第2話 ソロ冒険者の一本釣り/中
ハルトは、リリアにとって初恋の相手だ。
彼と彼女は、同年同日に生まれた。
故郷の村では、ハルトはいつもイタズラをして、リリアがそれを叱っていた。
このときからすでに、リリアの中でハルトは特別な存在だった。
「俺は冒険者になりたい。『大冒険者マークラント』みたいな、すげぇ冒険者に!」
十歳になって、ハルトがそんなことを言い出した。
リリアは『大冒険者』など知らないし、冒険者という職業にも興味はなかった。
ただ、ハルトがそうしたいと言ったから、彼女はそれについていった。
彼のためなら何だってしてみせると、リリアは幼いときから覚悟を固めていた。
十五歳になって、ハルトとリリアは村を出て冒険者となった。
だが二人だけではなかった。
もう一人、リリアと同じくハルトと同じ日に生まれた少女、レインがついてきた。
レインも自分と同じだとリリアは気づいていた。
しかし、彼女は選ばれない。ハルトは必ず自分を選ぶはずだ。そう確信していた。
だって自分はずっと彼の隣に立って、尽くし続けてきたのだから。
狩人になったハルトを守るため、使ったことのない剣を握り、必死に腕を磨いた。
上手くなるまでハルトに何度も叱られた。
その裏にある愛情を信じて、リリアは今は常に先頭を任されるほど強くなった。
自分は選ばれる。
絶対に。絶対に。絶対に――、
「なぁ、レイン。来月の誕生日さ、何が欲しい?」
故郷の村では、男性が女性に誕生日の贈り物を尋ねることは、求婚を意味する。
たまたま、宿でハルトの部屋の前を通りかかったとき、聞こえてしまった。
「ハルト、何で……?」
リリアの恋は知らないうちに終わっていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
視界いっぱいに目を白く濁らせた怪魚の顔面がズドーン!
「びゃああああああァァァァ~~~~ッ!?」
横隔膜を総動員した叫びと共に、リリアは跳ね起きた。
そして壁にピッタリ背をつけて呼吸を荒げた彼女はそこでようやく気づく。
「あれ、体が動く……?」
気を失う前、自分は体力の限界を迎えて動けなくなっていた。
それがどういうワケか、今は体が羽のように軽く、のどの渇きも全く感じない。
「起きてすぐに自分の変化に意識が行くのか。できてるねぇ」
手を握って開いて調子を確かめていたリリアの耳に、何者かの声が届く。
リリアは即座に足を開いて腰を落とし、身を向き直らせて腰の剣に手を伸ばした。
「何者ッ!?」
「お、いい反応だ。動きも鋭いね」
リリアが睨む先には、奇妙な風体のオッサンがいた。
背は彼女よりは高いが大柄というほどではなく、体格も常人の域を出ていない。
頭に古びた黒い兜をかぶり、下りたバイザーの左半分が大きく欠けている。
そこから濃い灰色の髪と、気だるげな印象の黒い左目が覗いていた。
防具は、身に着けていない。危険なダンジョンの最下層なのにだ。
上も下も平服姿で、足に至ってはサンダル履きである。完全に常軌を逸している。
装備は腰に帯びた二振りのダガーと革製の小物入れだけだ。
一般人と呼ぶには頭の黒い兜が奇異だし、冒険者と呼ぶには装備が軽すぎる。
チグハグな恰好をしたこのオッサンを、リリアは警戒する。
一方で、オッサンは馴れ馴れしく笑って、いきなり右手を差し出してきた。
「じゃあ、お代をもらおうか」
「……お代?」
その言葉の意味がわからず、リリアは剣を鞘から抜きかけた格好のまま固まる。
オッサンは「ほれ、そこ」と地面を指さし、リリアは視線でそれを追う。
地面には空になったガラスの小瓶が転がっていた。
そのデザインには見覚えがある。冒険者ギルドで扱ってる回復ポーションの瓶だ。
「体の調子は戻ったろ?」
その短くも恩着せがましい物言いに、リリアは全てを察して顔を真っ青にする。
「ご、ごめんなさい! 私、何てことを……!」
彼女はすぐに深々と頭を下げた。
判断を誤ったどころの話ではない。命の恩人に刃を向けかけたのだ。
