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タマハミ  作者:


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7/8

第七話

前回のあらすじ

S県にあるという魂魄教の活動拠点を調べに向かった坂本たち。彼らはそこで、魂魄教の教祖である大和田誠一の遺体を発見する。警視庁内に残っていたデータからも、その遺体が大和田であることの確認はとれた。ならば、有田香澄の話に出て来た大和田とは一体何者なのか。

彼らはついに解決のために大きく動き出す。

「それでは、私はこれで失礼します。……その日になったら、またご連絡しますので」


 有田香澄はそう言って頭を下げ、相談室を出て行った。……彼女のおかげで、魂魄教の本拠地がどこにあるかようやくわかった。その場所はまさかの場所であったが。ただ、今すぐ乗り込んだところでそこは廃ビルであることに変わりはない。一度警察の手が入ったせいか、警戒心も高まっているようだ。そこで、坂本は有田香澄を頼ることにした。……「入信者として連れて行ってほしい」と。捜査のために入り込むとしても、見慣れぬ者がいれば怪しまれるのは当然。ならば、新たな信者として入り込むしかない。


「……しかしまあ、随分と危ない橋を渡るつもりだな、坂本」


「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』とも言いましょう。……仮に。有田春香の件がなくとも、すでに閉鎖となったビルを集会所にしているというのなら、それだけでも調査する理由にはなるでしょうし」


 テーブルに広げた資料を片付けながら、松本からの小言に返事をする坂本。資料の束を整えて鞄にしまいなおすと、山崎が口を開いた。


「……春香さん、無事なんでしょうか。もしかすると、すでにビルで見つかった遺体と同じように……」


「正直、まだわからない。……だが、あの時彼女の遺体は見つからなかった。だから、まだ生きている可能性もある。……これは、それを確かめるための調査だ」


「そうはいっても……」


 いくら言葉を並べ立てたところで、やることに変わりはない。「新興宗教団体の集会所に忍び込み、秘密を探る」。その行為の危険性は、誰でも簡単に想像できる。もはやこれ以外に手立てはないと覚悟を決める坂本に対し、山崎は尻込みしていた。


「……俺は別に、お前を臆病者だと罵りたいわけじゃない。それだけは分かってくれ。……嫌なら来なくてもいい。ここに残って、俺の帰りを待つだけでもいい」


「……帰ってこなかったら?」


「魂魄教と、俺のことは忘れろ。それと、有田香澄には謝っておいてくれ」


「何も、先輩だけでいかなくてもいいじゃないですか。一課の人たちに事情を話して、協力してもらえば……。そうすれば忍び込むなんて危ない真似をする必要もなくなります」


「……彼女は言っていた。『警察の中にも教団の者がいる』と。不用意に口外すれば、計画が漏れる。……協力は要請できない。できたとしても、事情を知っている藤原ぐらいだろう?……たった一人増えただけじゃ、焼け石に水だ」


 坂本が肩をすくめながら言い切った時、相談室のドアが少し乱暴に開かれた。ドアを開けた人物は大きな声をあげながら坂本たちのもとへと向かってくる。


「誰が『焼け石に水』だって?当人がいないときに、随分な物言いじゃないか。坂本」


「……藤原。悪い、そんなつもりで言った訳じゃないんだ。ただ……」


「わかってるよ。……表に出ない新興宗教団体が相手だ、大抵の人物なら誰であっても焼け石に水程度にしかならないだろう。……でも、水には、焼け石にかける以外にも使い道がある。そうは思わないかい?」


 藤原は坂本の目の前にあるソファーに腰を下ろす。その顔つきからは、彼の考えていることが痛いほど伝わってきた。


「……お前も行く気なのか?」


「駄目なのかい?さっき、『協力を要請できるのは事情を知ってる藤原ぐらい』って言っていたじゃないか。頼ってくれよ」


「山崎が言っていたように、この調査は危険を極める。……できることなら、誰も巻き込みたくはないんだが」


「……なら君は。『友人が危険な場所に向かうのを、黙って見ていろ』とでも言うのか?僕は、そう言われて我慢できるほど賢くない。……それに」


「それに?」


「……いや、何でもない。兎に角、長い付き合いの友人を一人で危ない場所に行かせるわけにはいかない。行くなら僕も一緒に行く。人手が多い方が、何かと役に立つはずさ」


 一度言葉を濁らせた藤原は、坂本からの追及を早口で逃れる。彼が言いかけた言葉はともかくとして、必死に頼み込む友人を前に突き放せるほど、坂本は冷徹な人間ではなかった。


