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タマハミ  作者:


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第六話

前回のあらすじ

藤原のようなナニカから、魂魄教は非人道な人体実験を行っていると知らされた坂本たち。その後本物の藤原から魂魄教が集会に使っていた建物の場所を教えてもらい、調査に向かう。

「施錠はされてないみたいだ」


 錆びついた蝶番が耳障りな音を奏でる。屋敷の正面玄関に手をかけた坂本は、抵抗なく開く扉に少し驚いていた。


「もう誰からの管理も受けてないんでしょうね。……中も埃まみれですよ」


 閉め切られていた屋敷の中は、埃と蜘蛛の巣であふれかえっていた。ただ、総合センタービルのように、散らかされた様子は一切ない。すっぽりと人の気配だけが抜け落ちているようだ。


「……辿れと言われてもな。こんな広い屋敷を一体どこから漁ればいいのやら」


 松本がそうこぼすのも無理はなかった。外観だけでもおよそ三階建てである高さに加え、横幅に奥行きもたっぷりとある。この屋敷がいつ建てられたのかはわからないが、当時の魂魄教はすさまじい資金力を誇っていたことが嫌というほどわかった。


「ひとまず適当に見て回りましょう。……こっちから行きますか」


 立ち止まるよりは歩くべきだ。坂本はそう判断し、先頭に立つ。そして屋敷の玄関から右側へと向かった。大きな両開きの扉の先は、どうやら憩いの場らしかった。部屋の四隅には観葉植物が置かれ、そのほかにはテーブルや椅子、蓄音機が置かれていた。


「……そりゃ、もう枯れてるよな」


 松本は部屋の隅に置かれた観葉植物を見てそう言った。細い幹や枝、葉にいたるまで枯れており、わずかに指でつまんだだけでもボロボロと崩れていく。それほどまでに、この屋敷は放置されていたということだ。


「宗教施設だったっていう割には、それほど変な所はないな……」


「最盛期の魂魄教は企業の重役すら取り込んでいたそうですよ。それを聞きつけた取材もそれなりに行われていたそうで。ここは外面を取り繕うために建てられたんでしょうね」


 部屋にはそれほど目を引くものはない。そのことに少し疑問を持った坂本のつぶやきに対し、山崎が理由を答える。


「この部屋には何もないな。……あまりにも埃っぽい。早く出よう」


 書類が床に落ちているわけでもなければ、誰かの日記が残されているわけでもない。ソファのクッションの下にあったのはわずかな埃だけだ。その埃のやられたのか、松本は一足先に部屋の扉を開けた。その瞬間、何かが玄関の大きな扉に突き刺さる。


「なんだ⁉」


 坂本と山崎の二人も、激しい音を聞きつけて松本の後を追う。扉の前で立ち尽くす松本の目の前には、石像の下半身が転がっていた。上半身は扉を貫通しており、こちらからは見えない。


「松本さん、怪我は⁉」


「大丈夫だ、心配するな。……だが、自然とこうなったとは思えんな」


 松本はそう言いながら二階へと視線を飛ばす。二階へと向かうための階段は玄関の正面にあり、階段の先には別の部屋につながる扉がある。その扉は現在開け放たれているが、その部屋の中は薄暗くよく見えない。


「まさか、上から滑ってきたとでも?」


「まあ、今の状況を見るとそうとしか思えんな。……問題は、俺たちがこの屋敷に足を踏み入れた時、こんな石像を見た覚えはないってことだ」


 松本の言葉を受け、坂本はすぐに屋敷に立ち入ったときのことを思い出す。玄関に足を踏み入れ、一通り見渡したはずだが、その中にこのような石像はなかった。


「……仮に、石像はもともと二階のあの部屋にあったものだとしても、それが自分で動いて階段を滑り落ちてくるなんてことは……」


「怪奇現象か、はたまた誰かに後を尾けられたか。……尾けられているのだとすれば、これは警告だろうな。『これ以上踏み込むな』という警告」


「……もしそうならば。ここを調べるのが正しいということにもなりますね。それを知って引き下がれるわけないですよ」


 教団の者による警告かもしれないが、それはつまり。彼らにとってここは探られたら困る場所でもあるのだ。山崎は今まで以上に奮起し、一歩先へと踏み出していた。彼女はそのまま二階に向かうのではなく、玄関の左側にある部屋へと向かった。


