が吹き荒れる、切り立った灰褐色の崖だった。
ひたすら続く岩壁は風に削られ凹凸がなく、登ることは極めて難しい。
険しすぎるこの山に、登山の常識は一切通用しない。
それでも登頂を望むなら、体力や技術とは全く異なる別の力が必要となる。
――例えば、魔力。
「風が強くなってきましたね……」
暴風吹き荒れる中、少女はつぶやいて息をこぼす。
紺碧の長い髪を三つ編みにした、眼鏡をかけた藍色の瞳をした少女だった。
年は今年で十八になるが、背はやや低め。
だが豊かな乳房はゆったりとした装束の上からでも存在を主張している。
赤茶色のローブをまとい、右手の中指に魔法の指輪をはめている。
魔導士っぽい服装だが、背に、パンパンに膨らんだ大型の背嚢を背負っていた。
背嚢も特徴的だが、何より変わっていたのは少女が浮かんでいることだ。
暴風吹き荒れる中で、魔法の風で身を包む彼女は平然としている。
少女の名はアーネット・オブライエン。
周囲から『風使い』の異名で呼ばれる天才魔導士である。
風の扱いに長ける彼女は、場に吹く風を自らの力に転化できる。
しかしながら――、
「さすがは霊峰タルバール山、とんでもない高さですね……」
いくら登れど、あるのは凹凸のない壁面ばかり。
朝に登り始めてかれこれ半日。だが、山頂はまだまだ見えてこない。
タルバール山は、現存する世界最古の国アド・タルバルにある独立峰だ。
国名の由来となったこの山は霊峰とも呼ばれ、世界最高峰の候補にもなっていた。
アド・タルバルには、この山に関する伝承がいくつも残っている。
その中でも、特に有名な一説がある。
『御山の先には死の国がある。きらめく翼の大鳥様は、死の国の門番をなさってる』
これは、聖なるタルバール山には登ってはいけないという教訓を含んだ寓話だ。
そういった話が残るほど、タルバール山は危険な場所だった。
それもあってか、三百年ほど前に当時の王家がタルバール山を禁足地に定めた。
タルバール山は公式の記録上では未征服のまま、聖域となったのだ。
――が、それがどうしたッ!
「別に征服とかどうでもいいんですよ、私はッ!」
霊峰の暴風を力に変えて、アーネットはまた一つ雲を貫く。
彼女が情熱を燃やす要因は、山の登頂とは全く別のところにあった。
「私は、ジズに会いたいだけなんですよッッ!」
瞳を見開き、浮かべる表情はガンギマリ。額には青筋まで!
だがその叫びこそアーネットの掛値のない本音であり、胸の内抱く宿願なのだ。
アーネットは会いに来たのだ。
きらめく翼の大鳥様と呼ばれる、霊鳥ジズに。
かつて数千年前、この地には古代魔法文明が栄えていた。
その文明の神話に登場する三体の『神の獣』。そのうちの一体が、霊鳥ジズだ。
『空の獣』、『きらめく翼』、『空の支配者』、『風の征服者』。
数々の異名を持つ霊長ジズはアド・タルバルでも広く知られた存在でもある。
だが、ジズをその目に見た者はなく、昔から実在は疑われていた。
タルバール山には、魔法文明の時代から多くのワイバーンが生息している。
ジズは、このワイバーンをもとに着想されたものであるという仮説。
これが最も有力な説で、霊鳥ジズは架空の存在――いるもん! ジズはいるモン!
「ジズは、いますッ!」
断固たる確信を胸に秘め、アーネットは山を飛ぶ。
彼女がジズを見たのは、もう十年も前。生まれ故郷の農村でのことだ。
外で遊んで日が暮れて帰ろうとしたとき、突然、空が明るくなった。
不思議に思って見上げれば、キラキラ光る翼を羽ばたかせる大きな鳥がいた。
翼を輝かせて飛ぶ雄大なその姿は、まさしく伝承の通りで。
幼いアーネットは『きらめく翼の大鳥様』に、問答無用で一目ぼれしてしまった。
もう一度『大鳥様』を見てみたい。それがアーネットの宿願となった。
だが『大鳥様』の伝承を漁る彼女に、大人達は当初あまりいい顔をしなかった。
彼らにとって、霊鳥ジズはおとぎ話の中の存在でしかなかったのだ。
両親含め、大人達はアーネットの話を嘘と断じた。
幼い子供が語る、大人の関心を引くためのつまらない嘘。
ほんな扱いを受ければ、普通の子供なら泣くか癇癪を起すかしただろう。
だが、アーネットは違った。
当時の彼女は幼い子供に違いなかったが、しかし、普通ではなかった。
『絶ッ対、ジズを見つけてやります。絶ッッ対。絶ッッッッッッッッ対ですッッ!』
彼女は泣かなかった。
代わりに、ジズの発見に人生を捧げる覚悟を固めて、即行動に出た。
八歳で村の魔導士に魔法を学び始めた。
九歳で風魔法の並外れた適性を見出された。
十歳で最初の師を越えた。
十一歳で覚えるまで七年かかるとされていた飛行魔法を完全に習得した。
十二歳でスカウトを受けて王都の魔法学院へ入学した。
十三歳で未成年ながら特例として許可を受けて、冒険者になった。
十四歳で学院の年間首席の座を獲得して『風使い』と呼ばれるようになった。
十五歳、成人と共に上級冒険者へ昇格。タルバール山登頂の必要条件を満たした。
以降、十八になるまでコツコツと準備を重ねてきた。
そしてアーネットは、満を持さずにタルバール山に挑んだ。持さずに(強調)。
「あぁぁぁぁぁの、クソ教授ゥゥゥゥゥ~~~~!」
空を舞う彼女の口から放たれる、渾身の語彙レス罵倒。
アーネットは荒れていた。それこそ、周りに吹く暴風並の激しい荒れ方だった。
ワイアット・ルーマンという初老の魔導士がいる。
アーネットを魔法学院にスカウトした教授で、今の彼女の師匠にあたる男だ。
『そろそろ幻を追うのはやめないか、アーネット』
つい数日前、ワイアットに呼び出され、そう切り出された。
彼の研究室で准教授への推薦を提案されて、その話の中で言われたのだ。
アーネットはキレた。ブチギレた。
そして勢いのままに背嚢に荷物を詰め、タルバール山に直行した。
「結局、教授も私の話なんて眉唾だと思ってたんですね! 上等だオラァッ!」
必ずや、自分の手で霊鳥ジズを見つけてみせる。
そして歴史に残る功績を挙げた自分の前で、教授に土下頭させてやりますとも!
ちなみに『土下頭』とは東国の謝罪法である土下座のアレンジバージョンである。
土下座は額を地面にこすりつけるが、土下頭は頭を地面に埋める。
「フ、フフフ……。待っててください教授。あなたの息の根を物理的に止めて――」
と、アーネットが瞳ガンギマリで悦に入りかけたそのすぐ横を、
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
黒い兜をかぶったオッサンが、声に長い尾を引かせながら落下していった。
「…………え?」
瞳ガンギマリのまま、アーネットはその場に固まった。
――これが、アーネットがオッサンと遭遇した経緯の全てである。