「……わかった。後で有田香澄に話しておく」


 坂本が折れ、藤原の同行を許した。彼は嬉しそうに「そう来なくちゃ」と張り切っている様子だ。その様子を見かねた松本が「遠足に行くわけじゃないんだぞ」と釘を刺すが、彼は「わかってますよ」と浮かれた返事をする。


「それじゃ、日にちが決まったら教えてくれ。……まだ仕事が残ってるから、先に失礼するよ」


 時計を見ると、有田香澄との話は随分な長話になっていたようで、針は午後三時を指していた。坂本は客人に出していた茶を片付けるために席を立つ。その時、山崎が「あの……」と彼に声をかけて来た。


「どうした?」


「藤原さんのことなんですけど……。なんか、やけに乗り気だったなって……」


 坂本は山崎にそう言われ、先ほどまでの会話を思い出す。……確かに、入室してきたときから、彼はずいぶんと乗り気だった。


「……まあ確かに。あいつは直接関係してないのに、なぜか俺よりも乗り気だったからな。……それで、それがどうかしたのか?」


「……何か、気になるなって。……あの人は先輩を見捨てられないなんて言ってましたけど、本当なんでしょうか。……『それに』って何か言いかけてましたし」


 坂本は山崎が言葉を途切れさせたタイミングで給湯室に向かい、湯飲みを片付けた。戻ってきた彼は、ソファに腰を下ろし「だがな」と口を開く。


「あいつに何か別の目的があるのだとしても、それが何かはわからねえ。……もし仮にあいつが魂魄教の内通者だとしても、そうだという証拠はない。……それに、俺は疑いたくねえ。昔からの付き合いがある友人が、俺を裏切ろうとしているなんてな。だから、今それを考えるのはなしだ。どうしようもねえ」


「……そうですか。わかりました」


 山崎も胸の奥につっかえていた何かを吐き出して満足したのだろうか、これ以上坂本に言葉をぶつけることはなかった。その二人の様子を眺めていた松本は、「待っていました」とばかりに膝を叩く。


「話は終わったな。……なら、これからは調査についての話をしよう。前に、藤原が魂魄教に関する資料を見せてくれただろう、あの名簿のような奴。……もしかするとだが、まだ庁内に魂魄教に関する情報が残っているかもしれん。あれほどの強固な制限がかけられているのだから、削除にすら手間取るものも残ってるはずだ」


「有田さんから連絡が来るまでは待機するしかないでしょうし、それならまだ調べ物でもしていた方が有意義ですよね」


 松本からの提案に、山崎も頷く。そして、坂本にもそれを拒絶する理由はない。彼もまた「わかりました」と言ってまたもや立ち上がる。


「それで、何かアテはあるんですか?……言い出しっぺですし」


「あるにはあるんだが……。まあ、見たらわかるさ」


 なぜか言葉を濁らせる松本。二人はその様子に首をかしげていたが、すぐに理由を理解した。




「うわ……」


 坂本と山崎は口をそろえてそう言った。松本の案内で向かったのは、もはや誰も立ち入っていないであろうエリア。さらにその奥、「第八資料室」と書かれたドアを開けた先には、埃と山積みになった資料だけがあった。二人はそれを見て、声を漏らしてしまったのだ。ここまで連れて来た当の松本は、「懐かしいな」とつぶやいている。


「ここな、昔俺が使ってた部屋なんだ。……俺というか、俺たちというか。当時、いろんな事件が起きてな、捜査本部も何回も作られた。そのたびに鑑識も働いてな。……で、作られた資料は大抵ここにしまわれた。もう処分されてるかも、と思ったが……」


 彼らの眼前には山積みになった書類たちが広がる。そこにかぶっている埃は、その山たちが作られてから全く動いていないことを示していた。


「どうやら誰も手を付けてねえみたいだ。魂魄教の教徒と言えども、これだけの書類の山を崩すのは嫌だったか。……生半可な教義より、よっぽどためになる苦行だと思うがね」


 松本は部屋に一歩立ち入り、入り口近くにある照明のスイッチを押す。蛍光灯もしばらく帰られていないのだろう、ちかちかと接続部が光を発した程度で、結局部屋の半分以上は暗いままだった。