「なんだ、そのまま二階に向かうかと思ったが」


「もし本当に誰かいるのだとしたら、勇み足は厳禁です。……見落としもしたくありませんし」


 だが、玄関から左側にあった部屋は、右側にあった憩いの間を鏡映しにしたような部屋だった。あるのは埃と枯れた草木だけ。意気揚々と部屋に足を踏み入れた山崎は、どこか肩を落としていたようだった。


「……ここまでは前座だ。本題は、上の階。松本さんを狙って石像を落としてきた奴がいるのか、はたまた怪奇現象がみられるのか。……鬼が出るか蛇が出るか、と言ったところか」


 またもや坂本が率先し、二階へと続く階段を上っていく。階段の先にある扉は開いたまま、まるで大きな怪物が口を開けて得物が入ってくるのを待っているようである。三人は無事に階段を上り切り、薄暗い部屋の中に懐中電灯の光を差し込んだ。


「……これは、何かの会場か。すごい広さだ」


 薄暗い原因はその部屋の広さと構造にあった。だだっ広いうえに、窓が一つもない。床は板張りだが、古くなっているせいか一歩歩くたびに床がきしむ。


「……うわっ!」


 暗闇の中、松本の叫び声が響き渡る。何事かと急いで彼がいる場所へ駆けつけた二人は、彼の懐中電灯が照らしていたものを目にする。そしてすぐに、彼が声をあげた理由を理解した。


「……これは、石像……?」


「いやすまねえ。暗いところでこんなもん見つけたから大声出しちまった。……階段から落ちて来た石像は、こいつの対になってるんだろうな」


 松本が石像を見つけた場所は、部屋の左奥であった。懐中電灯に照らされた石像は、男性らしき人物のように見える。だが、石像となる元の人物の名前などはどこにも刻まれておらず、これが誰を模した物なのかはわからない。


「……先輩、これを見てください」


 いつの間にか山崎が石像から離れ、部屋の右奥の床を照らしている。何か落とし物が見つかったのかとも思ったが、もしそうならば照らされていればすぐに見つけられるだろう。彼女はただ、一目見ただけでは何があるかわからない床を照らしている。


「どうした山崎。そこに何かあるのか?」


「……いえ、そう言う訳ではありませんが……。この部分、埃の跡がついてますよね」


 山崎は指で埃の跡をなぞるような動きをする。確かに彼女の言うとおり、正方形とまでは行かずとも、角が丸くなった四角形らしい跡が残っていた。


「これ、あの石像の足元部分と同じ形ですよね。やっぱり、階段から滑り落ちて来た像は、この部屋から来たということですよね。それって……」


 そこまで言って山崎は口を閉ざした。石像が自分で動くはずはない。ならば、誰かが無理やり動かしたということになる。……では、石像を動かした張本人は一体どこに消えたのか。玄関横の二部屋にはおらず、玄関が開閉された様子もない。そもそも、石像が玄関扉に突っ込んだせいで、開けるだけで一苦労なのだ。開けようとすれば必ずそれなりの物音が出るだろう。……だが、三人の内誰もがそのような音を聞いていない。つまり。


「この先に石像をぶつけようとしてきた張本人がいるかも知れないってことか。……ならなおさら先に進む必要があるな。この先に、他人に見られちゃまずいものがあるからこそ、俺たちを追い返そうとしたんだ」


 部屋の出口はすでに坂本が持つ懐中電灯によって照らされている。出口の扉は施錠されておらず、簡単に開く。その先にあったのは、先ほど坂本たちが足を踏み入れた玄関と全く同じ光景だった。


「……ま、間違えたのか?」


「いや、石像を方向の目印にしているんだ。間違えているわけがない。それに、玄関は破壊されていない」


 彼らが入ってきた所は扉に石像が突っ込んでいたが、こちらには荒れた様子はない。ここはいわゆる裏口なのだろう。玄関と全く同じ両開きの扉を開けると、全く知らない景色が彼らを出迎えた。


「用途は分からないが、この屋敷には二つの出入り口があるんだな。それも、全く同じ造りの玄関まで用意されて」


 扉から屋敷の内側に視線を向けると、やはり先ほどと全く同じように、両隣にそれぞれ扉がある。違う所と言えば、二階に続く階段の裏に隠されたようにあるもう一つの扉と、二階よりさらに上に続く階段だろう。


