第1話 ソロ冒険者の一本釣り/上
オッサンが一本釣りした。ダンジョンで。
デカイ魚が、地面でビチビチ。
死を覚悟したはずのリリアは、目の前の景色に度肝を抜かれた。
ここに至るまでの経緯が、リリアの脳裏に一気にフラッシュバックする。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
持ってきた水が尽きた。
ダンジョンの最下層に来て早々のことだ。
「……最悪だ」
赤い髪を短く切りそろえた冒険者のリリアが苦い表情を浮かべる。
彼女は、空になった水筒を放り捨てた。
今回のダンジョンアタックは、絶対に失敗できない大仕事だった。
入念に準備を行ない、水も食料もマジックバッグに一週間分を詰め込んだ。
しかし、一つ上の階層でバッグごと失ってしまった。
モンスターの群れに遭遇し、彼女が殿を務めて二人の仲間を逃がしたためだ。
彼女自身も生きるため、少しでも身軽になる必要があった。
バッグを放り捨てる判断は今でも間違っていなかったと自信をもって断言できる。
ただ、バッグには帰還用転移アイテムも入っていた。
リリアは、全てを失った状態で、ダンジョンの最下層まで来てしまったのだ。
「立ち止まってるヒマはない、か」
意を決し、彼女は進み始める。
それは無謀な行いかもしれないが、ほかに選択肢がなかった。
「ここは格上のダンジョン。そしてこの最下層が最も危険」
警戒を怠らず、事前に調べた情報を逐一口に出していく。
このダンジョンの探索推奨ランクは、今のリリアを大きく上回っている。
ここは上級向けのダンジョンで、リリアはまだ中級冒険者だった。
本来ならば早すぎる。しかし、だからこそ攻略できれば上級への昇格も見込める。
「ここは上とは違う。これまでの階層とは、何もかもが違うんだ」
普通の迷宮だった上層と違い、最下層に『壁』はなかった。
あるのは『水』と『道』。
だだっ広い地底湖の水面から長く入り組んだ岩の道が顔を出している。
他に目立つのは、そこかしこに生える光る巨大キノコか。
『ヒカリマトイタケ』と呼ばれるそのキノコは、光る胞子を常に散らしている。
光属性の魔力を帯びる胞子は無害で、吸っても問題はない。
これでキノコ本体に致死毒がなかったなら、食料問題も解決したのだが……。
そうそう上手くはいかないかと、リリアは周りを見渡す。
壁のない階層は遠くまで見通せるが、そこにモンスターの影は一つもない。
静かだ。静かすぎる。
だがその静けさはリリアにとって心休まるものではなかった。
「この階層では、絶対に水に近づかないこと」
彼女は、道の左右を占める水場を見ようともせず、そうつぶやいた。
飲み水を失った今の状況でなお、その発言である。
水場こそが最悪の危険地帯であることは、調べがついていた。
今のリリアは、水もなく、腹も満たせず、戻る手段もないという三重苦。
上に戻っても、モンスターに襲われるのがオチだ。
ならば進む以外にはなく、リリアはのどの渇きを我慢して歩き続けた。
途中、さすがに空腹感が無視できず採取を試みるが、これは不発。
とにかく、歩き続けよう。彼女は改めて前へと踏み出した。
そして、歩く。
歩く。歩く。歩く。歩き続ける。
唯一の光明は、ボスモンスターの打倒だ。
ボスさえ倒せば地上へのゲートが開くし、完全攻略という目的も果たせる。
果てが見えず募る不安をそんな希望で無理やり押し殺し、歩く。歩く。
歩く。歩く。歩く。一時間が経ち、二時間を過ぎ、三時間を超えても歩き続ける。
歩く。
歩く。
歩き続けて、リリアはふと思った。
――のどが渇いた。
唾が飲みにくくなっていることに感づいた瞬間、彼女はきつくまぶたを閉じた。
考えるな。意識するな。目をそらせ。
そのときリリアが抱いた危惧は、冒険者として間違いなく正しかった。
ただ、気づくのが遅すぎた。
罠は最初から彼女のそばにあり、その身を絡めとっていた。
階層全体を漂う光る胞子こそ、リリアを蝕む見えない罠の正体だった。
胞子に毒はない。
ただ、高い吸水性を持っているだけだ。
呼吸時に吸い込まれた胞子は口やのどに貼りつき、口内の水分を急激に吸収する。
そしてリリアは、体内を焼かれるかのようなのどの渇きに襲われた。
「……ぁ、ぐ。み、水ッ!」
忍耐は刹那に焼き切れて、彼女は両手でのどをガリガリかきむしった。
つばを飲み込もうにも、カラカラに渇いた口内の肉が張り付き、ただただ不快だ。
無理だ。我慢できない。水が欲しい。
その一念に心を塗り潰されて、リリアは近くの水場に頭から突っ込もうとする。
だが体を水面へ投げる直前、彼女は近くに群生するヒカリマトイタケを見た。
無数のキノコは、頭のない干からびた死体を苗床にして生えていた。
「ッッ! ――ぐゥ……ッ!」
ギリギリで我に返ったリリアは、全力で足を踏みしめてブレーキをかけた。
全身に強烈な負荷がかかり、関節に鋭い痛みが走る。
だが、止まれた。彼女の体は道の端で何とか踏みとどまれた。
次の瞬間――、
ドパァンッ!