「……まあ、これだけ明るけりゃ十分だろ。ほら、お前ら何してんだ。始めるぞ」


「わ、わかりました……」




「うわあ凄い。これ二十年前の事件の話ですよ」


「俺たちがまだ子供の頃の話か……。松本さんはこの時すでに、この事件に?」


「その時は鑑識の中でもそれなりの地位があったころだな。捜査一課長にタメ語使ってた」


 山積みになった書類を一枚ずつ片付けていく坂本たち。黙ってやることに耐えられず、つい口を開いてしまう。最初は「口じゃなくて手を動かせ」と松本が叱ったが、話しながらの作業の方が効率が良かったため、もう止めることはしなくなった。


「……お。これだ」


 その時、松本は一枚の書類を取って声をあげる。その様子を見ていた二人は、松本の背後からその書類を覗き込んだ。そこには、「新興宗教信者による勧誘被害」と書かれていた。


「これは?」


「これも、さっき見つけた資料と同じ二十年近く前の話だ。当時、魂魄教は最盛期にあった。今みたいにこそこそやるんじゃなくてな、テレビなんかにも出たりした。大和田誠一がテレビに出て、『魂の導きこそが人の生きる道。魂の導きを目にできるのは私のみ』なんて言ってな。その場にいた芸能人たちの今後を占ってたりしたんだよ。当時は、ただの『トンチキおじさん』って扱いだった。……だがな」


「何かあったんですか」


「奴の占いは当たったのさ。『女で身を滅ぼす』と言われた当時の売れっ子俳優は二股がバレた。しかも、よりにもよって大御所俳優の娘とだ。……そいつは芸能界から干されて、翌年仕事のなさを苦に自殺を選んだ」


「……でも、それだけでは……」


「これだけじゃない。……『水に気をつけろ』と言われた女優は、映画の撮影で訪れた海で溺死。『あまり早く走らないように』と言われたその番組の司会者は、高速道路で事故を起こし、壁を突き破って下にあった一般道に転落。そいつ自身は死んだし、大勢の怪我人も出た」


「それは、偶然じゃ……」


「だったらよかったんだがな。まあ、二十年も前の話だ、今さら偶然かどうかも分かりやしねえ。……はっきりしているのは、それから魂魄教の信者が増えだしたってことぐらいだな。……この書類はそんな時に生まれた」


 松本は握っていた書類を、一番明るい蛍光灯の下にあるテーブルの上に置く。「新興宗教信者による勧誘被害」と書かれた書類には、事細かに魂魄教信者による強引な勧誘の被害がつづられていた。


「……今まで微塵も信じていなかったくせに、著名人が三人死んだだけで、当時の一般人は魂魄教を信仰することを選んだ。……人としての中身がないんだよな。何もわかっていないくせに、すべてを分かりきったような顔で詰め寄ってくる。鬱陶しいったりゃありゃしねえ。俺も駅前で何度か捕まったが、あれはただの時間の無駄だな」