「……なんなんだ、この屋敷は」


「火事になる前からこうだったのか、それとも火事の後に作り直した結果こうなったのか。……いずれにしろ、変な造りの家ですね」


「……ひとまず、部屋を調べましょう。誰かが隠れているかもしれませんし」


 山崎はそう言いながら右側の扉を開く。だが、やはりというべきかすべてが同じだった。鏡映しか、それとも複製されたのか。同じ用途でしか使えない部屋が、四つもあることになる。最盛期には相当数の信者を抱えていたらしいが、これほどまでに必要な物なのだろうか。彼らはそう疑問を抱くが、答えなど出てくるはずもない。早々に無駄な思考を捨て、階段裏の扉の前に立った。


「……もう裏口から逃げられたかもな」


「まあ、もとより目的は屋敷の方ですし、ちょっかいかけてくる奴が消えるならそれはそれで構いませんよ。……それじゃ、開けますね」


 階段裏の扉の先は、上階にあった会場の七割ほどの広さの部屋だった。丸テーブルが等間隔に配置されており、真っ白なテーブルクロスがひかれている。それはまるで。


「パーティー会場……みたいですね」


 パーティー会場らしき部屋にもやはり窓はなく、天井近くに通気口らしきものがあるだけだ。


「上の階で会合をして、終わったら降りてきて食事会……って所ですかね」


「おそらくそうだろうな。……魂魄教の奴ら、随分と楽しんでたようだな」


 会場の奥にはさらに扉があり、その先は調理場になっていた。この調理場の壁を貫けば、彼らが入り口として使った玄関に出るのだろう。全くもって奇怪な構造の屋敷である。


「飯食うために遠回りしなきゃいけないのか、面倒くさいな」


 テーブルクロスの大きさはそれほどなく、テーブルの下を覆い隠せるほどではない。やはりこの部屋にも誰もいないのだ。残るは、三階のみ。


「……何かあるなら三階だ。そうじゃなきゃ、あの石像が滑り落ちて来たことに説明がつかねえ」


「最悪の場合、あれは本当にただの怪奇現象だったってことになりますね」


「もしそうなったら、ここをお化け屋敷としてリフォームしてやるか。どうせ誰もこの屋敷を覚えてないだろうしよ」


 三人は軽口をたたき合いながら階段を上る。ただ、それらは決して彼らの本心などではない。……もし、本当に何かあったら。それを想像するという恐怖から逃れるため、わざと思考をそらしているのだ。


「……あそこか」


 階段を上がる速度が鈍る。疲れたからではない。おびえているのだ。何もないかもしれない。……だが、何かがあるかもしれない。坂本は短く息を吐き、心の中に沸き起こった恐怖も吐き出す。そして、三階に一つしかない部屋の扉に手をかけた。やはり、鍵はかかっていない。


「開けます……」


 彼はそう宣言し、腕に力を込めた。ただの木製の扉であるはずなのに、なぜかやたらと重い。何かが「開けるな」とでも訴えているようだったが、彼はそれを振り切った。


「うっ……。これは……腐臭……」


 扉を開けた彼らを真っ先に襲ったのは、何かが腐ったような匂いだった。彼らはその匂いに覚えがある。滅多に嗅ぐことはないが、一度嗅いでしまえば脳裏にこびりつくあの匂い。死の匂いだ。山崎と松本はすぐに部屋の中へと懐中電灯を向ける。当然というべきか、三階にも窓は一つとして存在していなかった。


「あ、あれは……」


 部屋はがらんとしていた。家具は部屋の奥にあるひじ置き付の大きな椅子一つだけ。そしてそこに、崩れかけた姿勢で白骨が座り込んでいた。




「まさか、また死体を見つけるとはね。それも、こんな場所で」


 あれから数十分後。坂本は警視庁に連絡した。S県警が「越境捜査だ」と口をはさんできたが、事情を説明すると簡単に引き下がっていった。彼らには到底扱いきれない問題なのだ、これは。


