第3話 ソロ冒険者の一本釣り/下
袋の中には、指でつまめる大きさの黒い塊が四つ入っていた。
「これが何かわかるかい? え~っと……」
言い淀むカブトに、リリアは名乗っていなかったことを思い出す。
「リリアよ。ルクドートの街のギルドに所属してるわ」
「ルクドートか。近場だな。若手への支援が手厚い、いいギルドだ」
カブトは笑ってうなずき、袋から黒い塊を一つ取り出した。
「で、リリアちゃん。これが何かはわかるか?」
「ヤミマトイタケでしょ。ヒカリマトイタケの変異種で、猛毒のキノコ」
黒い塊から、ジワリと闇の粒子がにじみ出る。
原種と違って、ヤミマトイタケの胞子は闇属性の魔力を帯びていた。
「そう、こいつは猛毒のキノコだ。が、最高の食材でもある」
「……食材?」
リリアは怪訝そうに首をかしげた。
カブトは腰のダガーの一本を引き抜いて、カモ・フィッシュに向かう。
「さて、まずは下ごしらえだな」
「え、食べるの? カモ・フィッシュを……!?」
カブトは「見てな」と言って、灰色の甲殻に覆われた怪魚にダガーを振りかぶる。
その甲殻は鉄より硬く、甲殻の隙間を覆う皮膚も繊維質で大変切りにくい。
しかしカブトのダガーは皮膚を易々と貫き、順調に切り進んでいく。
その解体の手際の良さに、リリアは舌を巻いた。
「モンスターが『魔力を宿した動植物』であることは、知ってるな?」
「え? う、うん。それはもちろん……」
急に尋ねられ、彼の真意を測りかねながらも、リリアはうなずいた。
この世界に生きる者なら誰もが知っていることだ。
「なら、強い魔力を宿したモンスターほど美味いことは知ってるかい?」
「そうなの……?」
「強い魔力は強い旨味に宿す。が、まずは仕留めないと話にならねぇけどな」
カモ・フィッシュを捌き終えたカブトが、布切れでダガーの血を拭う。
甲殻に隠れていた怪魚の肉は、半ば透き通ったみずみずしい薄桃色をしていた。
鮮度の高い鶏肉のようだが、表面に浮いた脂が七色の光沢を放っている。
肉質もプリプリで、文字通り脂が乗っている。
「うわぁ……」
「生食はやめとけよ。腹壊すだけじゃ済まないぜ」
見とれるリリアにそう言って、カブトはもう片方のダガーを鞘から抜いた。
そちらは、刃が橙色をしていた。色を持つ刃は魔力武器の証である。
「サクッとな」
カブトが、近くにあった大きな板状の石にダガーを突き立てる。
するとほどなく、その石からユラユラと見えない湯気が立ちのぼり始めた。
「……陽炎? って、熱ッ!?」
「そのダガーは火属性の魔剣でね、近づくと火傷しちゃうぞ」
赤熱し始めた石の上に、カブトはカモ・フィッシュの甲殻を乗せた。
カモ・フィッシュの背中を覆っていた、ゆるく湾曲した板状の大きな甲殻だった。
甲殻は熱に焼かれてジリジリと音を立てる。
その上に、カブトは切り分けたカモ・フィッシュの肉を次々乗せていった。
「ここに、こいつだ」
カブトが取り出したのは、ヤミマトイタケだった。
彼はそれを怪魚の肉の間に転がし、上から塩を振りかけていった。
最後に、肉とキノコを焼く甲殻の上に、一回り小さな甲殻を蓋のように乗せる。
カモ・フィッシュの肉とヤミマトイタケは、それで見えなくなった。
「これで、あとは火が通るまで待つだけだぜぇ~」
「……何か、羨ましいな」
鼻歌交じりに調理するカブトが本当に楽しそうで、リリアはポツリと漏らした。
そして、無意識に自分とを比べてしまう。
ハルトに便乗して冒険者になっただけの自分は、今を楽しめているのか。
幼馴染と恋敵を助けるために自分を犠牲にしようとした、リリア・クリムゾンは。
「あのさ、カブトさん」
リリアは、告げる。
「私は、ここで死んで楽になりたかったんだ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
腫れた場所に傷をつけ、溜まった膿を流し出すように。
「私には好きな人がいた。でも、その好きな人は私以外の人が好きなの。なのに私は、私が好きなあの人のことを諦めることが、できないんだ……」