「あの、代金なんですけど、ギルドに戻ったらお支払い――」
「払えるのかい? あんたに飲ませたの、エリクサーなんだけどなぁ?」
「エリ……?」
オッサンの朗らかな声に、リリアがピシッと固まる。
エリクサーは、死者蘇生以外のあらゆる負傷、病症を癒す『全能薬』である。
「ちなみにエリクサーのお値段は、一瓶で街の一角を買い占められるぜ」
「あの、悪い冗談は……」
「いや~、冗談だったらいいねぇ~」
オッサンの物言いはまるっきり他人事だ。
ふざけているとしか思えないが、その態度が逆にリリアの不安を煽った。
「え、まさか本当に……?」
まさかまさかと思いながら、リリアはオッサンの顔色を窺う。
しかし、その笑顔からは何も読み取れず、リリアは頬に汗を一筋伝わせた。
「いやでも、回復用のポーションが、そんな高いはず……」
「世の中にはあんたにゃ理解できないモノがたくさんあるんだぜ? 例えば、ダンジョンで怪魚を一本釣りする男、とかな!」
自慢げな男に、リリアは何も言い返せなかった。実際、理解できないからだ。
「おっと、そういえば名乗ってなかったな。俺は『カブト』とでも呼んでくれ」
「カブトさん……」
「趣味で活動してる冒険者だ。で、あんたにお支払い願うお代だが……」
カブトが話を戻した瞬間、リリアはハッと何かに気づいて自分の体を両腕で抱く。
それを見て、カブトは一度天井を仰いで盛大にため息を漏らした。
「誰も体で払えなんて言ってねぇでしょ~」
「で、でも、お金がダメなら他に私に払えるモノなんて……」
「あのね、惚れた男がいる生娘なんて抱く気にゃならんのよ、俺」
「惚れ……ッ!?」
リリアは一瞬で顔を真っ赤に沸騰させて「何でそれを……!」と叫びかける。
カブトは、再び息を漏らした。
「あんた、寝てる間に何回も名前を呼んでたぜ。ハルト、ハルトってな」
「な、な……、な……ッ!」
赤面したまま、彼女はさらに全身を小刻みに震わせ始め、目に涙を浮かべる。
「……最悪すぎる」
リリアは全身をわななかせたまま、今の気分を率直に述べた。
「しかし、あんたも災難だったな」
彼女の恥にはあえて触れず、カブトはサラリと話題を変える。
「お仲間さんを逃がした結果とはいえ、水も食いモノもなしでここまで来るとは」
「どうして、そんなことまで……?」
「わからいでか」
一転してビックリ顔を見せるリリアに、カブトは得意げに返した。
「水も食料もなしにこのダンジョンに挑むバカはいない。それを持ってないってことは、捨てる必要がある場面に遭遇したと考えるのが自然だ。仲間を逃がして荷物を捨てる必要があった。モンスターの群れと遭遇でもしたんじゃないのか?」
ツラツラと、それこそまるで見てきたかのように語るカブト。
ここで彼の顔から笑みが消える。さっきまでの笑顔が嘘のような鋭いまなざし。
「惚れた男を無事に逃がせたから――」
欠けたバイザーから覗くカブトの黒い瞳が、リリアの意識のど真ん中を射貫く。
「あんたは、自分は死んでもいいなんて思ったのかい?」
問われたその瞬間、場の空気が冷たく凍てついた。
そう錯覚するほどに、核心を突かれたリリアは悪寒に体を冷やしていた。
「……ぁ、……」
言葉を失うリリアへと、カブトは無造作に右手を差し出した。
「ほら、お代」
「え……」
「あんたにどんな事情があろうと、俺は助けた事実は変わらんだろ?」
散々リリアの内情を暴いておきながら、カブトはそれらを一切無視した。
あくまで、本題は『助けたことへの対価』なのだ。
「で、でも、私、持ち合わせなんて……」
リリアは困惑しきりで、何かないかと懐を探る。
すると、腰に下げた小さな袋に指が当たった。倒れる前に採取した『アレ』だ。
「あの、これしか……」
他に出せるモノは何もなく、リリアは諦め混じりにそれを渡した。
カブトは袋の中身を確認すると、その口角を吊り上げて、うなずいた。
「これでいいぜ」
「それでいいのッッ!?」
驚くリリアをよそに、カブトは袋の中身をジッと凝視し舌先で上唇を舐めた。