「いや全く、俺もそう思うよ。……あの死体だが、随分と年月が経っているように見えた。一年か、それともそれ以上か」


「……それに関しては科捜研に任せるしかないね。……それで、他には何か見つかったのかい?」


 坂本からの通報を受けて駆け付けた藤原は、遺体発見者としての事情聴取を早々に切り上げ、彼らの調査の結果について尋ねた。坂本は何も言わず、ただ首を横に振ることでそれに答えた。


「ふむ……。あんなに大層な驚かせ方をしてまで『辿れ』なんて言ってたくせに、またすぐに手詰まりか。……とりあえず、応援は呼んでおいた。あとは屋敷の中は後輩たちに改めて調べさせるとしよう」


「……何か見つかるとは思えないけどな」


「いざとなったら敷地中の土を掘り起こして捜査するよ。……一緒に戻るかい?」


「ああ。これ以上ここにいたところで何もできないしな」


 坂本たちは藤原の先導に従い、警視庁まで戻った。その道中、坂本が運転する車内では、見つかった死体についての議論が行われていた。


「……魂魄教の犠牲になった者たちは、あの死体を見つけてほしかったってことでいいのか?」


「そうだとして、あの死体は一体誰の……。まさか、有田春香さんだったり……」


「もしそうなら、彼女の姉には厳しい報告をしなければいけないな……」




「すまない、待たせたね」


 警視庁へと戻った坂本たちは特別相談室に戻っていた。藤原は科捜研へと出向き、白骨死体が誰なのかを聞き出していた。警視庁へと戻ってから一時間ほど待ち、ようやく報告が届いたのだ。


「いや、大丈夫だ。……それで、あの死体は誰の物だったんだ?」


「……それよりも前に、あの遺体の状態について話してもいいかな。抱えている謎が解決するわけではないけど、共有しておきたい」


「なんだ、かしこまって。……それじゃあ、まずはそれから頼む」


 藤原は「わかった」と言って深くうなずいた。そして、手に持っていた資料を机の上に広げる。彼はその中から一枚をつまみ上げた。


「これを見てほしい。遺体の首部分を撮ったものなんだが……。科捜研によると、手術痕があるらしい。喉仏に当たる部分の骨が一度切り開かれ、その後繋ぎなおされている」


「……これは、何の手術を受けるとできる痕なんだ?」


「声帯摘出」


「声帯、摘出……?」


 あの屋敷で見つかった遺体は過去に声帯摘出手術を受けていた。……だが、それが一体何なのか。困惑する坂本たちを前に、藤原は続けて書類を読み上げる。


「死因は不明。骨などが傷ついていないことから、外傷によるものではないということぐらいかな」


「……早く教えてくれ。結局こいつは誰なんだ?」


 坂本は書類の一枚に付属していた、白骨死体の写真を睨みつけて言った。坂本以外の二人も、答えを知りたがり、ソファからわずかに身を乗り出している。三人からの圧を受けた藤原は、「落ち着いて聞いてほしい」と前置きした。


「あの屋敷で見つかった遺体の主は、大和田誠一だ」




 藤原が、屋敷で見つかった遺体の正体を告げてから一時間後。藤原は別の仕事があるため、部屋に書類を残して去っていった。残された坂本たちは、机の上にばらまかれた書類を一枚ずつ手に取る。


「……二十年前、大和田誠一が死んだとされたとき。遺体は一度警視庁に預けられたんだ」


 書類に目を通していた松本がいきなりそう口を開く。坂本と山崎は「え?」と困惑の声をあげるだけだった。


「普通、人が死んだときは死亡届を役所に出すだろう。それと、病院に出してもらった診断書なんかも必要になる。……だが、奴は例外だった。新興宗教の長にして、危険思想をばらまく危険人物。死を偽装して犯罪に手を染める可能性も十分に考えられた。……だから、病院で行われる死亡診断に警察も同席した。あいつらには影響力があった。医師すら買収しようと思えばできるほどにな」


「……だから、警視庁内に大和田誠一のDNAデータがあるんですか」


「ああ。……ちなみに、あの時同席したのは俺だ。ちょうどまだ鑑識の現役だったころでな、大和田の死体に怪しいところがないか調べさせられた」


「……あの、なんで大和田の遺体があの屋敷にあったんでしょうか。話を聞く限りでは、法律にのっとった手続きをしているようですが。あとはそのまま火葬するだけでしょう?」


