第3話:期待した分だけ、静かに壊れていく
「今日、早く帰れる?」
朝食のあと、何気ないふうを装って聞いた。
一瞬だけ、恒一の動きが止まる。
「……ああ、たぶんな」
その返事は、曖昧だった。
でも。
(帰ってくる)
そう思ってしまった。
久しぶりに、ちゃんとした会話。
久しぶりの“約束”。
(今日は、ちゃんとしよう)
そう思った。
いつもより時間をかけて、買い物をする。
献立を考える。
(何がいいかな)
相手の好みを思い出しながら、食材を選ぶ。
(喜んでくれるかな)
そんなことを考えてしまう自分に、少しだけ苦笑する。
家に戻って、料理を始める。
手間をかける。
味を整える。
盛り付けにも気を使う。
(ちゃんとした妻でいたい)
その気持ちは、変わらなかった。
時計を見る。
十九時。
少し早いけれど、準備はできている。
(あと少し)
そう思って、待つ。
二十分。
三十分。
時間が、ゆっくりと過ぎていく。
(……遅いな)
スマートフォンを確認する。
連絡は、ない。
一時間。
(仕事、長引いてるのかな)
そう思う。
思おうとする。
一時間半。
(……遅すぎる)
胸の奥が、ざわつき始める。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
(来た)
すぐに手に取る。
『ごめん、仕事入った』
短いメッセージ。
それだけ。
しばらく、画面を見つめる。
(ああ)
まただ。
分かっていたはずなのに。
期待してしまった。
その直後。
もう一つ、通知が表示される。
凛花:来てくれる?ちょっと怖くて……
時間は、ほぼ同時だった。
(……そっか)
理解する。
すべてが、繋がる。
(仕事じゃない)
分かってしまった。
料理に視線を落とす。
丁寧に作った料理。
まだ温かい。
(冷めるな)
そう思う。
でも、もう意味がない。
椅子に座る。
力が抜ける。
(何を期待してたんだろう)
答えは、出ない。
ただ一つ。
(しんどいな)
それだけが、残った。
それでも。
玄関の音がすれば、きっとまた言う。
「おかえり」
そう言えてしまう自分がいる。
(私は、何をしてるんだろう)
分からない。
分からないまま、時間だけが過ぎていく。