「それで、警察への相談が増えたんですね。で、このような書類が」


「ああ。……とはいっても、こいつはそんなに役に立たなかった。すぐに魂魄教は衆議院選挙で大敗してな。もう勧誘被害なんかもなくなった」


「……では、なぜそんなにこの資料を詳しく?」


「ここを見ろ」


 松本は書類の右上を指さす。そこにはこの書類が作られた日付と、製作者の名前があった。「伊藤庄司」と書いてある。


「この方は?」


「当時の捜査一課長だ。そして、俺の同期でもある。……こいつは、魂魄教の対策に相当強気でな。再三、魂魄教を摘発すべきだと訴えてた」


「何故それ程強気に?」


「……こいつの奥さんが、魂魄教にハマったんだよ。生まれてまだ少ししか経ってない一人息子も放ってな。……だから、魂魄教さえ潰せば、戻ってくると思ったんだろう」


「でも、魂魄教は勝手に潰れた……」


「ああ、衆議院選挙なんかにでしゃばった挙句、恥ずかしいほどの大負けを喫してな。その後、大和田は病気で死んだって報道されたのは知ってるよな?」


「はい。負けを気に病んだとか」


「……そのニュースが流れた日、伊藤の奥さんは自殺を選んだ。遺書には『導師亡き今、私に生きる望みはない』とだけ残されていた」


 もともと静かだった資料室がさらなる静寂に包まれる。坂本と山崎が言葉を失う中、松本は続ける。


「その後、伊藤は警察の仕事をやめた。一人息子を連れて、再婚して婿入りしたらしいが、それ以上は何もわからん」


「……婿入りしたってことは、名前が変わったんですよね」


「ああ。……ただ、なんて名前に変わったのかは……」


 松本はそこまで話すとゆっくりと立ち上がり、「さて」と言って自分の腰を叩く。


「思い出話はここまでだ。魂魄教の資料探し、再開するぞ」




「結構見つかりましたね。やっぱり、この紙束を整理しようなんて言う人はいなかったんでしょう」


 数時間後。最も明るい蛍光灯の下に集められた資料は、床から坂本の膝の高さ程度まで積みあがった。「ここに情報が眠っている」と言った松本も、これほどまでに残っているとは考えていなかったのか、顎から少しのびた髭をなでながら「掘り出し物だな」と呟いていた。


「……よし、じゃあこれを相談室まで運ぶぞ」


 紙束を坂本と松本の二人で分けて持ち、山崎に資料室のドアを開けてもらう。部屋の中には窓がなかったため、すっかり日が暮れているのは外に出てようやく気付いた。……そこから、誰にもすれ違うことなく相談室に戻った彼らは、運び込んだ資料をテーブルの上に置く。松本は紙束を軽く叩きながら言った。


「今日はもう遅い。資料の読み込みは明日からだ」


「わかりました。……それじゃ、お疲れさまでした」


 坂本は一足先に相談室を後にする。そのまま階段を使って一階まで降り、正面玄関から外に出た。その時。


「……遅かったね」


「藤原?」


 入り口近くの植え込みに、藤原が腰かけていた。彼は坂本が出てきたのを見つけると、すぐさま立ち上がり声をかけたのだ。


「なんだ、待ってたのか?なんか用でもあるのか?」


「……まあ、そんなところ。……魂魄教の集まりに忍び込むって話なんだけど……」


「ああ、それがどうした?」


 話があるはずだというのに、藤原は「うーんと」と何かに迷っている。その様子が何か気にかかった坂本は、植え込みの縁に腰を下ろし、藤原の言葉を待った。……そうしているうちに、部屋の片づけをしていた山崎と松本が追い付いた。


「坂本?お前何やってんだ。先に帰ったんじゃないのか。……藤原。お前も何してる」


「……ああ、松本さん。いえ、なんでもないです。……あとで電話するよ」


 結局、藤原からの相談内容は分からないまま、彼は足早に帰っていった。三分ほど待ちぼうけを喰らった坂本は「なんだったんだ」とつぶやきつつも、いつもと少し様子が違う友人の背中を、心配そうに見つめていた。




 坂本が帰宅した後、まるでその時を待っていたかのように、彼のスマホが着信を知らせた。相手はやはり藤原。彼はリビングの明かりをつけながら電話に出た。


「もしもし、藤原か?」


『うん。さっきはごめん、結局何も話さなくて』


「構わねえ。今から話してくれるんだろ?」


 坂本はコップによく冷えた麦茶を注ぎ込む。藤原はその間一言も話さず、坂本が注いだ麦茶を半分ほど飲んでからようやく口を開いた。


『……さっき、話せなかったことなんだけど』


「ああ」


『魂魄教に忍び込むって話。……あれは、有田香澄に頼るのか?』


「……まあ、そうなるな。俺たちじゃ魂魄教の内部には忍び込めないだろう。でも、現信者の彼女の力を借りれば簡単に潜入できる。……新しい信者とでも言っておけばいいだろうしな」


『彼女は裏切るかもしれないぞ』


 坂本は眉をひそめた。電話の先にいる男は、今まで一度も聞いたことがないような冷たい声でそう言ったのだ。坂本は「なんだと?」と返すが、藤原はそれ以上に強く返す。


『彼女は信者なんだろう?なら、新たな信者確保のために嘘をついて、僕たちを教団に差し出すかもしれない』


「……まさか。妹を探しているのも嘘だと?」


『……だって、彼女は魂魄教の信者なんだろう?なら、平気で嘘もつけるはずだ』


「どうした。いつものお前らしくもない……。そんな決めつけ」


『……ごめん。自分なりに魂魄教を調べていてね。噂ではあるんだけど、洗脳なんて文字を見てしまったから。もしかすると、僕たちもそうされるんじゃないかと思って』


 藤原は坂本からの指摘にすぐ謝意を示す。ただ、その声にはどこか感情がこもっていないように思える。彼が口にした「ごめん」という言葉も、まるでその場しのぎのためのようであった。だが、坂本がそれを追及する前に、藤原が先に口を開く。