「その後どうなったか、俺は知らねえんだ。葬式はあいつらの間で済ませてたみたいだしな、いちいち警察がそれを監視しに行くわけにも行かなかったし、そもそも部外者を立ち入らせようとはしないだろう」


「では、あの死体はその時からずっとそのまま、あの屋敷で放置されていたと……」


 山崎は書類を握りしめながら考え込んでいるが、坂本がすぐに「それは違うんじゃないか」と口を開いた。彼女は困惑の感情を口から漏らしながら顔をあげる。


「ど、どうしてですか?」


「藤原の話じゃ、あの屋敷は十年前に火事になったって話じゃないか。で、その後建て直された。もし当時からずっと遺体が放置されていたのなら、白骨死体はもう粉にでもなってただろう」


「……つまり、火事が起きた後に、わざわざそこへ安置された、と。何故そんなことを……」


「さあな。死体を放っておいた奴がどこかにいればいいが、そう言う訳にもいかんだろう。……それにしても、まさか大和田誠一が死んでいるとはな」


「……有田香澄は、大和田誠一がまだ生きていると言っていましたよね。顔は見られなかったが、声は確かにそうだったと」


「もう一度、彼女に詳しく話を聞いてみる必要がありそうですね」


 坂本はそう言うと、テーブルの上に置いていたスマホを手に取った。調査の報告のため、彼女の連絡先はすでに知っている。


『もしもし、有田です。坂本さんですか?』


 電話をかけてから三コール音もしないうちに、有田香澄は電話に出た。彼女は坂本からの報告を心待ちにしていたのだろう。彼は眉間に少しだけ皺をよせ、口を開く。


「ええ、そうです。……いつか、お時間ある日はありますか」


『……何か、見つかったのですか?まさか春香は……』


 死んでいるのではないか。彼女はそう言いかけたが、坂本がその言葉を遮った。


「いえ、そのまさかという訳ではないんです。ですが、その……。これは直接話すべきことかと思いまして」


『……そうですか。なら、明日の午後に……』


「ええ、わかりました。お待ちしております」


 電話口から聞こえる「それでは」の声で電話が切れた。坂本はスマホをテーブルに置き、ソファに背中を預けて天井を仰ぐ。


「……なんて説明すればいいんだか」


「ま、その眼で見たことをそのまま話すしかねえな。魂がどうだの知ったこっちゃねえ。俺たちに見えないものを見る能力なんかねえのさ」


 説明の方法に悩む坂本を前に、松本は助言を送る。そして彼はひざを叩きながら腰をあげた。


「さて、今日はもう遅い。有田香澄も明日来るっていうし、俺たちも今日は帰るか。……疲れもたまってるしな」


 山崎も帰る支度を済ませ、松本に続いて立ち上がった。坂本は二人を見送ると、一人で相談室に戻り、広げられた書類を集め始めた。


「……大和田誠一は死んでいる。死体も見つけたし、とある理由でDNAの照合もできた。あの死体は本物だ。……なら、有田香澄が言っている『教祖』は誰だ……?」


 坂本は書類をすべてまとめ、鞄にしまい込んだ。そして自らも相談室を出て帰路に着く。今日は、謎の女の影を見ることはなかった。




「……お久しぶりです。一週間ほどでしょうか」


 翌日、午後一時。有田香澄は約束通り相談室に姿を現した。昨日の坂本からの電話を受けたせいか、あまり寝られなかったようである。目元に疲れがたまっているように見えた。


「急にお呼びして申し訳ない。妹さんの捜索中、少し気になる情報を手に入れまして……」


 有田香澄は「はあ……」と、歯切れの悪い坂本を前にどう反応すればよいか困っているようだった。坂本は鞄から書類の束を取り出し、そのうちの一枚を彼女に向けて差し出す。


「こちらをご覧いただきたい」


「……これに何が?」


 彼女はそう問いかけるが、坂本は手で資料を指し示す。「まずはそれを読んでから」。彼は目でそう言っていた。有田香澄は釈然としない様子だったが、話を進めるためにも差し出された資料を手に取った。警察特有の堅苦しい文体ゆえか、それとも医学にそれとも明るくないゆえか。彼女は坂本が資料に目を通した時間の倍の時間を使って資料を読み込んでいく。……そして、「え⁉」と声をあげた。