と、いう派手な音と共に大きな水柱が立った。
盛大に散る水しぶきの向こうに、透き通った何かの輪郭だけが浮かび上がる。
それは空中高くで身を翻し、頭から再び水に突っ込んで二度目の水柱を立てた。
水柱の派手さからして、リリアの二倍以上の大きさはあるとわかる。
「……カモ・フィッシュ」
リリアがこぼしたのは、この階層に生息する唯一のモンスターの名前だ。
透明化して水そのものに擬態することから、カモ・フィッシュと名づけられた。
頭のない死体は、水場に近づいてこいつに頭を食われた冒険者だろう。
胞子を吸ってのどを焼かれた冒険者は、水場でカモ・フィッシュの餌食となる。
そして、残された冒険者の死体の養分を吸って新たなヒカリマトイタケが生える。
この階層は、怪魚とキノコの共生関係によって成り立っていたのだ。
「ホント、最ッ悪……」
リリアはかすれきった声で言うと、その場に大の字に寝転んだ。
今の一幕でかろうじて保てていたものが完全に瓦解した。もう、立ち上がれない。
心はまだ折れていない。先を目指したい気持ちもまだまだしっかりある。
だが、先に体が限界を迎えたようで、意識しても指一本動かせそうになかった。
水はない。食べ物もない。戻る手段もない。
体力は尽き、のどは渇いたまま、気持ちだけが無駄に前を見ている。
他に何かないかと、リリアはまだ回る頭を必死に巡らせる。
しかし、考えれば考えるほど、何もないという絶望的な結論が繰り返される。
「……詰んだ」
時間をおいて現状を俯瞰しても、結論は変わらなかった。
ダンジョン攻略は失敗した。自分の人生も終わりが見えた。しかし――、
「レインとハルトが戻れたなら、それでよし、かな……」
彼女が最後に案じたのは、二人の仲間のことだった。
魔導士レインと狩人のハルト。今回、リリアがダンジョンに誘った二人だ。
二人は彼女の幼馴染で、どちらかが犠牲になったなら、耐えきれなかっただろう。
だが死ぬのが自分だけなら、それは自己責任でしかない。それに……。
「……もう、いいかな」
自分一人の犠牲で二人を救えたのならば、それはまぎれもなく最良の結果なのだ。
そう考えて、リリアは目を閉じて死を受け入れようとした。
「うぬわァァァァァァァァァ――――ッッ!」
叫び声が聞こえたのは、その矢先のことだった。
大きな岩が作る死角の向こうから、突如として響き渡る切羽詰まった男の叫び。
「な、何ッ!?」
リリアは反射的に跳び上がって、残り少ない力を振り絞って駆けだした。
それは、困っているなら助けなきゃという、お人好しな動機による行動だった。
「何があったの! 大丈夫!?」
全速力で角を曲がったリリアは、ついにソレを目の当たりにする。
「フハッハッハ~! 大物カモ・フィッシュ、釣り上げたりィ~~~~!」
極彩色に煌めく胞子を背に、黒い兜のオッサンがカモ・フィッシュを釣っていた。
――これが、リリアの脳裏によみがえった経緯の全てである。