一度吐き出すと、もう止まらなかった。
「私の好きな人の誕生日はもうすぐで、だからあの人に最高の誕生日プレゼントを贈りたくて、あの人をこのダンジョンに誘ったの」
自分の手で彼を上級に導くこと。
それがリリアが選んだ、最愛の人への最上のプレゼントだった。
「上級冒険者にしてあげれば、きっとあの人は私を見てくれると思ったんだ。だから、絶対にこのダンジョンを攻略したかった」
そのために入念に下調べをして、準備も全て一人で行なった。
ハルトへの愛情を、行動で示すために。
「……だけど、失敗ちゃった」
声は力を失って、リリアの顔に自分を蔑むむなしいばかりの笑みが浮かぶ。
「失敗した。私は失敗した。大事なところで、私は失敗した……ッ」
リリアは両目を大きく見開き、両手で抱えた頭に爪を立てガリガリ搔きむしった。
彼女の脳裏に、忘れがたいあの光景が、ありありと蘇る。
「一つ上の階層で、先頭を歩いていた私はモンスターの気配を感じた。それで後ろの二人に合図を送ろうとして振り返ったら――」
リリアは、見てしまったのだ。
「あの人とあいつが、抱きしめ合ってたんだ……!」
それは、単なる戯れに過ぎなかったのかもしれない。
だが、タイミングが最悪すぎた。リリアの頭は、真っ白になってしまった。
「結局、私は合図できなくて、モンスターの群れに気づかれてしまったの」
あとは、カブトが察した通りの展開だ。
何よりも大事だったプレゼントを台無しにしたのは、リリア自身の嫉妬だった。
「私のせい。全部、私が悪いんだ……」
レインが原因だと言い張れれば、リリアは苦しまずに済んだのかもしれない。
だが、リリアはそれができる性格ではなかった。
「こんな私、いなくなった方がいい。そう思ったんだよね」
自嘲にまみれた自分が足りが終わり、光る胞子が舞う中に肉の焼ける音が響く。
「実にわかりやすい自暴自棄だな」
「うん、私もそう思うよ」
カブトの端的な評価に、リリアは自虐の笑みを浮かべようとして、できなかった。
「ところで一つ疑問がある。いいかい?」
「何?」
「リリアちゃんは死のうとしてたのに、何で俺のところに来たんだ?」
カブトからの問いかけは、リリアには意外に思えるものだった。
「え、それは。悲鳴が聞こえたから『助けなきゃ』って思って……」
「ほぉ、なるほどねぇ……」
あごに手を当て、何度もうなずくカブトを、リリアは不思議そうに眺める。
直後、カブトはいきなり話題を切り替えてきた。
「頃合いだな。見なよ、リリアちゃん」
「え、何これ……?」
重ねられた二枚の甲殻の隙間から、黒いモヤのようなものが漏れ始めていた。
モヤは明確な濃淡があって、その内に瞬く輝きを有していた。
甲殻の周囲を包むそれは満天の星空。
ダンジョンの最下層に、キラキラと星が瞬き、なお広がっていく。
「……綺麗」
調理の現場を突如満たした星瞬く夜空に、リリアは我を忘れて見入った。
真に美しいものを前にして、人は誰しも言葉を失うものだ。
「カモ・フィッシュの甲殻が宿す光属性の魔力と、ヤミマトイタケの闇属性の魔力が反応し合って、お互いの魔力を打ち消し合ってるんだよ」
カブトが説明している間に、夜空が明けていく。
濃紺の夜闇は薄らぎ、星の光は影と消えて、焦げた甲殻がそこに残された。
「『カモ・フィッシュとヤミマトイタケの甲殻焼き』、完成だ!」
カブトが、蓋代わりの甲殻を軽快に蹴り飛ばす。
真っ白い湯気が盛大に広がって、中にこもっていた熱気がムワッと押し寄せる。
「いい匂い……!」
熱気と共に、甘みを伴った焼けた魚の香りが広がり、リリアの胃を直撃する。
高まる期待の中、湯気の向こうに乳白色の魚の肉が姿を現す。
一緒に焼けたヤミマトイタケは、その色を薄い茶色に変えていた。
怪魚の身肉も焼けたキノコも、金色のスープに半ば浸っている。
これはカモ・フィッシュの身が含んでいた水分がしみ出したものに違いない。
じっくり煮出されたこのスープには、どれほどの味わいが濃縮されているのやら。
「でも、ヤミマトイタケには毒が……」
「大丈夫なんだなぁ、これが」
