第6話:どうして、泣けないんだろう
目を開けたとき、最初に見えたのは白い天井だった。
どこかで見たことがあるような、でも少し違う景色。
(……病院)
遅れて、そう理解する。
耳に入ってくるのは、規則的な電子音。
一定の間隔で鳴る、小さな音。
それが、自分の生を確認するみたいで——
少しだけ、現実味がなかった。
体を動かそうとする。
鈍い痛みが、遅れて広がる。
「……っ」
思わず息が漏れる。
それでようやく、“ここにいる”ことがはっきりした。
(生きてる)
そう思う。
でも。
それ以上の感情が、何も出てこなかった。
安心も。
恐怖も。
悲しみも。
(……あれ)
少しだけ、違和感を覚える。
普通なら、もっと何か感じるはずだった。
怖かったはずだし、助かったことに安堵するはずだった。
それなのに。
(何もない)
ただ、静かだった。
胸の奥が、ひどく静かだ。
(どうして)
その疑問すら、どこか遠い。
天井を見つめたまま、ぼんやりと時間が過ぎる。
(……来なかったんだ)
ふと、その事実が浮かぶ。
昨日のこと。
雨。
冷たい地面。
電話。
「お前、大したことないだろ?」
その一言。
(ああ)
すべて、思い出す。
(来なかった)
私じゃなくて。
あの人を選んだ。
その現実を、改めてなぞる。
でも。
(……何も感じない)
怒りも、ない。
悲しみも、ない。
涙も、出ない。
ただ、事実として“理解している”だけ。
(おかしい)
そう思う。
普通なら、もっと苦しいはずなのに。
もっと泣いて、もっと崩れてもおかしくないのに。
それなのに。
(どうして、泣けないんだろう)
ゆっくりと瞬きをする。
目は乾いたまま。
一滴も、こぼれない。
(……ああ)
そのとき、少しだけ分かる。
(もう、終わってたんだ)
ずっと前から。
期待して。
裏切られて。
また期待して。
それを、何度も繰り返して。
少しずつ、削れていって。
気づかないうちに。
(全部、使い切ってた)
だから。
何も残っていない。
泣くための感情も。
怒るための気力も。
もう、どこにもない。
(空っぽだ)
その認識は、不思議と落ち着いていた。
怖くもない。
寂しくもない。
ただ、静かに納得できた。
(そっか)
ゆっくりと、息を吐く。
(終わりなんだ)
その言葉が、自然に浮かぶ。
誰かに言われたわけじゃない。
でも、それが一番しっくりきた。
(終わらせよう)
その考えが、すっと胸に落ちる。
無理もない。
我慢する理由もない。
続ける理由も、もうない。
(いいよね)
誰に確認するわけでもなく、そう思う。
少しだけ、視線を横に動かす。
窓の外は、曇っていた。
昨日の雨の名残のように、空は重たい色をしている。
でも。
(関係ない)
そう思えた。
外がどうでも。
誰がどうでも。
(私は、どうするか)
それだけでいい。
ゆっくりと目を閉じる。
(もう、いい)
その一言が、確かな形で残った。