「ほ、本当なんですか⁉これに書かれていることは……」


「……ええ、事実です。……魂魄教の教祖である大和田誠一は、死亡しているんです。あなたにはその点でお話を聞きたかった。……集会では、大和田の声を聞いたとか」


 有田香澄は、大和田誠一の死にひどく動揺しているようだった。魂魄教の教義などには興味などない様子だったが、それでも生きていると思っていたはずの人物がすでに死んでいたとなれば、驚きもするものだ。動揺する彼女を前に、坂本は質問をぶつける。


「あなたはいつ、大和田誠一の声を聞いたんですか」


「……せ、先月です。親に参加を強制された集会で、カーテンの先に……。見たのは影です。……でも、声は本物でした」


「レコーダーなどではないんですね?」


「……ち、違うと思います。あの日は、信者からの悩みにこたえる会も開かれていまして。録音だけでは対応しきれないかと……。もし、高性能な変声機があるのなら、それが使われているのかもしれませんが……。ノイズなども聞いた覚えはありません」


 彼女は首を横に振りながらそう言った。……彼女は実際に集会で教祖の声を聞いている。嘘とは思えない。


「……魂魄教の集会はどこで行われているんですか?」


「それを知って何を……。まさか、向かう気ですか?」


 有田香澄は信じられないといった様子で身を乗り出し、テーブルを強く叩く。だが、坂本はそれに驚くことなく、ゆっくりと首を縦に振った。


「……これ以上、妹さんの手がかりはありません。ならばいっそのこと、本拠地に乗り込んだ方が早い。……もしかすると、すでに妹さんは教団の手によってとらえられているかもしれないのですから」


 これは脅しのようなものだった。いくら教団の方針に彼女がそぐわない姿勢を見せていたとしても、他人を巻き込むのには抵抗があるのだろう。……そんな彼女に対し、坂本は妹を引き合いに出して情報を求めた。彼は恨まれることすら承知の上だった。彼女はそれを真に受けて「そんな……」と両手で口を覆う。


「まだ。助けられるかもしれないんです。どうか、教えていただけませんか?」


「……その、罪に問われたりしないでしょうか」


「今の日本に集会を禁じる法律はありませんし、あなたが集会所を打ち明けたところで適応される刑罰なんてないですよ」


 有田香澄の心配は坂本たちに言わせれば杞憂だった。山崎の言うとおり、そんなことでは罪に問われることなど万に一つもあり得ない。だが。彼女は首を横に振った。


「そうじゃないんです。……集会所は、とあるビルなんです。それも、今は封鎖されていまして。不法侵入になってしまうのではないかと」


 封鎖された、とあるビル。坂本たちの口からそろって、「まさか」と言葉がこぼれる。彼女はそれを気にも留めず、続きを口にした。


「確か、前は総合センターという名前だったそうです」




「そうです、このビルです。……御存知だったんですね」


 山崎は自身のスマホで、総合センター周りの地図を表示し、有田香澄に確認を取る。……まるでこれが間違いであってほしかったかのように、彼女は目を泳がせた。


「……本当にここなのか?勘違いじゃないんだな?」


 どうにも信じられないのか、松本は彼女に対して念を押す。詰め寄られた彼女はかえって動揺しながらも、「間違いありません」と言い切った。


「その……。何か問題なんですか?先ほどからの口ぶり、まるで『そうであってほしくない』というように感じられるのですが……。やはり、不法侵入になるのでしょうか」


「いえ、そう言う訳ではないんです。……これは、口外無用でお願いします」


 坂本はスチール棚にしまっていたファイルを一つ取り出した。表紙の青さが真新しいファイルにとじられていたのは、あのビルで見つかった橋本恵と、そのほか大勢の遺体に関する資料だった。彼はそれを彼女へと差し出す。


「……つい先日、そのビルで複数の遺体が見つかっているんです。我々はこの事件が魂魄教に関係しているのではないかと考えていました。……ですが、まさか本拠地だとは」


「教団の中には、警察の関係者も何人かいるらしいんです。警察の捜査が入ると分かって、その間は集会しないようにしていたのではないかと思います」


 現信者である有田香澄の言葉ならば、それなりに信ぴょう性はある。……情報を漏らしたのは誰か気になるが、今はそれよりも有田春香の救出が先決である。


「……向かいますか、そのビルに。そこで、全部が分かるはずです」

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