カブトがニヒヒと笑って、猛毒を怖がるリリアへ説明を始める。
「ヤミマトイタケの毒は原種と違って表皮部分にしか含まれてないんだ。しかもその毒は闇属性の魔力由来。それを打ち消した今のこいつは――」
「毒が、消えてる……?」
「そういうこと。わざわざ甲殻で挟んで焼いた理由が、それさ。毒を消したんだ」
「そうなんだ……」
説明してくれるカブトに、リリアは尊敬の念を抱きつつあった。
彼が何者かはもうどうでもよかった。その豊かな知識にリリアはただ感服する。
「ところで、リリアちゃんは今も自分に価値はないと思ってるのかい?」
「え……」
腰の小物入れからヒョイヒョイと食器を取り出し、彼は唐突に話を戻した。
「それは……」
リリアは答えに窮した。
カブトの博識ぶりを目の当たりにして、彼女は自己評価をさらに低下させていた。
比べても意味はないとわかってはいるが、それは御せるものでもない。
「ほら、食いな」
言葉を探してうつむいたリリアの前に、コトリと小さな音。
顔を上げると、木の深皿に盛られた怪魚の身とキノコが、白い湯気をあげていた。
「……いいの?」
呆気にとられるリリアにフォークとスプーンを手渡し、カブトは言った。
「こいつは、俺を助けようとしてくれたことへの報酬だ」
「でも、あれはただの空回りで……」
言いかける彼女に、カブトはゆっくりとかぶりを振って労わるような声で告げる。
「空回りなんかじゃねぇよ。だってあんたは報酬を得た。つまり、あんたの行動には価値があったってことさ。俺が認める。誰にも文句は言わせねぇよ」
彼の声には、それを言う彼の笑顔には、リリアを自己嫌悪ごと包む深さがあった。
瞳を揺らすリリアの傷だらけの心に、カブトの言葉が沁みていく。
「冷めないうちに召し上がっちまいな」
「いただき、ます……!」
リリアはカモ・フィッシュにフォークを突き刺し、豪快に頬ばった。
そして噛む。強く強く、噛み締める。
そのたびに彼女の口の中に、美味という名の幸福が実態を持って炸裂する。
怪魚の身肉は柔らかくも弾むような歯応えで、咀嚼自体が楽しい。
そこに濃厚な脂がジュワリと広がり、塩みを基調にした芳醇な味わいが爆ぜる。
これは主役。間違いなく主役。
カモ・フィッシュの圧倒的存在感は、それのみで料理を成立させている。
だが、主役だけで成り立つのは人生だけだ。一つの素材で料理が完成するものか。
主役以外が必要だ。それは名脇役。すなわちヤミマトイタケ。
程よく焦げた高密度のキノコの身は、怪魚とはまた違った食べ応えを演出する。
噛めば溢れるキノコのエキス。その味わいは複雑怪奇。
甘味と旨味をベースとして、そこにほのかな苦みと酸味が加わる。
多数の味わいがジグザグに絡み合って、一つに融和して舌先に感動をもたらす。
それら全ての味を一つの枠に収めているのがスープだ。
二つの食材から染み出て混ざった金色のスープによって、この料理は完成を見た。
それは怪魚とキノコが奏でる、極上にして至高のマリアージュ。
押し寄せる津波のごとき多幸感に、リリアはついにはポロポロと涙を流し始めた。
「ひぃん、美味しいよぅ、美味しいよぅ……!」
彼女は泣きむせびながら、カモ・フィッシュとキノコを無限に咀嚼し続ける。
「で、リリアちゃんはまだ死にたいのかい?」
「やだぁ、死にたくない……。もっと生きて、もっとこういうの食べたい……!」
「だったら、自分を無価値なんて思っちゃいけねぇな」
甲殻焼きに舌鼓を打ち続けるリリアに、カブトは肩をすくめる。
「何せ、冒険者は自分自身が商品だ。自分を磨けよ、冒険者。そして精々高値で依頼人に自分を売りつけてやんな。そうすりゃ、また美味いモンが食えるだろうぜ」
「うん。うん……! ――おかわり!」
「食ったり泣いたりと、忙しい嬢ちゃんだねぇ。ほら、追加だ」
「ありがとぉ~、うぇ~ん、美味しいよぉ~、全然フォークが止まらないよぉ~!」
リリアが食べて、カブトが笑う。
「あんたはいい冒険者になれると思うぜ」
食べさせてもらった料理の味と彼のその一言が、リリアの胸に深く深く刻まれた。