『僕が考えすぎていただけみたいだ。……こうして話していると、少し頭の中が整理できた気がするかも。……それじゃ』


「あっ、おい!……切ったか」


 坂本はその後、少しの間通話が切れたスマホの画面を眺め続けていたが、身体の奥にたまった疑念を吐き出すように息を吐き、スマホをテーブルにおいて風呂へと向かった。




 翌日、午前八時。特別相談室に出勤した坂本たちのもとに、有田香澄から連絡が届いた。魂魄教の次の集会がいつか、判明したようだ。


『今週の土曜、あの廃ビルで行われるようです』


「そうですか、ありがとうございます。……ちなみに、その情報はどうやって?」


『家には信心深い信者が二人もいますから、その人たちに聞けばわかります。……今まで興味なかったくせに、どういう風の吹き回しだって怪しまれましたけど』


「大丈夫だったんですか」


『ええ。ああいう手合いは適当に、ようやく目覚めたとでもいえば騙せますから。……それより。坂本さんたちを、新たな信者として紹介する方法でいいんですか?私が気を引いてそのうちに中に入る方が……』


「中で自由に動くためには、信者という皮が必要になるはずです。……申し訳ないですが、ご協力をお願いします」


 有田香澄は『わかりました』と残して電話を切った。土曜までは残り今日と明日の二日のみ。通話していたスマホをポケットに押し込んだ坂本は、話を聞いていたであろう二人を見た。


「……山崎。お前結局どうするか決めたのか?」


「どうする、とは」


「集会だよ。お前も一緒に中に入るか、それとも外から連絡役に徹するか」


 松本は山崎を見つめてそう言った。魂魄教の本拠地に潜入すると坂本が決めた時、彼女はその新興宗教の危険性から潜入を忌避していた。だが、結局どうするかの結論は、まだ彼女の口からきいていなかったのだ。松本に問い詰められた山崎は、両手を強く握りしめて言った。


「私は……。私も、行きます」


「本気か?」


 坂本が詰め寄る。彼女は頷いた。


「これは、先輩方だけ危険なことをさせてしまう申し訳なさだとか、自分だけ逃げるのは卑怯だからとか、そう言うものじゃありません。……それもちょっとありますけど。……私は、これでも刑事です。仕事はおよそ一般的な刑事からは外れたものでしょうが、自分なりの矜持があるんです。ここで自分だけ危険から逃げ出すのは、その矜持に反します」


 彼女の目はわずかに揺れている。決意の固さは固く結ばれた口が示しているが、恐怖を完全に拭いきれているわけではないのだろう。ただ、それを面と向かって言うのは無粋だ。何はともあれ、彼女は覚悟を決めたのだから。


「……そうか。わかった」


 松本も何も言わなかった。それが正しい行動なのだろう。特別相談室内が静まり返った瞬間、まるでその時を狙っていたかのようにドアがノックされた。


「坂本、いるかい?」


「……藤原か。どうした、入っていいぞ」


「失礼するよ」


 朝早くから藤原が特別相談室に顔を出す。そもそもこの部屋に普通の警察官は来ない。左遷された坂本たちの追い出し部屋に過ぎないのだ。藤原も当然その事実は知っているはずだが、彼はそれを気にする素振りを見せない。


「有田香澄から連絡は来たのか、気になってね。……それで、どう?」


「ついさっき連絡が来た。今週の土曜だとな。お前も行くんだろう?」


「もちろんそのつもりだよ。……本当に、罠じゃないんだよね」


 昨日の坂本からの説得を経てもなお、彼は不安そうにそうつぶやく。松本や山崎はその話に聞き覚えがあるはずもなく、「どういうことだ」と藤原を問い詰めた。


「言葉の通りです。有田香澄の話が全て嘘で、僕たちを新たな信者にするために動いているのではないか、と」


「……魂魄教には黒い噂がいくつもある。高い壺なんかを買わせるってのはまだ生易しい方で、信者を洗脳して逃げられなくしているなんて話も聞く。藤原の懸念ももっともだ」


 取り繕うこともなく零した藤原の考えを、松本は肯定する。頭ごなしに否定されると思っていた藤原は、驚いて目を見開いた。その視線の先の松本は、さらに言葉を続けようとしている。


「だがな。まだ罠だと決まったわけじゃねえ。……もし、本当に彼女が妹を探していたとしたら。ここで勝手に捜査をやめるなんてできねえ」


「……すいません、水を差すようなことを」


「謝るな。さっきも言った通り、お前の懸念も当然のことだ。……まあ、気を付けるしかねえんだが。どこに仕掛けられているかわからねえ罠に気を揉んだところでな」


 藤原は松本の言葉に返事をすることはなかった。ただ一言、「お邪魔しました」とだけ残して相談室を去っていった。


「……何かあるんですかね」


「何かって?」


 藤原がドアを閉めたのち、山崎が突然そう言いだした。坂本が尋ねると彼女は続けて言う。


「だって、あの人なんかすごい魂魄教に否定的ですし。……確かにそういう怪しい噂があるのは事実ですけど、有田さんまでそうかと言われると、私にはどうにもそうとは思えないんです。……だから、昔に魂魄教絡みで何かあったんじゃないかな、と」


 坂本は昨日の藤原との通話を思い出していた。彼は、「魂魄教の信者ならば嘘をつくのも当然」とすら言っていた。それは、ただ噂を鵜呑みにした者の言動とは思えない。……まるで、かつて被害にあった者のような口ぶりだった。


「……藤原が俺たちと一緒に行きたがるのも、それが原因なのか……?あいつ、魂魄教に何をされたんだ」


「まあ、今考えたところで答えは出ねえよ。聞いても教えてくれるわけもあるめえ。……土曜日にすべてわかるだろうさ」




 二日後。坂本たちは、あの日訪れた廃ビルへと舞い戻っていた。建物の陰からわずかに顔を出し、様子を窺う。


「……確かに、人が集まってますね」


 廃ビルの自動ドアは開け放たれていた。信者らしき者達は周りをきょろきょろと見渡しながら、ビルの中へと入っていく。


「誰も怪しいと思わないんでしょうか」


「いちいちあんな人達を気にするほど、暇な人たちはいないんだと思います」


 山崎が漏らした疑問に有田香澄が答える。廃ビルの周りも影響を受けているのか、あまり人の気配がない。以前坂本たちが簡単にビル内に忍び込めたのも、それが理由なのだろう。


「……それでは、私たちも行きましょうか。離れないでくださいね」


 有田は物陰から一歩前に出て先陣を切る。その横顔には緊張が浮かんでいた。それに当てられて、坂本たちも口数を失ってしまう。彼らは黙ってうなずき、彼女の後を追った。廃ビルの入り口には誰もいないが、チラシが散らばる受付には誰かが立っている。その人物はじっと坂本たちを見つめていた。


「どうも」


 有田が受付の女に挨拶をする。彼女は何も言わず、有田ではなく坂本たちを見つめた。


「……あの」


「有田さん。こちらの方は?」


 たった一言ではあったが、それだけで受付の女がいかにイカレているかよく理解できた。瞬きをせず、表情も動かない。ただ機械的に口を動かしている。


「……私の友人です。集会に参加したいと」


「そうですか。ではこちらにお名前をお願いします」


 受付の女はカウンターに置かれていた紙とボールペンを差し出して来た。おそらく参加者の名簿だ。彼らの前には二十人程度の名前が書かれている。まず、有田が自分の名前を書いた。そして、彼女は坂本にペンを手渡す。


「……んん……」


 坂本はわずかに声を漏らして悩んだ。本名を書くべきか、それとも偽名にするべきか。……もし、今日この場で事件の解決が出来なかったら。本名を魂魄教という危険な宗教に知られることになる。教団内部には警察関係者もいる。少しでも調べられれば、何が起きるだろうか。……だが、偽名を書いたとしても。何かの拍子でそれが偽名であることに気づかれれば一巻の終わりだろう。生きてここから出られるかどうかすら怪しい。そうして坂本は悩んだ結果。


「……書いたぞ。次は誰が書く?」


 彼は本名を書いた。事件が解決できなかったら……。そんな後ろ向きな可能性を考えるのをやめた。この場で有田春香失踪事件を必ず解決する。その決意が、彼の字に表れていた。

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